[美麗の守備者]
「初めまして。私は、このヒギト城塞の守備を任されております、シェルディーと申します。」
にこやかに名乗った女性は、とても『城塞』と呼ばれる場を守備する長とは思えぬほど、艶やかで美しかった。
ササライは、その姿を目にして『確かに、三兄弟の末っ子と血の繋がりがある』と思う。透けるような銀の髪に、ルビーのような赤い瞳。優しげに微笑む顔は、暖かい印象を見せる。ライラを知っていれば、確かに彼女の叔母だと分かる。
美しい守備者の言葉を受けて、一歩前に出た。
「初めまして。唐突な訪問で、大変申し訳ない。」
「いえ…。リンから事情はお聞きしました。ラミでは、あの子たちが大変お世話になったそうで…。叔母の私から、お詫びとお礼を申し上げますわ。」
「いえ、彼女たちにも怪我はなかったので、僕らも安心しています。」
にこやかに対話するササライ。シェルディーが、その言葉に「お優しい方ですのね。」と微笑む。
彼が会話を率先して引き受けてくれたのは正解だと、は思った。ルシファーはと言えば、彼の隣で談話を聞いている。なまじ姿を変えたと言っても、自分は追われている身だ。それにルシファーでは、守備者と対等な会話は出来まい。
なるべく守備者と顔を合わせないように、視線は斜め下に向けた。
「それで、本題なのですが。」
ササライがそう言った瞬間。
それまで穏やかだったはずの守備者の空気が変わった。それはピリ、としたものではなく、少し重苦しく感じるような。見かけの割に気さくで明るそうな女性は、くるりと背を向けると、言った。
「……本来ならば、姪の顔を立てて、貴方がたを逃がして差し上げたい所なのですが…。」
「…………。」
「つい今しがた、正式な手配書が回ってきてしまいました。そちらの女性……………さん。貴女を『見つけ次第拘束しろ』という通達が。」
あぁ、やっぱり駄目か。そう思ったが、予想していたのだから仕方ない。
これは一線交えなくてはならないか。そう思い、すぐに臨戦態勢に入れるように拳を握っていると、ここでルシファーが声を上げた。
「そ、そんな! は、人殺しなんてしてないです! ずっと僕たちと一緒にいたんだから!!」
声を上げた少年。その言葉を聞いて、シェルディーは僅かに眉を寄せた。
それは疑問として脳裏に浮かび上がったものであるが、通達と少年の話が食い違っていた為だ。手配書には、彼女が『殺人を犯した』などと書かれてはいなかった。ただ『という女性を見つけたら、すぐに拘束し、首都へ護送するべし』というものだった。
噂によれば、どうやら城内へ不法侵入した挙句に皇帝へ刃を向けた、とのこと。言っては悪いが、皇帝の命を狙うなど、殺人以上の大罪である。
しかし、目の前の少年が嘘を言っているようには見えない。真っ直ぐで純粋そうなペールグリーンの瞳は、隠し事をしている色がない。
それならば、もしかして・・・・この少年は、彼女が何をしたのか知らないのだろうか?
そう思い、ふと視線を向けると、渦中の彼女と瞳がかち合った。
こうなってしまっては、仕方ない。もう諦めるしかないか。
一戦交える覚悟をして、は静かに息を吐き出した。
「ササライ……お願い。」
「うん、分かった。ルシィ、ちょっと外に出ててくれるかな?」
「え…ちょっとササラ…!」
有無を言わさず、彼が少年を部屋から出した。少年が何か言う前に、扉を閉める。
その間、守備者は微笑んでいた。兵を呼ぶこともなく、戦いの気配を見せるでもなく。
少年が部屋を出たのを確認して、は口を開いた。
「……ミルドか。流石に手回しが早い。」
「えぇ、そうですね。ところでさん。貴女とは、一度この国でお会いしたことがありますね? 確か、4年前の…」
「なんのことだか。これが初対面だと思うが?」
「……まぁ、良いでしょう。手配書を見て、驚きましたわ。”あの”という女性が、こんな所にいるなんて、思いもしませんでしたから…。事情を聞くなんて無粋な真似は、致しませんわ。」
「……そうか。交渉決裂か…。」
「えぇ。残念ですが…。」
そんな女性二人のやり取りを見て、ササライは『戦いは避けられないか』と考えた。
何かあった時にすぐに対応出来るよう、小さな声で詠唱を開始する。
だが、それとは反対に、守備者は微笑んだまま特に何かしてくる気配はない。
「………?」
女性二人を交互に見つめる。
と、妖艶に微笑む守備者の正面に立っていたが、一つ息をはいた。そして何を思ったか、「…感謝する。」と言って踵を返し、部屋を出て行く。
守備者は、それに「ですが、次はありませんよ。」と答えると、何をするでもなく長い銀髪に指を通した。
「……事態が、飲み込めないんだけど…。」
執務室を出て扉を閉めてから、ササライが問うてきた。ルシファーはといえば、閉め出しを食らった事で拗ねたのか、下唇を突き出して『結果』を聞きたそうにしている。
その兄弟の反応の違いに、思わず苦笑してしまった。
「ってば…!」
「『逃げる手助けは出来ないが、今回ばかりは、姪の顔を立てて見逃してやる』ってことだよ…。」
「え?」
「……公私を、上手く使い分けたんだよ、彼女は…。」
ようやく理解したのか、ササライが「あぁ、なるほどね。」と頷く。だがルシファーの方は、よく分からなかったのか唸っていたので、完結に「ふりだしに戻った。」と説明してやると理解したようだ。
守備者ゆえ、手助けが出来ない『公』。だが反対に、姪を助けてくれたことに対する、見逃すという『私』。あの守備者は、その間を上手い具合に見極めたのだろう。ああいう女性を見るのは、どれくらいぶりか。
「でも……これから、どうすれば…。」
「それは、お前が決めなさい。」
「……うん。」
考え込む少年。
すると、ササライが声をかけた。
「ねぇ、ルシィ。ロズウェルに行ってみないかい?」
「ロズウェルに? でも、なんで? あそこにも、手配書が回ってるかもしれないよ?」
「さっき、ここの兵が話しているのを小耳に挟んだんだけど…。この国に交易をしに来る人は、大抵このヒギト城塞から一旦ロズウェルに寄るらしいんだ。簡単に言えば、この国の人間じゃない人が多いってことだよ。」
「あ、そっか!」
彼の意図が理解できたのか、少年はポンと手を叩く。
確かに手配書が回っていたら危険な事に変わりはないが、自分は完璧に変装している。先のシェルディーの話からして、この二人は手配されていないだろう。
それならば・・・・・。
静かに笑っていると、ササライと目が合った。
すぐに出発しよう! そう言い、目の輝きを取り戻した少年から視線をずらすと、隣に立つ彼女と目があった。彼女は「…上出来だよ。」と笑っている。
「ありがとう。」
「それと………もうすぐ『パーティーが増える』から、あんたも少しは楽になるよ。」
「え?」
彼女は、そう言って歩き出した。
パーティーが増える。ということは、『彼』そろそろ到着するのだろうか? 自分達の後を追うと言っていた通りに、時間短縮の為、ハルモニア方面から海を横断してくると。
・・・そうか。『彼』がもうすぐ到着してくれるなら、自分もかなり楽になる。
「あぁ、良かった。もう八方塞がりなのかと思ったよ。」
「いや……思った以上に、逃げ道ってのは、次々と生まれてくるものだね…。」
「きみが意外そうな顔をするなんて、珍しいね。」
「…私にだって、読めることと読めないことがある。それに、あまり頭を使うのは得意じゃないからね。」
少しだけ、心が和やかになった。
城から出る頃には、日が西へと傾きかけていた。
これからどうなるか分からないが、『彼』が加わってくれる事で、また新しい道が開けるかもしれない。
「なんだっけ? 三人寄れば文殊の知恵、だったかな…?」
「あんた………そんな言葉、どこで覚えたの?」
「が言ってたんだよ。でも、彼は、きみに聞いたって言ってたよ。」
「……言われてみれば、そんな話をしたこともあった気が…。」
そんな会話をしながら、街を出て。
そんな事で笑いながら、次の街へ向かう。
ゆっくりと、陽は落ちていく。
夕暮れに染まる城塞は、堅固ながらも柔らかい空気を醸していた。
その最上階にある一室で、守備長シェルディーは、ふと執務の手をとめて立ち上がる。
すぐ後ろにある大きな窓から空を見上げていると、ノックの音。入りなさいと答えると、すぐに扉を開けて入ってきたのは、腹心の部下だった。
彼は、暫く口を閉ざしていたが、自分の沈黙に耐えかねたのか問うてきた。
「宜しかったのですか? シェルディー様…。」
「……なんの事かしら?」
「はぐらかさないで下さい…。あの者たちの事です。」
「…………えぇ。良いのよ。」
納得できないのか、腹心が「何故です?」と詰め寄ってくる。
それを手で軽く制して、笑みを向けた。
「姪を、助けてもらったのよ。」
「……は?」
「だから、彼女達は、私の可愛い姪っ子たちの危機を救ってくれたらしいのよ。」
「で、ですが、これは……!」
「……貴方の言いたい事も、もちろん分かっているわ。でもね………例えあの場で戦ってたとしても、私じゃ到底適わない。」
「な、なにを仰るのです!? シェルディー様の魔力を持ってすれば、あのような者たち…!」
腹心の言葉。それを聞いて、思わず笑ってしまった。
何とも愚かしいことか。だが、それが普通の反応なのか、と。
「貴方は、何も知らないから……そんな事が言えるのね。」
「どういうことですか?」
「…そろそろ下がりなさい。それと……今回のことは、決して口外しないように。」
「ですが…。」
尚も引き下がろうとしない腹心に、シェルディーは目を向けた。ルビーの凍てつく瞳をもって。すると、戦いを知る彼は体を震わせる。
「…ねぇ。貴方にも、家族がいるでしょう?」
「っ…。」
「ふふ、冗談よ。貴方のことは心から信頼しているし、殺し合いは好きじゃないもの。」
「………存じております。」
そう言って、部下は下がった。笑みを浮かべながら見送り、暫く。
もう一度、窓の外に見える茜色の空を見上げた。
「ミルド様も、本当にお人が悪いわ。いくら、この国の重要守備を任された私でも…」
ふ、と自嘲的な笑みが零れた。
『彼女達』を知っているからこそ、戦ってはいけないと考えた。
その笑みの真意を知る者は、ここには居ない。誰も・・・・。
そう分かっていても、呟かざるを得なかった。
「いくら『元』とはいえ………ハルモニアの『副神官長』や『神官将』をしていたあの二人を相手に、私一人でやり合うなんて出来ないじゃない…。命がいくつあっても足りないし…。それに…………私だって、命は惜しいからね。」
欠けていた星が、一瞬、どこかでキラリと瞬いた。