[信じているから]
自分は、分かっていたはずだ。
そう言い聞かせてみるも、胸を這う不安は拭えない。
『死ぬつもりはない』という言葉すら、今の自分にとっては、それを煽るものでしかない。
重々に、承知していたはずだ。
彼女は嘘をつくことはしないし、また、決して自ら”死”を選ぶことがないと。
戻ってくる、という言葉に、嘘偽りは、きっと無い。
でも、思うのだ。
本当は、それら全てが嘘なのではないか、と。
彼女は、何より優しさに溢れた嘘をついているのではないか、と。
そんなことは無いと、もちろん分かっている。
でも、彼女の友人は言っていた。『世界は、個の思う通りに動くことは、決してない』と。
常に最悪の結果を覚悟しておけと、そう言っていたのだろう。それが『現実』となった時、心に負うだろう傷を、少しでも浅くするために。
でも、思うのだ。
決して気付くことの無い、それこそ死ぬまで知らぬ”嘘”は、きっと何より優しい。
しかし、もし”それ”に気付いてしまったら、何より苦しめるのではないか、と。
そんなはずはないと、言いきれるはずもない。
『彼女でも、一つだけ知らないことがある』
そう、彼は昔、零していた。『そして、俺も勿論知らない』と。
それなら僕も? そう問えば、彼は、珍しく悲しそうな笑みを見せて言ったのだ。
『”それ”は………自分が、死の淵に立った時にしか、分からないんだろうな…。』
あぁ・・・・そうだった。
長い長い時を生きてきた者であろうと、一つだけ経験できないものがあった。
それは・・・・・置いて逝くこと。想いを残し、たった一人で旅立つこと。誰かを残して、一人静かに手の届かぬ所へ行ってしまうこと。
それを予想するのは、きっと容易い。けれど『残して逝く者』としてのその”想い”は、きっと、その瞬間になってみなければ分からない。
どうしてか、悲しみばかりが胸に満ちた。
「……ササライ?」
「っ………。何でもないよ…。」
声をかけられて顔を上げると、テーブルを挟んだ正面に座ると目が合った。だが、咄嗟に視線を外す。
情けないことに、ハルモニアにいる頃に散々言われていたことを忘れていた。常に冷静であれとのその言は、きっと自分に必要だったからこそ。その『彼」の教えを、一時とはいえ忘れ、声を荒げてしまった自分を恥じた。
カチャ・・・・。
「……ルシィ…おかえり。」
「ただいま…。」
扉の開いた音にいち早く反応したが、入ってきた少年に声をかけた。少年は、走って戻ってきたのか肩で息をしている。
だがササライは、視線を上げることなく沈黙した。その空気を感じたのか、少年が言葉を濁している。
「ササライ……どうしたの? 具合が悪いの?」
「…………。」
直接声をかけられても、顔を上げられない。
先の苛立ちが蒸し返してくる。でも、理由が無い。もしかしたら、にだけ言葉を残して姿を消した彼女に?
自分が頑張っているとは、口が裂けても言えない。だが、やはり自分は、まだまだなのだろうか? 彼女に頼られたいだけなのに。
しかし彼女の頼る対象は、自分じゃない。『焦る必要なんてないよ』と言ってくれる、もう一人の自分は、今はどこを探しても見つからない。
すると、そんな自分を心配して眉を下げていた少年に、が小さな声で「…大丈夫だよ。」と言った。
しんと静まり返る部屋。
だが、彼女の不在に気付いたのか、少年が先の自分と同じことを彼に問うた。
「ねぇ、……は?」
その言葉に、は「彼女は、用事があると言って出かけたけど、すぐに戻って来るから安心して…。」と答えた。その落ち着いた一定のトーン。それは、少年を困惑させぬための彼なりの配慮だろう。
でも、それを耳にしながらも、ササライの不安は消えることがなかった。
ゆっくり、ゆっくりと。
自分たちは、飲み込まれ始めているのだ。見えない『何か』に・・・・。
いや、もう飲み込まれているのかもしれない。彼女を見ていて、自分は薄々気付いていたのかもしれない。戦争が起こるというその『意味』を。
そして、運命からは逃れられないと言った、彼女の言葉の『真意』を・・・・。
これから先、何が起こるのかは、まだ分からない。ただ『戦が起こる』という事だけは確定している。その言葉の意味は、重々理解している。
でも、覚悟は・・・・?
ザワリと足下から這い上がり、自分の身に纏わりつこうしている何か。でも、亡くすことに対する”覚悟”を持ち合わせるだけの決心は、まだついていない。
だから・・・・・
この願いが 届くと言うのなら
どうか・・・・彼女が『それ』を知ることなく 無事に戻りますよう
この願いを 叶えてください
どうか・・・・彼女が『それ』に嘆くことなく 無事僕らのもとに戻りますよう
僕は きみを信じているから・・・・