[ずっと傍にいるから]



 を連れて、宿へ戻った。
 すると、風呂から上がってきたばかりなのか、部屋ではルシファーがササライに頭を拭いてもらっている姿。
 少年は、を見るやいなや、目を輝かせて飛びついた。

 「!!」
 「…ルシィ……久しぶり……。」
 「元気だった? 僕、が早く来ないかなぁって思ってたんだよ!」
 「そっか…。僕も……ルシィに会いたかったよ。」
 「へへっ!」

 にこにこ顔の少年に、が静かな笑みを向ける。
 ササライが席を立ち、彼に右手を差し出して挨拶した。

 「やぁ、久しいね。道中なにごとも無かったようで、安心したよ。」
 「…うん。ササライも、元気そうでなにより…。」
 「うん。あ。申し訳ないんだけど、先に話しておかなきゃいけない事があるんだ。」
 「……話しておきたいこと?」

 合流を喜びたい所ではあるが、如何せん状況が状況だ。視線を向けると、ササライが席についた。はそれを見て何やら思案していたようだが、同じく席につく。

 「。」
 「分かってる。……。追ってきてもらっておいて何だけど、マズい事になった。」
 「まずいこと…ですか…?」

 追われる身になった。そう話すと、彼はテーブルに視線を落とした。追われる本人は自分だが、その連れであるササライやルシファーも、もしかしたらお尋ね者になる可能性があるかもしれない、と。
 彼は暫く思案していたようだが、やがて誰もが出す答えを口にした。

 「それなら……一度、フレマリアへ逃げた方が……」



 顔を上げてそう述べると、とササライが沈黙した。
 ふと彼女が、ササライに目配せしたのが気になったが、次の彼の言葉で理解する。

 「そういえば、ルシィ。さっき海が見たいと言ってたよね?」
 「え? う、うん…言ったけど…。」
 「昼の海も良いけど、夜の海もとっても綺麗だよ。一緒に見に行かないかい?」
 「で、でも、まだ話が…」

 彼の少年に、これから先の話を聞かせてはならない。
 強引に少年の手を引いて「ほら、行こう。」と部屋を出ようとするササライの行動言動。それを見て、はそう感じた。だが、それを隠して「行ってらっしゃい。」と静かに微笑む。

 ・・・・・パタン。

 部屋の扉が閉まったが、ササライに何事か不満を告げる少年の声が聞こえる。
 それが階下へ下り聞こえなくなったところで、彼女が口を開いた。

 「……。この国で………戦が始まる。」
 「えっ…?」
 「……レックナートさんが………あの子の前に、姿を現したらしい…。」

 そう言いながらベッドに腰掛ける彼女。その体を受け止め、キ、と軋む音。

 「そんな………あなたは、どうするんですか…?」
 「私は、ここに残る…。もちろん、あの子達もここに残す…。」
 「何故…?」
 「レックナートさんが現れる『意味』は……知ってるよね…?」
 「……はい。」

 そっと目を伏せる。
 過去、自分が体験したあの苦しみを、今度はあの少年が経験するのか。だが、それこそが、彼女の師が姿を現した『理由』。
 しかし、戦争へと身を捧げるのがあの少年とは。運命という言葉は、好きじゃない。けれど、それがそれでしかないと言うのなら、きっと誰も逃げられはしない。

 「……あんたは、ここから離れた方が良い…。」
 「……いえ…。僕も、出来る限りのことはしたいと思います…。」
 「でも…。」
 「……協力といっても、僕には、影からの支援ぐらいしか出来ないかもしれませんが…。」

 彼女がベッドから立ち上がり、椅子に座り直す。
 テーブルの上に置かれたその手に、ふと目がいった。

 左の薬指には、かつて自分の親友が贈ったのだろう、銀の指輪。
 そして右手中指には、自分の戦友であり彼女の『家族』であった少年の、形見の指輪。
 昔、その腰にはいていた刀に括られた翡翠の紐は、『彼女が、彼女の親友へ贈ろうとしていた物らしい』と、彼女の最古の友人から聞いた。
 そして、それと同等に括られた、青・空色・白の玉の連なるイヤリングは、同じく彼女の『家族』であった女性の形見。

 それら全てを、彼女は亡くした。それでも彼女は、彼らを忘れない。
 今までも、これから続いていく未来へ向かう、その最中でも。

 けれど・・・・・

 彼女は、きっと守られているのだ。他でもない、彼女の愛した者たちに。
 彼女のその”想い”に答えるように、彼らも、きっと彼女を見守り続けているのだ。
 彼女は、それを感じているだろうか? 知っているだろうか?
 それとも、気付いていながら、気付かないフリをしているのだろうか?

 ふと感じたのは、スッ、とした右手の疼き。それは、嫌悪するようなものではない。
 だが驚いて、咄嗟に己の右手に目を向けた。
 今まで、数度同じことがあった。その疼きは、自分が食らっていった者たちが、まだその中で存在しているような・・・・。
 暖かかった誰かが、語りかけるように「…なぁ?」と、自分に問うている。『いつも一緒だ』と・・・・・僅かに『存在』を主張している。

 それに呼応するように、二度目の疼き。それも、先の語りかけのように優しく暖かい。
 でも自分は、その気配が誰なのか知らなかった。

 開けられた窓からは、またも、その『存在』を主張するような柔らかい風。それは彼女の髪を揺らし、自分の元へやってくる。それと共に鼻を掠めたのは、甘くも物哀しい香り。

 あぁ・・・・・・・・そうだ。

 彼女は、いつも守られているのだ。守ろうとしていた『彼ら』に。今尚愛し続けている『彼ら』に。そして、これから先も愛され続けていく。
 じっと、色の変わった彼女の蒼穹の瞳を見つめる。考え事をしているのか、自分の視線に気付いても、彼女は目を合わせようとはしない。
 髪や瞳の色を変えたとしても、その奥に宿る『闇』を隠すことは、決して出来はしないのに・・・・。

 彼女は、気付いているのだろうか?
 そして、彼らを感じてくれているだろうか?

 『因果でも、運命でも……まして呪いでもなく…………彼女が愛する”すべて”に、彼女は、愛されているのです……。』

 彼女達を追いかける直前、姿を現し自分にそう告げた、彼の『執行者』。
 どうして今さら自分の前に姿を現したのか、その時は分からなかった。
 けれど、今この瞬間、ようやく理解できた。

 『愛されていることを、彼女自身が気付き、認めることこそが…………彼女の──なのです……。』

 あぁ・・・・そうだった。そうだったんだ。それが、彼女の・・・・。
 けれど、自分がそう理解しても、それを伝えてはいけない。
 なんとも皮肉なものだと思った。ただただ心が痛む。
 自分でそうと気付いてしまっても、それを彼女に伝えることが出来ない。例え言葉にしたとしても、彼女自身が認めないのだから。
 彼女自身が、『それ』に気付かなくてはならないのだから・・・・。

 けれど、知ってしまったからこそ、歯痒いと思った。
 始まりすら告げていないこの時に、唯一、それを知ってしまった自分が。

 ならば、自分はどうするべきか。彼女や少年のために、自分が出来ること。
 たった一つしかないのなら、それを全力でやれば良い。



 は、ゆっくり息を吐き出すと、彼女に告げた。

 「僕は……あなたと同じように…………ルシィの成長を見守りたいんです……。」



 『どうか……………あなたが、”それ”に気付く事が出来るように………。』