[意味]
海を見に行こうと腕を引かれた時に、またなのかと思った。
その中には、自分がいつも『仲間はずれ』という、幼い気持ちがあったのかもしれない。
でも、今はまだ『それを知るに値するだけの強さがない』と、彼女より前もって言われてしまっていたため、駄々をこねられなかった。
これからどうするのか。その話し合いに、自分も混ざりたかった。
そんな思いとは裏腹に、自分の手を引くササライは、自分と同じく少し寂しそうな顔。
宿の扉を開けると、街が月の灯りを受けていた。
腕を引かれたまま『そういえば…』と思い返す。
あの国で生活していた頃から、もも、時々声を潜めて何か言葉を交わしていたり、静かなやり取りを行っていた。その二人の心境を知る由もないが、確かに・・・。
あの二人が話そうとすると、それを察したササライが自分を連れてどこかへ出かける、ということが多々あった。実際、自分は、あの二人の間で何があったのか知らないし、それを知っているのかいないのか、ササライに問うもはぐらかされてしまう。
今回もまた同じなのだろうか。そう考えていると、声がかかった。
「ほら、ルシィ。見てごらん。海だよ。」
「あ……これが、海…?」
いつの間に海岸へ到着していたのか、顔を上げれば、星輝く夜空に照らし出される海原。
船着き場ではなく、砂地。ここは夜漁も行われているのか、遠目ではあるが船の灯りがちらほら見える。
「わぁ、綺麗!」
「…うん。昼の海も綺麗なんだけど、僕は、夜の海も好きだよ。幻想的じゃないかい?」
「うん!」
緩やかな風に、水面が揺れている。そこに映る月や星も、その中では成す術なく揺らされ、キラキラと光を帯びている。その美しさの中に見えた夜の寂しさに、ルシファーは少し胸が絞まった。
直感的な、というより、幼い自分の考えでしかないが、夜はきっと『彼女』なのだろうと思った。例えるなら彼女は、きっとこの夜を生み出した『闇』なのかもしれない。そして時折見る哀しそうに微笑む姿は、きっと慈悲深いこの『月』だ。
彼女が寂しくないようにと、その周りを囲んでいる星は、きっと自分たち。自分でありたいと願い、また、彼女の憂いを消し去ってやれればと思う、この”心”。
「あのね、ササライ……聞いても良いかな?」
「なんだい?」
「がね……心から笑った顔って……見たことある?」
「…………。」
何となく口に出た言葉に、隣で海を見ていた彼が口を閉ざした。
あぁやっぱり、と思うのは、彼女を見つめる彼の瞳が、いつも物悲しさを帯びているからだ。それも直感としか言いようがなかったが、そう感じた。
「がね……心から、ほんとに楽しそうに笑ってる顔を見た人って……いるのかな?」
「………。」
「笑ってても、いつも、なんて言うか……寂しそうでしょ?」
「………僕が聞いた話では……数人だよ。」
静かにそう言った彼の言葉は、『あくまで人づてに聞いた話』という意味を含んでいた。その後、小さく小さく「…彼女が、闇を知る前の話らしいけどね。」と付け加えられたことを、聞き取ることができなかった。
それは、誰? そう問うてみるも、彼は辛そうな顔をするだけ。
「ササライ、どうして、そんな…」
「……ルシィは、ぜんぜん知らない人だよ。」
「じゃあ、ササライは知ってるの?」
「……一人だけ、ね。」
「そっか。それじゃあ、どうしては、あんな風に笑うの?」
「っ…。」
途端、彼が息を飲んだ。顔を上げて見つめるも、視線を逸らされてしまう。
何か知っているのだろうか? そう思い、それを口にしようとすると、彼は言った。
「ルシィ…。そろそろ宿に戻ろうか?」
「ササライ……何か知ってるの?」
「戻ろう、ルシィ。」
「……嫌だ!!」
小さく笑って腕を引こうとする彼に、思わず声を荒げた。
「ルシィ…?」
「どうして、僕だけ知らないの!? どうして、いっつも仲間外れなの!? 僕は、確かに弱いし、が言ったように、その話を聞くには未熟かもしれない。でも…!!」
「…………。」
知らず知らず、目の前の少年の目からは、ポロポロ涙がこぼれ落ちていた。
拭われない疎外感。元々定まらないものがその器から溢れた出たのは、ササライにも分かった。
でも、それでも彼女の『物語』を語り聞かせる事が出来なかった。
「ルシィ…。」
「僕は……っ…ただ、知りたいだけなのにっ…!」
「……ごめんね。」
「え?」
今の自分には、謝罪することしか出来ない。
どうして言えようか? 『親友と恋人を亡くした彼女から、家族までも奪ったのは自分達だ』と。いくら戦争に身を置いていたとはいえ、『彼女を絶望の縁へと追いやったのは、他でもない自分達だ』と。
それに葛藤しなかったわけがない。おかしな話だが、許されたいと・・・・謝罪したいと思ったこともある。あの国にいたころ、ただ一言それを伝えたいと思っていた。
しかし彼女の友人は、絶対にそれをしてはならないと言った。それをすれば、彼女の傷口は広がり、更に苦しめることになるだろう、と。
だからササライは、たった一言だけしか伝えられなかった。
それは、きっと自分だけでなく、彼女だけでもなく、彼らだけでもなく。
すべての者が、背負っているのだから・・・・・。
「”人”はね…………誰でも、必ず、何かを抱えて生きているんだよ……。」
一人にして欲しい。そう伝え、それに頷いてササライが去って行ったあと。
ルシファーは、何をするでもなく夜の海を見つめていた。
夜空を映す水面は、ゆらゆらと揺れ動いては、ふとした時にそれを止める。
先ほどの、彼の言葉。
人は、必ず『何か』を抱えて生きている。
それが何なのか、すぐに答えを教えてくれないのは、己が未熟だからだ。
では、彼らも、自分が知らない『何か』という物を抱えているのだろうか?
・・・・きっとそうなのだろう。ササライも、も、も。自分の知らないものを、彼らは抱えて生きているのだ。
もし、そうなら・・・・・・・・
「……僕も…?」
そうだとしたら、自分は、いったい何を抱えているのだろうか?
自分が抱えて生きていかなくてはならない『もの』とは・・・・・なに?
その『意味』は・・・・?
『まだ………知らなくて良いよ……。』
「えっ…!?」
不意に、誰かがそう言った。
それは、以前彼女が自分に向けた言葉と同じものだった。
でも、彼女より、言い方が素っ気ない。
自分の知っているような・・・・いや、違う。まるで自分自身のような、その”声”。
冷たく聞こえるものの、その中に感じたのは、見えない優しさ。
「誰…?」
辺りを見回すも、その声の主と取れる人影は無い。悪戯をするにしても人はいないし、まして幻聴でもない。
と・・・・・
クスッ、と困ったように小さく笑う、女性の”声”。慌てて立ち上がり、再度辺りを見回すも、誰もいない。
何だろう? お化けかな? 心の幼い少年が、僅かに臆したのも無理もない。
「……気のせいかな?」
知らなくても良い。とは、自分が無意識に思ったのだろうか?
いやそんなはずはないと考えながらも、何故だろうか、その”声”の言っていることが正しい気がしてしまう。
でも・・・・・
『意味なんて、いらないよ。そんなことより……………自分の──なんかより……』
『貴方は、今………”力”を望むことです。』
「ッ、どこなの!!?」
どこへ目を向けようとも、”声”の主は分からない。
次に聞こえたのは、男女二人の小さな笑い声。
だが、それからぱったり聞こえなくなってしまった。
でも、その”声”がとても哀しそうで、思わず項垂れる。誰かも分からぬ正体不明な”声たち”は、なんと哀しい色をその言葉に帯びていることか・・・・・。
けれど、心は不思議と軽くなった。
「……………。」
顔を上げた。
レックナートという女性の言った通り、そして”声”の言う通り、自分が今一番に望むべきものは、彼らの”過去”ではなく、”力”だ。
また、声が聞こえた気がした。
けれど、ポツリと風に落とされ流されていった『それ』は、駆け出したルシファーの耳には聞こえなかった。
『ルシファー…………彼女を、どうか……』
『………守って下さい…。』