[啓示]
場所を変えて少し経った頃、ササライが、ルシファーを連れてやって来た。
三兄弟が口々に「大丈夫?」と言っていたが、やはり少年の顔色は冴えない。「うん、大丈夫だよ…。」と答えるものの、いつもの笑みは見られなかった。
ササライは、荷物を下ろして彼女の傍に寄った。だが腕を組んで木に寄りかかり、視線を地へ伏せているところを見ると、どうやら会話する気は無いらしい。
少年を思うが故の行動だったのだろう。だが、突き放した己の態度に、彼女自身が胸を痛めていたようだ。
表情は、いつもと変わらない。しかし少年に視線を向けないことで、何かしら気持ちを誤摩化しているのだ。
その瞳が、ふと揺らいだ。パチッと音をさせた焚き火へ向けられる。
「…………。」
ほどなくして、その視線が更に上へ向けられた。何も言わずにそれを追えば、真上には月があるだろう。しかし追った先、それがないことに気付いた。
「あれ? 月が無い…。」
「……あれは、朔月ってやつだよ…。」
「サクヅキ?」
ようやく口を開いた彼女は、「いや…新月だよ…。」と言い換えた。サクヅキとは、どこの国の言葉だろう? ・・・あぁ、そうか。彼女が生まれたという”世界”の言葉か。
そう考えていると、子供達の会話が耳に入ってきた。三兄弟は気を使っているのか「もう寝よう。ね?」とルシファーに言っている。彼も「うん…。」と言って、今宵はここで就寝となった。
夜も深けに深けた頃。
何かの気配を感じて、ふと目を覚ました。
咄嗟に気配の方へと目を向けるが、月の無い暗闇は、何も映さない。
・・・嫌な気配ではない。その気配を、自分は知っている。
目に映らぬ『それ』は、少しずつ森の奥へと遠ざかって行く。
「…………。」
その気配の主は、確実に『自分が後を追ってくる』と分かっているようだった。そこで、その人物に見当がつく。
音も無く立ち上がると、誰も目を覚ましていないことを確認して、その気配の後を追った。
「やっぱり………あなたでしたか……。」
皆が寝静まる場所からかなり距離を空けたその場所で、光は現れた。
淡く朧げなその光からは、やはり予想した通りの女性が姿を見せる。
「久しぶりですね……。」
「……お久しぶりです………レックナートさん。」
彼女が現れた理由。もう分かってしまった。
少年から間接的に話を聞いた自分に、直接伝えに来てくれたのだろう。
じっと、その言葉を待つと、彼女は口を開いた。
「私が、なぜ現れたのか…………貴女なら、恐らく察していることでしょう。」
「………はい。」
「…………。」
会話が止まった。
彼女を責めるつもりは、毛頭無かった。
彼女は、それでも自分を想い、見守っていてくれたのだろうから。
「…あの子から、話は聞きました。」
「そうですか…。」
「……まさか、あの子が…。」
「。」
幻影の師は、ゆっくりと動く。そして自分の頬を優しく撫でてくれた。
実際には触れていないはずなのに、どうしてか温もりを感じる。
「あなたが、”あの時”……どうして私にああ言ったのか………ようやく分かりました。」
「………。」
「あなたは、あの子の背負う”運命”が……見えていたんですね…?」
「………えぇ。」
それは、怒りでも悔しさでも憎しみでもない。ただ悲しみのみだった。
少年が、自分の望んだ通りに成長してくれる事は無いのだと思うと・・・・。
「あの子は、まだ……これからゆっくり成長していけると……そう思ってました…。」
「。貴女の、その嘆き………そしてその心は、分かります。ですが…」
「……分かってます。いえ………私は、分かってたのかもしれません…。この地へ来た時から、もしかしたら、こうなるんじゃないかって…。」
風が、髪を揺らす。哀れむように、慰めるように、優しく。
自分の”生”を望んでくれた・・・・・『彼ら』のように。
「あの子が強くなることを……私は望みました。来るべき日のために…。でも、考えてました。あの時、私が……あの子を連れてハルモニアから出なければ…。」
「歯車は……すでに動き出しているのです…。」
「っ…はい…。」
師が、一つ息をついた。そして何故か声を落とすと、続きを紡ぐ。
「貴女の見るように、貴女の考えたように………やがてこの国は、大きな流れに飲み込まれます。貴女なら、それを分かっているはず…。」
「でも、私の”使命”は……」
「…………貴女の成すべき事。それは、”使命”ではなく…………”宿命”となったのです。」
「宿命……?」
「貴女は、本来………この世界の住人ではありませんでした。ですが、”運命”は………」
その先に続いた彼女の言葉。
それは、自身、耳を疑うようなものだった。
・・・・・・ありえない。とても現実とは思えない話だったのだ。
まさか『夢』ではあるまいかと、思わず目を瞬かせたが、師は小さく頷いただけだった。
不意に、師が言葉を止めた。その行動に眉を寄せていると、彼女は、ある一点に顔を向けて「出てきなさい…。」と言った。
そこへ目を向ける。木陰から出てきたのは・・・・・
「ササライ…?」
「……ごめん。」
話を聞いて、意外に自分は動揺していたのか、まったく彼の気配に気付けなかった。
内心『どこまで聞かれた?』と思ったが、どうやらすべて聞かれていたわけではないようだ。先ほど、なぜ師が急に声を落としたのか、見当がついたからだ。
話し始めて、すぐに彼女は、彼の気配に気付いたのだろう。だから彼に聞き取れぬ声で、会話を進めたのだ。身近にあるはずの気配に気付けなかった自分を、なんとも情けなく思う。
「レックナートも、ごめん…。出るタイミングが見つからなくて…。」
「そうですか…。」
「久しぶり……でもないよね。」
「……えぇ。」
「……?」
師と会話の成立している彼を見て、疑問に思った。だが、今の自分は、その『久しぶりでもない会話』の内容を想像できるほど頭が回っていない。師より告げられた”宿命”が、あまりにも自分に釣り合わなさ過ぎて、まだ混乱しているのだ。
「あぁ、レックナート。その節は、どうもありがとう。すごく助かったよ。」
「……いえ…。」
「二人とも……さっきから、何の話を…」
その節とは、いったいどの節か。只でさえ回らない頭が、更に混乱の渦に飲み込まれる。
自分の預かり知らぬ所で、彼らは、邂逅していたのだろうか?
それとも、もっと昔から知り合って・・・・・いや、そんなはずは・・・・。
そう考えていると、師が顔を向けた。
・・・・まぁ、良いか。双方共に答えないのなら、自分が知るべき事でないのだろう。
そう考えて、彼女をじっと見つめていると、状況を察してくれたのかササライが「…そこで待ってるよ。」と言って歩き出した。
「。先ほどの話ですが………まだ、天魁星に告げるべきではありません。」
「………はい。」
「理由を述べずとも、貴女なら…」
「えぇ……分かってます…。」
ある程度の時を経て、あの子が強くなったと、自分がそう思えた時に。
そう答えた。分かっているのだから、師にこれ以上心配させることもあるまい、と。
師は、それに一つ頷くと、何を言うこともなく姿を消した。
「レックナートと、何の話をしていたんだい?」
帰りがけ、それまでずっと黙っていたササライが、徐に問うてきた。あんな抽象的な会話を聞いていたのだから、疑問に思うのも当たり前か。
「……大したことじゃないよ。」
「そうなのかい? 歯車が云々、って聞こえたけど…。」
「…………。」
彼は、会話する口実が欲しくて問うて来たのだと今になって分かる。ついでに言えば、それを問うことで少しでも疑問が解消できればと考えているのだろう。
『理解者を作っておくのも、良いかもしれない』と考えた。何故だろう? 分かるはずもない確証のない”勘”が、自分にそう語りかけているのだ。
「……戦争が……起こる。」
「え!?」
「この国で………近いうちに、必ず大きな戦争が起こる。」
漠然とし過ぎるその言葉は、流石に彼を驚かせたようだった。
自分とて、どうしてそんな言葉を選んだのか、分からない。
ただ、あくまで”漠然とした未来”を伝えておけば良いと思った。
「…どういうことだい? それなら、なおさら逃げた方が…」
「駄目だよ…。私たちは、逃げられないから…。」
「どうして…?」
「……ごめん。今はまだ、それしか言えない。今は…。」
自分も師の言葉で混乱していたが、彼はもっとだろう。
なんと自分勝手なことを言ってしまったのだろう。口にしたことを少し後悔したが、言葉にしてしまった手前、もう後には引けない。自分達の違いは、混乱の度合いだろう。彼は、きっと今の言葉で『戦争が起こる事が確定している』と理解してくれたはず。
しかし、戦争は起こるものの、逃げることが許されないというその『理由』。それをすべて理解できずとも、自分がこれから取っていく行動で、彼はきっと分かってくれる。『自分達が”それ”に介入していくのだ』と。
「分かったよ…。」
「……ごめん。」
「いいんだよ。少しでも、きみの口から聞けたんだから…。」
「………ありがとう。」
果たして、彼に告げて良かったのだろうか?
彼に告げたことで、未来を変えてしまったのではないだろうか?
『答え』は、分からない。
でも、自分の”勘”を信じてみようと思った。
彼は、きっと力を尽してくれる。
これから起こる戦いのために。
自分のために。
そして・・・・・・あの少年の為に。