[狭間]



 「ルシィ。」
 「っ………っ…………。」
 「顔を上げて。」

 何にでも、裏表が存在する。
 天があれば地があるように、善があれば悪がある。
 それが表裏と呼ばれるものとはいえ、どちらにも大切な想いがある。

 時には全容が、時に垣間見ることで。

 悪であろうと、裏であろうと。
 鎖に繋がれていようと、闇の中で悶えていようと。
 見えないものが見える時がある。そこは、全くの無ではないのだ。
 それまでの想いや感情といった沢山の物を糧として作られた場所。光だろうが闇だろうが、結局は『なにか』が糧となり形成されていった以外、なにものでもない。
 そこから何を見つけ、何を受け、何を得るかなど・・・・

 それらは、”人の心”・・・・・・”意志”なのだから。



 「ルシィ、顔を上げなさい。」

 地べたに座り込んだまま泣きじゃくる少年。
 その肩に手をかければピクリと反応は返るも、少年が顔を上げることはない。
 ・・・・・仕方ない。そう考えて、はしゃがみ込んだ。

 「ルシィ。泣いてても、何も始まらない…。」
 「っ…だって……ぼく………僕は………どうしたら良いの…?」

 「甘ったれるなよ、ルシファー。」

 あえてぴしゃりと言い放った言葉に、少年の肩が引き攣らせながら、ようやく顔を上げる。

 「…?」
 「どうしたら良いか…だって? 今さら、何を言ってるの? これは、お前が結論を出して、望み得た結果じゃないの?」
 「…………。」
 「『殺さなきゃならない状況は、この先いくらでもある』。私は、それをお前に教えたはずじゃない? お前だって、それを理解した上で出した『答え』でしょ?」
 「で、でも…!」
 「話は終わり。皆、荷物を纏めて。すぐに出発するよ。」

 会話を強制的に終了させて、立ち上がる。
 突き放すような物言いをしたが、それで自分の心が痛むなんて。とはいえ、傷を舐めてやるばかりが彼の実になるわけではない。自分で決めて得た結果に悩み葛藤することで、違う答えも見えてくる。それは、きっとこの少年を強くしてくれる。
 想いが糧になることもあれば、後悔が糧となることもある。それを知っていたからこそ、突き放した。まだこの子には早いと、もちろん分かっている。
 しかし、自分が見据える”先”の為に、強くなって欲しいと思った。

 「ルシファー……あとは、自分で考えなさい。そして、自分自身で結論を出して。」
 「…………。」
 「進むか、退くかは……自分で決めなさい。全部、お前次第なんだよ。」



 の言葉を受けて、リン兄弟が、荷物の支度に取りかかった。
 それを見ていたササライは、静かに動き出す。あの少年と同じ気持ちを持ちながら。

 「さ、ルシファー、行こう?」
 「…………。」

 リンに囁かれても、少年は動かなかった。
 後悔と、彼女の言葉に葛藤しているのだろう。でも・・・・。



 もササライも、どうして平気なんだろう?
 僕は、こんなに辛いのに。どうして?
 どうして何事もなかったように、そうやって振る舞えるの?
 ・・・分からないよ。答えなんて見つけられない。それを見つけるまで、強くなれない。
 考えれば考えるほど、はっきりと『それ』が遠ざかっていくんだ。

 「行くよ。」
 「は、はい…。」

 彼女が歩き出した。それにスヴェンとライラが続き、やがてリンも歩き出す。
 唯一、ササライだけはその場に佇んでいたようだが・・・・。
 全ての音を追いやってしまいたいこの耳に、遠ざかって行く足音。ずっと遠く、遠くへ。

 「ルシィ……。」

 声をかけられた。だが、ノイズがかったように聞こえる。ササライは、暫く躊躇していたようだが、やがて自分の傍に寄り添うと肩に手をかけてきた。
 まだ・・・・涙が止まらない。

 「どうして……どうしてなの……?」
 「……ルシファー。乗り越えなきゃならない壁は……これから幾つもあるんだよ。」
 「…?」

 顔を上げて、彼を見つめる。とても寂しそうな顔だった。
 その言葉の意味を正確に捉えられずに眉を寄せると、彼は続けた。

 「…きみが、知らなきゃならない事は……まだ沢山あるんだ。乗り越えなければ進めない事は、まだまだ沢山あるんだよ…。」



 ササライは、どう言葉にすれば良いか悩んでいた。
 自分はいったい何が言いたいのか? 傷つき膝をついている少年に、自分は、何か言えるほど偉い生き方をしてきたか?
 分かってはいた。彼女が言った通り、他でもない、結論を出すのはこの少年なのだと。でも、それでも自分の言葉が、少しでもこの少年の助けになれば良いと思った。だから伝えた。

 少年には、知らなくてはならない『真実』がある。受け止めなくてはならない『真実』がある。
 今はまだ、それを言うことは出来ない。その心すら出来上がっていないのだから。
 それでも、いつか少年は、それを知ることになる。知らなくてはならない日が、必ず来る。
 それが、どんな状況であったとしても・・・・きかっけが何であれ、この少年は、己を知ることになるだろう。でも、言ってはいけない。まだ知らせてはならない。脆く傷ついているその心に、『真実』を伝えることは残酷だ。
 だからこそ、少年に『受け入れられるだけの心の強さ』を求めた。

 願っていたのは、少年が、ゆっくりと成長していくこと。その心も体も。
 しかし、もうそんな事を望んでいる状況ではないのだろう。彼女の言動や行動、読めない考え。それを見ているだけでも、きっと自分が望んだようにならないのだと分かってしまったから。

 「だからね、ルシィ……」

 少年の顔をじっと見つめ、言葉を続けようとする。
 間に挟まれているからか、それとも、少年の心に共感する部分が多いからか・・・・。
 言葉は、出てくれなかった。



 『だから、きみは…………強くならなきゃいけないんだ。』