[船酔い]



 「やっと着いた!」
 「思ってたより、早くついたわね。」
 「うぅ………気持ち悪い……。」
 「大丈夫ですか、ササライさん…?」

 ニギィの笑いから逃れるため、心頭滅却を覚えてから幾許。ようやく対岸に到着した。
 ルシファーが軽快に岸へ飛び、リンがライラをおぶって、差し出された手を取る。
 船酔いが酷く口元を押さえていると、スヴェンが、そんな自分を心配しながら船を下りる。気持ち悪さが嘔吐感となって胸から湧き出てくるが、ふと横目に見えた光景。が、ニギィに金の入った布袋を渡している姿。受け取れ、と軽く渡してはいるが、どう見ても河渡しの料金とは思えない。袋の中にずっしり詰まった中身を確認して、ニギィが「ヒヒッ!」と笑っている。その笑みが、また自分の船酔いを悪化させた。
 でも・・・・・船酔いなんて、初めての経験だ。

 踵を返し様、彼女がニギィに何か言っていたようだが、聞き取れなかった。後で聞けば良いかと考えながら、嘔吐感を堪えるためその場に座り込む。
 すると彼女が近づいてきて、困ったような顔をした。

 「……あんた、大丈夫?」
 「うぷっ……駄目……かも…。」
 「………シャグレィまで、もたないか…。」
 「シャグ…レィ…?」

 最初、ミルドレーンに寄り道すると言っていたはずだが、どうやら途中で変更したらしい。ここならシャグレィが近い、とニギィに言われたようだ。首都に近いといえば近いのだが、目立たなければ何とかなるだろう。

 「でも……きみの事は、っ、もう……手配されて…」
 「…うん。シャグレィに着いたら、その件で、あんたに頼みたいことがあるんだよ…。私は、シャグレィには入れない。だから、代わりに調達してきて欲しい物があるんだけど…。」
 「うん、分かった…。それで………うっ……調達して欲しいものって……?」

 ぼそ、と彼女が耳元で囁いた。
 それを聞いて、思わず「なるほど…。」と呟いていた。






 シャグレィに行くまでには、まず夢の森を横断しなくてはならなかった。
 食料やら必要な消耗品を買い足し、森側から村へ。
 そこから、更に橋を渡ってヒギト城塞を目指す。

 「……と。この経緯で良いんだね…?」
 「うん! 僕も、それが一番良いと思う。」
 「そうね! それなら、ヒギト城塞まで一週間もかからないわ。」

 ニギィと別れ──彼は、首都の方へと上っていった──、ひとまずササライの船酔いが治るまではと休息することにした。申し訳ないと考えているのか、彼は手を胸に当てながら項垂れている。
 その間に先の事を決めてしまおうと、は、ルシファー達を集めて話していた。

 地図を広げて一通り経路を決めるとルシファーが頷き、リンも笑みを見せる。どうやら、三兄弟の実権は、やはりこの長女が握っているらしい。下二人は、ササライの介護に回されていた。とは言っても、水を飲ませようとするスヴェンとは違い、ライラはその場にしゃがみ込んで心配そうにしているだけだったが・・・。

 「……ササライ。ある程度、決まったから…。」
 「…そう……。どう、なったの…?」
 「ひとまず、シャグレィに行って……そこから橋を渡る。」
 「でも……橋は、警備されてるんじゃ……?」

 そっと近づき、しゃがんだ彼女が言った「……手は打ってある。」との言葉。
 それを聞いて、ササライは『あぁ、もしかして…』と思った。






 結局、体調が優れない自分を彼女がおぶり、一行は森を歩き始めた。
 その後ろを歩くスヴェンが「さん、僕が代わりましょうか?」と言っているが、彼女は「いや…でも、ありがとう。」と微笑むのみ。
 男の自分が女性におぶられる。ササライは、その現実に酷くショックを受けたが、自分の回復だけに時間を取るわけにはいかない。
 未だ回復してくれない己の具合と情けなさで、気分は沈みに沈んだ。

 誰の顔も見れなくて、思わず彼女の肩に顔を埋める。そこで、ふと違和感を捉えた。おかしな事に、少しずつではあるが、吐き気が消えてきたのだ。
 顔を上げて、自分の首に飾られたトルマリンを見つめる。それが僅かに淡い光を発していた。

 「、これって…。」
 「……少しずつだけど、体が楽になるはずだよ…。」
 「これは、きみの力…?」

 自分が腕を回している彼女の首周りは、自分のそれより細い。その体には、自分達を遥かに凌駕する”力”が巡っている。それは・・・・守る為に使われる。

 「…正確には……その石の”力”を、引き出しているだけだよ…。」
 「石の力を?」
 「…そう。あの店主が言ってたでしょ? ヒーリング効果があるようなことを…。」
 「あぁ、そっか。それを…」
 「私の魔力で、増幅してるだけ…。」

 確かに、彼女と密着してから気分が良くなってきていた。石を介して、自分に力を与えてくれているのだろう。概念は、なんとなく分かった。

 「密着してないと、効果を引き出せないけど…。こうしてくっついていれば、石が媒介になって、あんたを癒してくれる…。」
 「…そっか。」
 「おぶられるなんて、嫌かもしれないけど……これが一番手っ取り早いから…。」
 「そうだったんだね……ありがとう。」

 前を歩く子供達のペースに合わせているのか、彼女はゆっくり歩いている。もちろん人一人背負っているのだから、子供達より体力の消耗も激しいだろう。だが、決して疲れた顔を見せない。

 「ねぇ……疲れないかい?」
 「…いや、大丈夫。」
 「重い、よね…。」
 「軽いから平気。」
 「!?」

 彼女は、何の気なく返したのだろう。だが、それに些かショックを受ける。
 小柄な方だが、自分は男だ。それに昔とは違って剣も扱うようになったのだから、筋力だって増えているはず。それなのに・・・・。
 『軽い』・・・? 僕が? ・・・・かる・・・

 「……。」
 「なに?」
 「僕……そんなに軽いかな…?」
 「軽い方でしょ…? あんたやならまだしも、これがルカやユーバーだったら、私は背負えないからね…。」
 「………そっか。でも、僕は『軽い』んだね…。」
 「…?」

 彼らのような大柄な体躯を持つ男と比べて、という事なら仕方ないのだろうが、でもなんだか納得出来ない。
 ・・・・・でも、まぁいいか。だって、この言葉を聞いて落ち込むのは、僕だけじゃないから。彼女は『あんたやなら』と言った。僕だけじゃないなら・・・何かもういいや。
 そう考えながらも、意気消沈は隠せない。その為、もう一度彼女の肩に顔を埋めた。



 船酔いの酷い彼の首に飾られた石を媒介に”力”を流しながら、考えていた。
 ヒギト城塞へ着いたとして・・・・自分の考えた通りの結果になるのなら、そこから先の事も考えておかなくてはならない。
 どこもかしこも厳重に輪をかけた警戒態勢。ヒギト城塞守備者とは言葉を交わしたことはないが、一応面識はある。上手く事が運べば、それはそれで良い。
 だが、もし最悪の結果が待っていたとしたら? 戦う事でしか解決できなかったら?

 「…戦いからは、抜けられない……か…。」

 結局、自分はそういった定めを背負っているのだ。今までも、これからも。
 平穏を望んでいるはずなのに、それだけでは終わらない。
 それが、自分がここ来た『理由』であるというならば・・・。

 やはり”運命”は、”運命”ではないということか? 運命とは、やはり”意思”なのか?

 「…………ふぅ。」

 その考えを打ち消すように、静かに頭を振った。