これは、マズい。最初にそう思った。
 敵を屠ったあと、その子供が出てくるとは思いもしなかったからだ。
 それが世の理とはいえ、自らが願った以上の事を、少年は経験してしまった。

 勝負がついた。
 それは同時に、奪う側に立ったということ。奪われた側を想うだろう者に、自責するということ。

 今は、まだ覚悟さえあれば良いと思っていたのかもしれない。今はまだ、それを想う者の心に気付いて欲しくなかったのかもしれない。
 けれど、いつかは知ることになる。少年にとって、それは堪え難い現実。まだまだ幼い彼にとっては、きっと残酷な真実。

 だから、まだ見てほしくなかった。
 だって、心が・・・・・・・・・壊れてしまうだろうから。



[仕方なくなんかない]



 「いったい、何があったんだい?」

 心にもない台詞をよくこの状況で言えたものだと、自分自身でそう思った。
 知っているくせに。今まで、ただ黙って見ていただけのくせに。
 よく素知らぬフリをして、そんなことを言えたものだと。

 少年が、答える事はなかった。
 自責・・・・・・いや、それ以上の想いを胸に抱えているのだ。ことの重大さを実際に経験し、沸き上がってくる感情に心を潰されてしまいそうなのだ。

 「……ワイヤーウルフか。」
 「あ、はい…。」

 自分に代わって彼女が問うと、リンが俯いたままポツリと答える。
 ササライは、を見つめた。そして思った。
 彼女は今、完全に感情を殺している。表情を無くしていたあの頃のように。じっと、敵であった獣の亡骸を、そしてその傍らでキュンと鳴き続ける子狼を見つめて。
 ふ、と蒼穹色の瞳が揺れた。固く結んだ唇を見て、きっと歯を食いしばっているのだろうと思う。散った命に対して、沸き上がる悲しみを何とか押し殺そうとしているのだ。

 でも、それでも彼女は止めなかった。命を奪うことを最も良しとせぬ彼女は、それでも少年を思い、介入することを拒んだ。少年を思うが故、それに耐えていた。
 誰の所為でもない。そう、誰のせいでも・・・。
 生があるのだ。いずれその先には、必ず死が待っている。そんなこと幼子でも知っている。生き延びる為には殺さなくてはならない時もあるのだと、誰もが・・・・。

 言葉を発することなく、ただ肩を震わせて涙を流す少年。それが誰かに似ていると思った。
 敵であろうと尊び、それを奪わぬようにと戦う姿勢。・・・あぁ、彼女に似ているのだ。
 ササライは、悲しくなった。自分にそう思えることがあっただろうか? と。
 誰かをこの手にかける時、自分とて、いつも『殺したくはない』と思っている。けれど、そうせざるを得ない状況に立ち、ことが済んだ後には『自分が死んでいたかもしれないのだ』と、何とか自分を納得させようとしてはいなかったか?

 少年も彼女も脆い。でもそれ以上に、何かの死を『何かのせい』にする自分は、どうだろう? きっと・・・・・・もっと脆くて弱い。
 殺し、その理由を掴んで自分を正当化することは、いくらでも出来よう。でも、その奪った命に涙することは? 苦しくて辛くて、でも耐えなければと、皆が皆、正当化出来るのか?

 でも、少年も彼女も、それが出来ない。決して納得することはないのだ。
 奪った者の数だけ、この少年も、彼女と同じく自ら十字を背負う。その答えは間違ってはいないだろう。優しさゆえに、そして想う心の強さ故に、きっと自分を許さない。
 ならば・・・・・僕は? 僕は、彼女と共に生きるだけの存在に値する? 仕方ないと考え、納得せざるをえないのだというその気持ちを盾にしていた、僕は・・・?

 「っ…。」
 「ササライ…?」
 「ごめん……なんでも…ないよ……。」

 苦しいのだ。それを黙って見守るしかなかった自分。何より、それに甘んじることしか出来なかった自分が。
 弱さゆえ、心を壊さないために『それ』を正当化していた自分が、どれだけ脆いのか。
 少年の心を思い、ようやく分かった。誰だって殺すことは恐い。奪うことも奪われることも、きっと誰もが嫌なのだ。出来ることなら穏便に、互いを理解し合い、戦うこともなく。
 しかし、現実は、それが出来ない事が多い。自分とて、その中に身を置いて生きてきたのだから、嫌と言うほど分かっている。

 でも・・・・・・

 仕方ない? ・・・違う、そうじゃない。
 そんな言葉で片付けられるほど、命は軽いものじゃない。
 そう思っていたはずなのに、反面、『理由』を盾に身を守ろうとしていた自分に吐き気がする。

 堪えようと全身に力を入れた。今は、何でも良いのだ。今までそう考えて生きてきた自分が、とても浅慮だと思ったのだから。

 すると、背後から声がかかった。

 「ササライ、無理はしないで良い…。少し休んでて。」
 「………ごめん。」

 彼女には、きっと分かっていたのだろう。”死”と、”その後”と、”その心”のことを。
 それがあの少年達だけでなく、自分の心にも深く影響したことを。
 彼女には、全て分かっていたのだろう。彼女自身が、それを経験してきているからこそ。

 後ろに下がり、少年の背を見つめた。震えている肩に、何の言葉も見つからない。
 彼は、彼女と同じ道を辿るのだろうか? 己を責め己に絶望し、根付いたばかりの”意思”は、早くも闇に染まるのだろうか?

 今の自分には、分からなかったが、けれど、きっと彼女が許さないだろう。己が歩いた苦難の道を、あの少年には決して歩かせはしないだろう。彼女のことだから、きっと良い方向へと導こうとするはず。そして、自分もその隣で尽力するのだ。

 どうしてだろう、酷く悲しかった。
 愛する我が子の為、自分をどこまでも捨てられる彼女を想うと。
 わけも分からず、その感情に見て見ぬフリをする自分が、酷く情けないと思った。

 彼女は、きっと・・・・・・・・・誰よりも辛いはずなのに。