真っ直ぐ自分を見つめてそう言ってくれた、彼。
それを見て、懐かしい『誰か』が、その瞳を介して重なった気がした。
その右手で眠っているだろう、優しくて大好きな『彼ら』が・・・・・。
[後遺症]
「……ありがとう、。」
「いえ…。」
ふ、と髪を撫でる風。それに目を閉じながら礼を言うと、彼はそっと目を伏せた。
彼がパーティーに入ってくれるということは、自分に時間が出来るということだ。
彼は、あの少年のことをよく見てくれていたし、何よりあの少年は彼に懐いている。
今なら自分は、彼らから離れても平気だと思った。
彼らと離れて自分がすべきことは、一つ。自分が伝えたい事を『彼女』が理解してくれることはないだろう。それは分かっている。しかし、友人として伝えなくてはならない。
すべてが狂ってしまう前に。そして、全てが、運命の渦に飲み込まれてしまう前に・・・。
上手くいくはずがない。それは、重々承知している。抗うことは出来たとしても、そこから逃れることは、決して出来ないのだから。
「さて…。あんたが来てくれたなら、私が抜けても、もう大丈夫だよね…。」
「え…?」
そう言った途端、彼が顔を上げる。
その瞳が『何を言っている?』と問うている。
「私は……これから、ミルドの所へ行ってくるよ…。」
「……何故、ですか…?」
「さっきも言ったけど……あいつの狙いは、私なんだよ。逃げようにも、ここで戦が起こるとなると、逃げてもいられない。あの子たちは、”宿星”に入ってるんだから…。」
「でも、あなたの魔力なら…」
「……それは無理だよ。あいつの紋章ともう一度”共鳴”しなきゃ、伏せることが出来ない。でも、それ以前に………今の私じゃ、あいつと共鳴しても……伏せきれる自信がない…。」
「………。」
自分の事情を知る数少ない人物である彼に、分かり易い言葉を使って説明する。
だが、彼の顔には、珍しく動揺の色が見え隠れしている。
・・・・申し訳ない。そう思ったが、続けた。
「それに、私は………あいつに『現実』を教えてやらないといけないから…。」
「……まさか、一人で? それなら、僕も…!」
椅子から立ち上がろうとすると、彼が眉を寄せる。
それに少しだけ笑って、頷いた。
「一人で大丈夫だから…。それに、黙って殺されてやるほど、私はヤワじゃない…。」
「それは、そうですが……賛成しかねます! あなたは…」
「大丈夫だよ。”発作”のことなら、心配ないから…。」
「でも…!」
同じく席を立とうとした彼を手で制して、ゆっくり首を振る。彼が抱く懸念を現実にする気は無いが、心配をかけたくなかった。
だから、嘘をついた。
「大丈夫だってば…。少しずつだけど………最近、ようやく制御出来るようになってきた…。」
「でも、あなたは、さっき…」
「久しぶりの発作だったからだよ…。でも、すぐに伏せられたから……もう大丈夫。」
「…………。」
「私の言うことが、信じられない…?」
「いえ……。」
目を伏せた彼から視線を外す。なんともバツが悪い。
でも彼は、きっと分かっていても騙されてくれる。騙されてくれることを願う。
こればかりは、譲れないのだから。
「本当……ですね?」
「……うん。私を信じて。」
目を伏せたまま、彼の最後の問い。
それにはっきり答えることこそ、彼に諦めてもらうに必要なのだ。
だが彼は、先ほどより強い眼差しで自分を捉えて、言った。
「必ず…………必ず、戻って来てください…。」
「………。」
「ルシィのためにも…………『彼ら』の為にも。」
「……分かってるよ。元々、死ぬ気は無いからね。」
ゆったりとした足音が聞こえてきたのは、それから半刻も経たない内だった。
ガチャ、と扉を開けた音に振り返れば、そこにはササライ。彼は、開口一番「ルシィは、ちょっと考え事をしたいから一人にしてくれってさ…。」と言った。だが、次に部屋を見回して顔を曇らせる。
彼は、そこで気付いたのだろう。先ほどまでいたはずの彼女の姿が、見当たらないことに。
「は?」
「…………。」
「?」
向かいの席──彼女が座っていた場所──に座りながら、彼は「お風呂かい?」と問うてくる。しかし、一向に口を開こうとしない自分を不審に思ったのか、眉を寄せた。
「。は、どこへ行っ…」
「首都へ行ったよ…。」
「なっ…!!」
そう言った途端、ガタッと椅子が鳴った。
顔を上げれば、彼が、眉を吊り上げて自分を睨みつけている。
「ササラ…」
「どうして!?」
「……ミルド皇帝に、どうしても会って伝えなきゃならないことがあると言ってた…。」
「どうして……なんで、行かせたりしたんだ!? 今の彼女の状態を、きみは知ってるはずだろう!!!」
テーブルを叩いて怒りを露にする彼に、目を瞬かせた。普段は、温和で友好的をまるで絵に描いたような彼が、自分に対して牙を剥き出さん勢いで抗議しているのだ。
しかし、自分を責めても意味はないと分かっているはず。
「ササライ……少し、落ち着いて…。」
「っ……は、紋章の力を制御出来なくなってきているのに…!!」
「ごめん…。分かってたんだ…。」
「それならっ………なんで止めてくれなかったんだッ!!!」
正直、ここまで荒れる彼を見たことがなかった。短い付き合いであるものの、それだけで、彼が彼女をどれだけ大切に思っているのか分かる。
「殺されるつもりは無い。あくまで話を付けに行く。そう言ってた……。」
「でも…!!」
じっと彼を見つめた。小刻みに体を震わせている。それが怒りからくるものだと知っていたが、ここまでになるとは・・・・。彼が落ち着くまで、少し話題をそらした方が良いかもしれない。今は、なにを言っても火に油をそそぐようなものだ。
そう考えて、こちらから切り出す。
「そういえば、ササライ………彼女から………聞いた?」
「聞く? 聞くって、何をだい?」
「…そっか。いや、何でもないんだ…。」
そうか。彼女は、話していないのか。
そう考えて別の話題を切り出そうとするも、彼は何か思い当たることがあったのか、言った。
「もしかして……『戦争が起こる』って話かい…?」
「……他には?」
「僕が彼女から聞いているのは、それぐらいだよ。」
「……そっか。」
視線を床に落とす。
彼女は、彼に『宿星が集う』という言い回しをしなかったのだろう。
そういえば、大きな戦の際には必ずと言って良いほど姿を現していたはずの彼女の師は、英雄戦争にだけは姿を見せなかったという。思い出すだけでも辛い思い出は、けれどなるほど『ササライが宿星を知らない』事を教えてくれた。
しかし彼は、自分の行動が気に入らなかったのか、苛立ちを隠そうともせず言った。
「、何か知っているのかい? 知っているなら…」
「……彼女は……戻ってくるよ。」
その話を続けてはいけない。そう思い、彼にそう言った。
「死ぬつもりはない。彼女は、そう言ってたんだ。死ぬつもりがあって首都へ戻るなら、彼女は、そんな風に言わないだろ?」
「それなら、僕も一緒に…」
「…きみは、彼女を追ってはいけない…。もし、きみが捕まったりしたら、彼女はどうなる? 彼女は、きみを置いて逃げることなんて出来ないのに…。」
「僕は、捕まらな…」
「本当に? 本当に、そう思ってる? どんな時でも、その『驕り』が油断を生み、最悪の結果を招くんだ…。」
「っ、分かってるよ…そんなことは、分かってる! が、自ら死のうとするはずがないってことぐらい! でも、僕が本当に心配しているのは、それだけじゃない!!」
「…………”暴走”……。」
彼と同じく、自分もその心配をしていた。
その『事』が、彼女に負荷をかけ続けた先にある”未来”の一つだとしたら?
「そうだよ…。僕が心配しているのは、紋章の暴走なんだ。今のには、『あの紋章』を抑制するだけで手一杯なんだ!! それなのに、ミルド皇帝の紋章とやり合ったりしたら…!!」
「………大丈夫だよ。彼女は、『必ず戻ってくる』と言ってた。そして…………『信じて待ってて』と言ってた…。」
「っ……。」
カタ、と音を立てて、彼が椅子に座る。まるで崩れ落ちるように。
そんな彼を見て、は、ふと誰かに問いかけてみたくなった。宛てる先のない、誰に宛てようとも思わない、無意識なものに。
『彼は、最後まで、彼女の傍にいることが出来るだろうか?』と。
返答は、何処からも返っては来なかった。
ただ、開けられた窓から入ってきた風が、自分たちの頬を優しく撫でていた。