[いなくても…]



 ワイヤーウルフは、予想以上の強敵だった。
 鉄のような重みを感じさせる毛並み。その見た目からは想像できないスピードと跳躍力。そして、その鋭利な牙と爪を使って繰り出される攻撃は、少し肌を掠めるだけでも血が滲んだ。とても殺傷能力の高い獣だ。

 ササライがいない。それだけで、こうも苦戦するのか。
 普段から率先して攻撃を加えることなく、自分のサポートに専念してくれていた彼の存在が、どれだけ大きかったかを知った。
 リンたちと出会う前、モンスターを相手にしたことは何度もあったが、いつでも彼は自分が戦いやすいようにサポートしてくれていた。控え目に、いつも自分を助けてくれていた。

 「ちょっとぉ! 私たちの攻撃、ぜんぜん効いてないんじゃないのぉ!?」
 「くッ…!」

 どれだけ攻撃してみても、狼が倒れる気配はない。それより自分達の方が、体力を削られている。たかが一匹、されど一匹。

 「姉さん…、ほら、おくすり…。」
 「ありがと! ライラ、絶えず回復して!」
 「う、うん。ごめんなさい…。」

 いつも「大丈夫、僕らは勝てるよ。」と微笑んでくれるはずの彼は、いない。相当森の奥へと入って行ってしまったのか、ここで戦っている音も聞こえないのだろう。戻りそうな気配もない。どうするべきだろう?

 そういえば・・・・・・

 いつか、が言っていた。朧げにだが、覚えている。
 「どんな耐久力の高い相手だろうと、大抵は額が弱点だ。」と。

 ・・・・・それなら!!

 「リン! 僕が囮になるから、その間に、あの狼の額めがけて矢を放って!」
 「な、なに言ってるのよ!? それじゃあ、あなたが危な…」
 「このままじゃ、全滅する! これしか手が無いんだ!!」

 ササライは、いない。皆の体力も、既に限界が見え始めている。
 ”覚悟”を決めるしかなかった。
 囮になるということは、己の身を危険にさらすこと。あの牙で喉に噛み付かれたら、それこそ自分は死ぬかもしれない。でも・・・・

 『僕は………絶対に負けない!!!!』

 歯を食いしばる。
 何よりも、自分には”強さ”が必要なのだ。
 それが一か八かの賭けだとしても、『それ』が自分に必要ならば・・・・・

 僕らは、必ず勝つ!!






 子供達が戦うその光景を遠目に傍観する者が、二人。とササライだ。
 二人は、敵の気配にいち早く気付き、枝を拾いに行くと言って早々に姿を消した。ルシファーに強くなってもらいたかったからだ。

 は、あの少年に”覚悟”という言葉を投げた。強さを求めるなら、奪う覚悟を必要とする、と。それは、彼女から少年に宛てた、今自分が出来る限りの助言だった。
 自分が通ってきた道だからこそ、教えたかった。奪わなくてはならないと。
 それは同時に、自ら危険に身を投じる覚悟もつけろ、ということだった。認めたくなくとも、戦いとは殺し合いなのだ。
 殺したくない。そう思っていても、そうせざるをえない時は、いくらでもあるのだから。

 自分とあの少年の違いは、経験の差だ。

 自分は、今でこそ人を殺めることなく戦うことが出来るが、あの少年は違う。『殺めることなく敵を倒そう』という気持ちが同じでも、経験の差が『誤って殺してしまった』といった悲劇を招くこともある。小さな一手といえど、経験の有る無しで結果が大きく変わるのだ。
 それは例えば、相手の戦意を削ぐために腕を狙った一撃。先を急ぐために足を狙った一撃。何をどうしても、経験の差がモノを言う。

 覚悟の有る無いで、それは更に差をつけていく。理想は高くても良いが、それが現実だ。

 「ルシィたち、大丈夫かな…?」
 「……………。」

 遠目に戦闘を眺めながら、ササライが心配そうな顔。それに目を向けず、戦う少年の背を見つめた。

 「危なくなったら…」
 「駄目。まだ早い。」
 「でも、何かあってからじゃ…」
 「あの子の中で”覚悟”が決まれば、絶対に負けない。」
 「けど…」

 「大丈夫だよ。あの子なら……やれる。」

 言いきると、彼は何も言わずに俯いた。だが、心配は消せなかったようで、ポツリと呟く。

 「いざとなれば……僕は出るよ。」
 「あぁ。あんたの好きにすれば良い…。」
 「……うん。」

 あえて彼を止めないのにも理由があった。彼は、その”権利”を持っているからだ。
 これから襲い来るだろう、”運命”という大きな流れ。その中で抗うことを許された・・・介入する”権利”を得ているだろう彼を、自分が止められるはずもない。
 自分には・・・・・・・どれだけ手を伸ばしても、決して得られぬモノなのだから。



 彼女が視線を伏せたのを期に、ササライは、少年たちの方へと目を戻した。
 少年が、少女達に何か言っている。その表情は、今まで見たこともないほど険しかった。
 それを目にした彼女が言った。

 「どうやら……覚悟は決まったみたいだね…。」
 「そう、だね…。」

 勝負は、一瞬で決まるだろう。
 そして彼女は、きっと、それを静かに見届ける。
 手を貸すこともなく、ただ見届けるのだ。

 「僕は……」
 「…行けば良いよ、ササライ。」
 「………。」
 「あんたが、どれだけ早足で向かおうと、『結果』は変わらない…。」
 「……うん。」

 そう言われ、少年達のもとへ戻るのを、少し遅らせることにした。急がなくとも、結果が出てからで良い。彼女が言いきったのだから、きっと大丈夫。
 ならばせめてと祈った。彼女の言う”覚悟”に、はっきりとした『勝利』の文字が刻まれますように。
 らしくないが、そう祈ってみようと・・・。

 勝敗は・・・・・・未来という名のすぐ”先”に。