[合流]



 ロズウェルへ到着したのは、真夜中だった。
 相変わらずどの街でも検問は行っているようだが、人の出入りが激しいこの地では、完全に変装してしまえば通り抜けることは簡単だった。服だけでなく髪も目の色も変えてしまったのだから、当たり前か。
 それに内心苦笑しながら、は、そろそろ眠くなっているだろうルシファーを見た。ここの所、遅い時間に眠り朝早く出発するという行程ばかりだったので、いつも元気だったはずのこの少年にもだいぶ疲れが見え始めている。ササライも同様に、足下がふらついていた。
 それを目にして、とっとと宿を取って休ませようと考えた。

 『お泊まりはこちら!』と書かれた看板の示す場所に、宿があった。
 港町というだけあって、少し潮の匂いを含んだ木の扉を開けると、賑わう声が聞こえてくる。どうやら地下からのようだ。仕事を終えた男達が、夜明けまで飲んだくれて騒いでいるのだろう。楽しそうなかけ声の後には、何が面白いのか大笑い。だが、悪い酔い方はしていまい。

 受付に行き、呼び鈴を鳴らすと、宿の主人が出てきた。

 「三名だけど……部屋は空いてる…?」
 「えぇ、ございますとも! ですが、四人部屋になってしまいます。」
 「…構わない。四人分払うよ…。」
 「申し訳ありません。では、400ポッチでございます。………はい、確かに。」

 代金と引き換えるように、部屋の鍵を受け取る。「お部屋は、三階の一番奥です。」と言った主人には、ササライが「ありがとう。」と返している。
 ルシファーはといえば、潮の匂いが珍しいのか、先ほどから鼻をスンスン鳴らしていた。

 階段の所々にかけられたランプが、自分達を照らす。
 ギシ、と三人分の音を上げる、木造の階段。

 「ねぇ、ササライ。何か変な匂いがするよ?」
 「…あぁ、潮の匂いだね。ここは、海の近くだから……部屋は三階だから、向きが良ければ見えるよ。」
 「わぁ!」

 少年の問いに、クスリと笑いながら答える彼。少年は、海と聞いて目を輝かせていたが、ふと両手で頬をパチパチ叩いた。

 「どうしたんだい?」
 「……ここから逃げ出すまでは、気は抜けないんだよね?」
 「そうだけど…。」
 「絶対に、三人で脱出しようね!」
 「…うん、そうだね。」

 頑張ろう! と意気込む少年を見て、彼はそう答えていたが、はその話に首を突っ込むことはおろか、聞いてない風を装った。






 部屋へ入るなり、少年は「お風呂に行ってくる! 良い案が浮かぶかもしれないから!」と言い、出て行った。
 それを見送った後、残ったのは、自分と彼女。

 「でも、本当に……これからどうしようか?」
 「…………。」

 旅荷を置いて、上がって来る前に主人から渡された湯入りの陶器製ポットを手に、ササライは紅茶を入れた。
 それに反応することなく、かつ言葉を発することなく、彼女は窓を開けて空を見上げている。何やら思案しているのか、その視線がふと地に落ちて、暫くしてから口を開いた。

 「……考えるのは『彼』が、ここに着いてからでも良いよ…。」
 「でも…」
 「……『彼』なら、ルシィの良いサポート役になってくれる。そう思わない…?」
 「それは、そうだけど…。」
 「………私も、いつまでも逃げ回ってるわけには、いかないからね。」
 「えっ?」

 そう呟いた彼女に、首を傾げる。今の物言いは、『いずれ対峙しなければならない』と言っているような・・・・・。イルシオ幻大国皇帝である、ミルドと。

 「?」
 「……現実を教えることも、友人としては、当然のことなんだろうね…。」

 「あいつが、私にしてくれたように…。」と、困ったような顔で言う彼女。その『あいつ』が誰なのか分からなかったが、彼女の口から絶対に名前が出てくるはずもない。
 ササライは、知るはずもなかった。その人物が、ハルモニア神聖国の現副神官長の片割れである『』だということを・・・・。

 彼女は、ふ、と息をついた。それに答えるように、風が優しく彼女を撫でる。
 揺らめく髪が、サラサラと流れた。

 「もしかして……行くつもりなのかい?」
 「……さぁ?」
 「、僕は真面目に聞いているんだよ?」
 「…私だって、真面目に答えてる。ただ、タイミングを計ってるだけ…。」

 薄く微笑まれてしまっては、言葉に詰まる。

 「どんなことも、やるタイミングがある。……運も必要になる時もあるけど…。」
 「それは、そうかもしれないけど……でも、今の、きみは…」
 「私は、大丈夫。」

 はっきりと言いきる彼女。そう言うだけの相応の自信や策があるのだろう。
 けれど、自分の心配は、それだけじゃない。

 「だって、きみは……紋章を……」
 「それ以上は、言わないで。」
 「でも…」
 「ササライ。私は、あんたに隠し事はしていても、嘘をついたことは無かったでしょ…?」
 「…………。」

 分かっている。彼女は、物言いこそ厳しいことがあるが、自分に嘘をついたことはない。
 そんな事は分かっていた。

 と、彼女が、不意に顔を上げた。そして、徐にドアに向かって歩き出す。

 「、まだ話は…」
 「…迎えに出てくる。」
 「え、まさか…」

 椅子から立ち上がる自分の横を過ぎて、彼女はドアを開けながら「…到着したみたいだから。」と言って、扉を静かに閉めた。






 『彼』の辿った経緯は、ハルモニアから船を使ってヒギト城塞へ、そしてロズウェルというものだった。『自分には、常にきみが何処にいるか分かるから、きみが着いたと分かれば直ぐに迎えに行く』と、そう約束して先にこの国へ来たのだ。

 彼がもう到着すると分かっていたので、宿を出て──ルシファーが風呂に行ったのは良かったのかもしれない──街門へと向かう。深夜ということもあり、人はまばらだった。街の作りは複雑でないため、先にある角を曲がれば、もう街門に着く。

 だが、角を曲がろうとした所で、不意に右手に激痛が走った。

 「っ!!!?」

 その激痛と共に襲いくるのは、極度な全身の震え。立っていることすら出来ずに、その場で膝をついた。自分の意思とは裏腹に、『抵抗』は、さらに大きくなっていく。

 「ッ、くそっ…!!!」

 「あの……どうしました…? 大丈夫ですか…?」

 頭上からかかった”声”。
 心配そうなその声色は、朧げになっていく意識の中、どこかで聞いたことがあるような・・・・。
 声をかけてきた人物が、自分と目線を合わせようと膝をついたようだが、右手の痛みに耐えているため、顔を上げることが出来ない。

 「…どこか……具合でも…?」
 「くッ……何でも、な、い……。」
 「…その声……?」
 「っ…?」

 名を呼ばれた、その瞬間。驚くほどの早さで、痛みが引いた。
 なぜ? そう口にする前に、肩に手をかけられる。
 額に滲んだ汗を左手で拭いながら、ゆっくりと顔を上げる。

 目に入ったのは、鮮やかな『赤』。

 再度「…?」と、自分の名を紡ぐ、落ち着いた少し影のかかる”声”。
 その声の主に対する安堵感と、そして痛みを堪えた疲労感から、思わず口元が緩んだ。
 そして地べたに手をつくと、ようやく『彼』の名を口にした。

 「……久しぶり………。待ってたよ……………………。」