[調和のための合間]
それぞれの想いを胸に、夜が明けた。
早朝、が一番最初に目を覚まし、ササライを起こす。それから二人で子供達を起こし、軽い朝食をとってからの出発となった。
ササライは、前を歩くルシファーを見つめた。
体力精神ともに疲労が激しいようで、その後ろ姿にいつもの活気は見られない。昨日のこともそうだろうが、何より彼女に言われた強烈な言葉が一番の原因だろう。ヒギト城塞方面へ伸びる橋へ向かいながらも、少年の心はここに在らずだった。
しかし、決定権を託した少年がこうでは、どうしようもない。自分とて昨夜の出来事を目にして思う事は沢山あったが、それを頭の隅に押しやってでも先に進まなくてはならないのだ。
ササライは、彼女が変装していても橋を渡ることは危険と考えていた。手配されているというのだから、服装や髪型など細かく詳細が伝わっているはず。それら全てを入れ替えたとしても、その連れとなっている自分達はどうだろうか?
もし、連れがいるという事を皇帝が聞いていたら? 目撃情報など、簡単に耳に入れているとしたら?
いや・・・・あのティムアル=ケピタと接触した事が、そもそもの間違いだったのだ。
彼女は、暫く大丈夫だろう。しかし、今度は、自分達が『爆弾』となる。
歩きながら思案に暮れる。橋までは、あと少しだ。
と、ここで肩を叩かれた。子供達は自分の前を歩いているので、彼女だろう。どうしたのかと問えば、彼女は「…橋から東沿いに道を逸れて。」と言った。
「東沿いに? でも、そうしたら首都の方に行って…」
「良いんだよ。実は、先日の船頭に、そこで待つよう頼んであるから…。」
「先日のって……ニギィ、だっけ?」
「…うん。」
どうやら彼女は、あの船を降りる時に、すでに二度目の橋渡しを頼んでいたらしい。「その分の額も、もう払ってあるから…。」と付け足したが、何故かその表情は苦いものだった。
「どうして、そんな顔をするんだい? 準備は万全に整えていたのに。」
「……本来なら、全部あの子の判断に任せた方が良いと思ったんだよ…。でも、そうも言ってられない…。多少なりとも、今は、手を回していた方が上手くいくから…。」
なるほど、確かに。戦争が起こると彼女が言いきったのだから、それまでは裏で根回ししておいて良いのかもしれない。
「それなら、これからは、僕が代わりに表立とうか?」
「いや、私がやるよ…。」
「?」
「その答えは……まぁ、その内にね…。」
そう言われてしまえば、もう求めることは不可能だ。いい加減、それにも慣れている。
だから、困ったように笑いながら「…そっか。」と返した。
そして、少年たちに、以前の橋渡しの人物を東沿いに待たせてある事を伝えた。
またも先日の悪夢が・・・・。
そう思った通りに、ササライは、やはりニギィの近くに座るハメになった。
どうして、こういう時だけ僕って運が悪いんだろう。素直にそう思う。
相変わらず船頭は「ヒヒッ!」と不気味に笑っているし、出来うる限り同じ轍は踏むまいと考えていたのに、船酔いは容赦なく襲いかかって来る。
船を下りて、ニギィに「助かったよ…。」と小声で礼をいう彼女に目を向けながらも、嘔吐感が止まらなかった。
あぁ、またも彼女におぶられるのか・・・。二度目の失敗という苦渋に情けなさが込み上げたが、リアルに込み上げてくる吐き気には勝てない。故に、またもおぶられながらトルマリンの加護を介して彼女に症状を和らげてもらう、といった結果になった。
・・・もう、絶対に酔わないようにする。
次は、気力根性すべてを振り絞る。三度目は、絶対に。
ある程度、酔いが治まった頃。
彼女から、ヒギト城塞周辺に関する話を聞いた。
ヒギト城塞の守備者であるシェルディーという女性が管轄する西方では、漁業が盛んなのだという。ハルモニア神聖国より海を隔てた東方に位置するこの国では、一番の栄えとなっているのだと。その南方にある『ルプト城塞』が管轄する地域でも、また漁業が行われていると言っていた。
なにせヒギト城塞を南に下って行くと、大きな港町──ロズウェルと言ったか──があるというし、地図には記されていないが、そこから首都へ赴く際にも商人の集うキャラバンがあるらしい。幻大国内では一番狭い地域であるが、交易や友好国からの物資は、ほぼこのルートからだと聞いた。
尚、付け足すように『フレマリア親王国、そして、スカイイーストとは停戦中だが、いつ再戦になってもおかしくない状況が続いている』と、彼女は言った。
話を聞き終えたところで、チラリとルシファーに視線を向けた。
少年は、相変わらず元気がなかったが、そんな彼を元気づけるように三兄弟が頑張ってくれている。
子供は、子供同士。大人は、大人同士の話をしながら、ヒギト城塞を目指した。
早朝から出発した為か、昼過ぎにはヒギト城塞に到着することが出来た。
城塞といえど、少し離れた場所には城下町がある。
だが、検問が行われていないことにササライは首を傾げた。
街の雰囲気を見る限り、何か罠が張られている気もしない。人々は警戒心なく道を歩き、野菜や魚を売る威勢の良い声が聞こえる。城塞があるとは思えぬほど、明るく朗らかな活気があった。
自分同様、彼女も罠がないか警戒していたようだが、同じく『…気のせいか』と考えたのだろう。ふっと息をはいて歩き出す。
ほとんど人通りの無い場所に行くと、リンが路地に入って行った。そして「よしっ!」と声を上げると、握りこぶしを作る。
どうしたのかとルシファーが問うた。
「リン、どうしたの?」
「ルシファー達は、暫くここで隠れてて! 私たちは、城塞に行ってくるから。」
「え、城塞に…!?」
「大丈夫よ、安心して! ここの守備者は、私たちの『叔母さん』だから!」
「えっ!? ちょ、ちょっと…!」
聞き捨てならない言葉だ。ルシファーが思わず止めようとするも、「目立たないように隠れててよ!」と強く言って、リンは下二人を連れて城門へと歩いて行ってしまった。
「……やっぱりか。」
「……なるほど。そういう事だったんだね。」
「え、二人とも…どういうことなの…?」
ササライは、呟いた彼女に『ようやく理解出来たよ』と一つ頷いたが、ルシファーだけが理解出来なかったようで目を瞬かせている。しかし少年は、彼女と目が合った途端、俯いてしまう。
それを見て、『ルシィは、彼女が昨日の件で怒っていると勘違いしてる』と考えた。それ故、少年に近づきそっと囁く。
「ルシィ…。もしかして、を避けているのかい?」
「え…?」
パッと顔を上げた少年は、『どうして分かったの?』と目で問うている。
「は、怒ってるんじゃないよ。ただ…」
「ただ…?」
「ルシィに、自分で色々考えて、ちゃんと結論を出した上で行動して欲しいって思ってるんだよ。」
「僕に…?」
「うん。今まで、きみは、何でも彼女の言う通りにしてきたよね? でも、これからは……少しずつで良いから、きみ自身で『決められる』ようになって欲しいんだと思…」
「ササライ。」
ここで彼女が口を開いた。心無しか、その声は不機嫌そうだ。
振り返れば、『どうして答えをくれてやる?』といった顔。
「ふふ、ごめんバレちゃったよ。でも多分、彼女はそう考えていると思うから。」
「う、うん…。」
「いきなりは、無理かもしれないね。でも、少しずつで良いんだよ。」
「うん……ありがとう、ササライ。」
ホッとしたように礼を言われ、思わず微笑む。その頭を撫でてから、彼女の傍に戻った。
じっと睨まれてしまったが、小声で「…ごめんね。」と言うだけに留める。
彼女と少年の間に挟まれているのも悪くないかもしれない、と思った。
彼女は彼女の、そして少年は少年の葛藤があるのだろう。行く道も違えば、選択も違うはず。
これから彼女は、それまで見せていた『母』という立場を捨て、『』という人物に戻って少年と接するだろう。それは分かる。分かってしまったからこそ、自分が間に入れば良いと思った。
少年にとって、母でない彼女は、これからきっと厳しく冷たい人間として映るかもしれない。でもそれだけではない事を、自分が教えてやれば良い。少年の心と彼女の迷いを調和させていく為に、自分が間に入れば良い。
きみを愛しく想っているからこそ、彼女は、あえて厳しい言葉をかけるのだ、と。
「親の心も、子の心も、難しいものなんだね…。でも、勉強になるよ。」
「ササライ…?」
「ふふ、なんでもないよ。独り言。」
ふと自嘲的な笑みが零れた。
少年にとって、彼女は、まぎれもなく『母』なのだろう。
では自分は、少年にとって・・・・・・?
そんな意味合いが、込められていたのかもしれない。