[首都にて・H]



 宿を出て裏通りを抜け、整備の行き届いた華やかな大通りへ出る。
 そろそろ陽が傾き始める頃合いか。所々賑わいを見せていた露店は、夜祭に向けて引き上げの準備をしていた。

 ゆっくり辺りを見回して、先刻その中へ飛び込んでいった少年を探してみる。だが、他の通りへ向かったのか、それらしい格好をした子供はいない。本当にやんちゃだが、探究心が旺盛なのは良いことだ。
 口元を緩めながら、は、茜色に染まり始めた陽に手をかざした。それもほんの一時のことで、すぐにその笑みを消し去ると、ゆらり大通りを跨ぎはじめた。






 雄大な蒼い空の下、この地を守護する皇帝に謁見するため、皇宮を目指す。
 現在は、聖誕祭真っただ中であり、また住民達の会話を耳にはさんだ所、どうやら陽の暮れと共に皇帝直々にコロシアム──通称、サラナゲイダ・コルムと言われている──において、盛大な祝賀会を執り行なうという事だ。

 「市民も出入り出来るなんて、ミルド様も、懐が深くていらっしゃるわぁ。」
 「でも、ミルド様が表に出るなんて、4年ぶりかしら?」
 「そうねぇ…。病で伏せっていらっしゃる、と色々噂されていたけれど、ご容態が優れて何よりだわ。」

 道を歩いている途中、ふと耳に入った住民の会話。感じたのは、ザワリとした『予感』。
 それが何故なのかは、分からない。虫の知らせ、とでも言うのだろうか。

 あの巨大国家に在籍していた頃、『イルシオ幻大国の皇帝ミルドが、姿を現さなくなったらしい』とは聞いていた。あの頃、各国との情報のやり取りを行うことも多かったが、如何せん、3〜4年前は幻大国内でもゴタゴタがあった為、ミルドがどうなったという情報は、実に確実性の無いものばかりだった。
 良い方へ向いてくれれば良いが、と当初から思っていたものの、住人の会話を聞いているだけでは、『嫌な予感』は当たらずしも遠からずなのかと思えてしまう。

 前皇帝イルシオ=シルバーバーグの死によって、新たに皇帝の座についたミルド。だが、即位後すぐに『姿を消した』と噂され、それ以降の情報が掴めることは一切無く。
 それなのに、突然、4年ぶりの表舞台への登場。

 『なに………この感覚……。』

 ドク、と胸の奥で脈打つものが、いつかの悪夢を思い出させる。決して忘れることはないし、忘れようとも思わない。
 でも、あの国にいた頃は、それを全て殺して・・・・否、無へ還していたはず。感情はいらないと、心も想いもすべて戻したはずだった。
 しかし自分は、あの子と出会ったことで再び──小さなものではあるが──その感情を呼び起こされた。それが悪いとは思わない。だが、失い続けてきた自分にとって、その”情”が戻るという事がどれだけの恐怖を煽るのか、分かっていた。
 愛することは出来よう。助けることも出来よう。”想う”という気持ちを思い出させてくれたのは、あの子なのだから・・・・。

 だが、『失う』ことが、また現実に起こるのではないか?
 記憶の底から這い出てくるのは、忘れもしない、心身を打ちのめすあの悪夢。
 何も・・・ただそれを見届ける事しか出来なかった、今でも鮮明に蘇る、遠いあの日々の記憶。

 「くッ……。」

 ズキン。
 背中が疼いた。同時に、右手の中に存在する『者』が、自分を壊す為に暴れようとする感覚。それを抑え付ける為に、常に身に付けている銀色がシャラ、と音を立てる。
 自分一人の力だけでは、自分だけの精神力では、堪えられない。

 「っ……そんな………抑えられなく……なって……?」

 力の出入り口となっている右手が震え出す。だが、先ほど購入した大量のアンクレットのお陰か、ここ近年悩まされ続けている『苦痛』に比べたら、まだマシな方だ。
 けれど・・・・・

 「……まだ……………まだ、足りないの……?」

 震える右手を、左手で抑え込む。ふらつく体を引きずりながら、人気の無い場所を探して足早に歩いた。少し入り組んだ道に入ってしまえば、そこに人影はない。
 額に脂汗が浮かぶ。それを拭うこともせず、壁に背をついた。そして、その場に座り込む。
 目眩がする。吐き気がする。頭痛はないが、その代わりに背がジンジンと麻痺し出す。

 「………まず、い………。」

 くらみ始めた頭を押さえてみるが、生憎その程度で良くならない。遠くから聞こえるのは、客引きの商人の声。膜をかぶったように聞こえる。
 意識が・・・・・・・遠退く・・・・・・・

 「?」
 「っ……!?」

 朦朧とする意識の中、誰かに呼ばれた。
 まったく周りに気を配れなかったせいか、幼さを残した声が驚くほど間近で聞こえた。
 だが、その声に聞き覚えがあった。

 「…っ……ルシィ…?」
 「うん、僕だよ! どうしたの? 具合が悪いの?」

 昼間、雑踏の中へ駆けていった少年との意外な場所での再開。別段、驚くほどの事でもなかったが、思わず安堵した。

 「…大丈夫……なんでもないよ…。ちょっと目眩がしたから……座ってただけ…。」
 「でも…具合が悪そうだよ…?」
 「大丈夫だから……。祭りは、楽しめた…?」
 「う、うん…。」

 心配そうに自分に駆け寄ってきた彼の頭を優しく撫でる。その流れで、その頬に手を滑らせた。動作はすべて右手で行ったが、彼に呼ばれた瞬間、震えは止まっていた。

 「…。具合が悪いんだから、一緒に宿に戻ろうよ。」
 「ルシィ……。」

 今にも泣き出してしまいそうな幼子のような顔をする、少年。我が子も同然の愛しい子。その優しい言葉に静かに微笑むと、ゆっくり立ち上がる。

 「…私は……用事があるから、あんたは先に戻っていなさい。」
 「え、でも…!」
 「…ササライが、心配してるはずだよ。私は、大丈夫だから…。」

 じっと、そのペールグリーンの瞳を見つめる。その瞳を見る度に交錯する『誰か』。
 少年は、自分の笑みに負けたのか「分かった…。」と渋々言うと、入り組んだ道を小走りに駆けて行った。
 去り際、「無理は、しちゃダメだよ…?」と言葉を残して。






 「さて、と……。」

 少年の姿が見えなくなったのを期に、一つ深呼吸してから表通りを見つめた。陽の暮れと共に、この国の女帝はコロシアムへ移動してしまう。その前に、彼女に会わなければ・・・・。

 「っつ……。」

 もう一度、ズキと背が疼いた。それと僅かな痛み。
 それを奥歯でかみ殺し、背筋を伸ばして、表通りへ足を踏み出した。

 僅かにだが・・・・・・震えの止まったはずの右手が、一瞬、ピリと痛みを走らせた。