[首都にて・L]



 夕陽に染まり始めた首都。
 昼間とは打って変わり、それまで埋め尽くされてしまいそうだった人の波は、半数程にまで減っていた。とはいえ、この巨大な首都には相応の人口が住んでいる。故に、辺りを見回しながら好奇心いっぱいに目を輝かせているルシファーと、首都に住居を構える住人の肩がぶつかり合うのは、致し方ない事だった。

 少年は、すれ違う人々と体のどこかしらぶつけ合いながらも──集中力は散漫なのか──、ちょこちょこ身軽に歩き回る。その快活そうな笑みとは裏腹に長い棍を振るうその手には、大量の菓子。それらは、少年が小遣いの範囲内で購入した物だが、保護者である女性が見たら思わず眉を寄せる量だ。
 だが、大抵軽い説教に入る前に、保護者の男性が「まぁまぁ…。」と言って彼女を宥めるのだ。それを知っているし、また『見つからなければ良い』という気持ちもあって、ならばさっさとこの大量のお菓子を旅荷の底に入れておこう、と考えた。



 どこか人の少ない場所は、ないかな? そう考えながら適当な狭い通りを探していると、ふと目に入った『甘いお菓子』の文字に目が奪われる。残りの小遣いよりも好奇心が勝ったため、ルシファーは、店じまいし始めた老婆の前まで駆け寄ると、売れ残った菓子をジッと見つめた。

 と、売り台の隅に置かれている、綺麗な飴細工に目がついた。それが『花』であると一目で分かったのだが、如何せん花の名前など知らない。だが、パッと見ただけでその紫の衣を纏った哀しげな印象が『彼女』に似ていると思った。
 じっと見つめ、うーんと唸っていると、店じまいの準備をしていた老婆が、声をかけてきた。

 「…坊や。今日は、夜祭に向けてもう店仕舞いだよ。」
 「あ、はい…。」

 声をかけてやると、目の前の少年は頷いた。しかし一点を見つめたまま動こうとしなかったので、老婆は『?』と首を傾げた。その視線を辿れば、花が象られた飴細工。
 これが欲しいのかいと聞くと、少年は、思い出したように小さな布袋(財布)を取り出し、中身を確認し出した。

 「坊や、これが欲しいのかい?」
 「はい……でも…。」

 どうやら表記している金額を持っていないらしい。しょんぼりという言葉が似合うほど項垂れてしまった。それが何だか可愛くて、老婆は一つ微笑むと、それを少年に渡した。
 少年は、何がなんだか分からないという顔をしている。

 「え…?」
 「料金はいらないよ。でも、それを渡す人のことを、ちょっとだけ教えてくれないかね?」
 「どうして…」
 「坊やにね、その飴をやりたくなったんだよ。それにそんなに考え込むほど、その飴を上げたい人は、坊やにとって大切な人なんだろう? いったい、どんな人なのかね?」

 老婆から視線を外し、ルシファーは、紫で彩られた飴細工を見つめた。その色合いや、すぐに崩れてしまいそうな印象。それを見ただけで、いつも哀しい瞳をした『彼女』が浮かび上がるのだ。

 「その人は………目が合うと、僕やササライに笑いかけてくれます…。」
 「ほうほう…。そのササライさんとやらは、お兄さんか何かかね?」
 「はい。ササライは、とっても優しくて頭が良いんです! 僕の家族です!」
 「そうかい、そうかい。」

 老婆が、優しく頷いてくれる。

 「でも、は……。時々、とっても哀しそうな顔をして空を見上げているんです。昼間だったり、夜中にトイレで起きて、ベランダを見た時とか…。」
 「……その飴を上げたい人が、って人なのかい?」
 「はい…。でも、なんて言うんだろう…? この色とか、形っていうか……見た感じが、とってもに似てるんです…。」
 「……そうかい。」

 そう言って眉を下げると、老婆は言った。

 「……それはね、坊や。アシュガという花なんだよ。」
 「アシュガ…?」
 「そうさ。花が、色々な言葉を持っているのを知っているかい?」
 「え…! 花も喋るんですか!?」

 真顔でそう聞いてきた少年に、老婆は、思わず吹き出した。

 「馬鹿だねぇ。花が喋るんじゃないよ。『花言葉』って言ってね。花の一つ一つに、それを意味する言葉が付けられているんだよ。」
 「それじゃあ、このアシュガっていうのは…?」

 その問いに老婆は、哀しげに口元を緩めた。『』という女性の印象と、アシュガの持つ言葉の意味が酷似していたからだ。
 だから、目の前で首を傾げている少年に、アシュガと対になるよう並べられていた飴細工を二つ手に取ると、そっと手渡した。

 「お婆さん?」
 「……これも、持っておいき。」
 「でも……僕、お金が…!」
 「……タダで良いさ。坊やには、特別だよ。」
 「あ…。」

 そう言って、無理矢理少年に飴細工を握らせる。

 「この二つはね、ヒペリカムという花だよ。これを坊やと………ササライという人にも渡しておやり。」
 「あの…。」
 「その『』という人に、坊やたちの”想い”が通じるように……。そうだねぇ、菓子屋のババの気持ちさ。」

 少年は、目を丸くしながらも、新しく手渡された二つの飴細工を見つめている。それにニコリと微笑みかけて「そろそろお家へお帰り、坊や。」と言って、店をたたむ準備を始めた。
 少年は暫く瞬きを繰り返していたが、「ありがとうございます!」と頭を下げると、手を振り笑顔で駆けて行った。






 「……『』に『ササライ』……………ねぇ…。」

 西日が照りつける中、店をたたみ終えた菓子屋の老婆は、パイプで煙草を吹かしながら思案していた。家に荷物を運ぶ手伝いをしてくれる自分の子供たちは、少し時間が早いせいか、まだ来ていない。
 周りの屋台も、夜祭へ向けて忙しなく準備が進められている。あれが足りない、これがまだ来ていない、という声が飛び交っていた。

 「その名前………どこかで聞いた事があったような…。さて、誰の名前だったかねぇ…?」

 ふぅ、と、皺だらけの口から出された煙は、円を象りながら、ゆらりふわりと空へ昇って行った。