[負担・2]



 「あの神官は、自分の地位にばかり固執していたわ…。でも生憎、あんな無能はこの国にはいらない。これを渡す代わりに命を助けてやる。何度もそう言って説得したわ。それなのに…。」
 「そこまでして……!!」
 「ふふ…。さぁ、お話はお終いよ。今回、貴女の相手をするのは……私一人の方が良いわよね?」

 そう言って、彼女がゆらりと立ち上がる。
 皇衣を纏ったままというのが、本気を出さなくても自分を殺せるといった余裕の表れだろう。彼女の考え通り、明らかに自分に分が悪い。本気を出したくても出せない自分は、彼女が相手となれば、防戦一方になるだろう。
 その自覚があっただけに、先ほどからの怒りは、自分自身に向く。

 「ちょっと待って…。ここに倒れてる兵士は、どうする気…?」
 「…あらあら? 自分が危うい状況だっていうのに、うちの兵の心配をしてくれるの? 本当に貴女は、優しいのねぇ…。でも大丈夫よ。さっきも言ったでしょう? 無能は、この国にはいらない、って。」
 「あんた……自分の兵士を、捨て置く気…?」

 真なる紋章を使った戦いとなれば、この場で倒れている兵士たちは、確実に命を落とす。しかし、大義も糞もないこの状況で自軍兵士を捨てるとは、正気の沙汰ではない。
 やはり彼女は、心を壊してしまったか。この”声”は、もう届かないのか。

 彼女は、尚も笑った。

 「あはははは! どれだけ鍛錬を重ねても、結局時間の無駄にしかならない連中よ。あなたがここに到着する前に集めておいて、正解だったわね!」
 「あんたッ……!!」
 「それに、折角育てた屈強な精鋭達といえど………貴女の相手にはならない。女一人に一軍壊滅なんて、洒落にならないでしょう?」

 彼女の愛した男が纏っていたのだろう、皇衣。それを愛おしそうに撫でてから、彼女が腰にはいていた剣を抜いた。本気で『この場の兵がどうなっても構わない』と思っているのだ。

 「ふふ……正直、意外だったわ。まさか、こんなに簡単に手に入るなんて…。私は、なんて運が良いのかしら?」
 「くそッ!!」

 死ぬ気は無い。元より、自分はまだ生きなくてはならない。
 想いが届かぬだけでなく、油断すれば命を落とす。
 故に、覚悟を決めねばならなかった。友を殺すか・・・・・自分が殺される覚悟を。

 だが、今、自分で強制的にセーブをかけているこの”力”では、彼女に適わない。
 二つしかないわけでなく、もう一つだけ選択肢はあった。逃げるのだ。
 まだ諦めてはいけない。

 「遺言を聞いてあげたいところだけど……。ごめんなさいね。今は、そんな事をしている時間も惜しいのよ…。」
 「ッ……!!!」

 息を飲み、転移で逃げようと、咄嗟に右手を振りかざす。
 だが、ミルドの方が右手に力を込めるのが、一瞬早かった。
 目の前を、淡くたゆとう様な強い光が包もうとする。

 キ・・・・・ン・・・・!!

 しかし、その惑いの光を遮るように現れたのは、新たな光。
 自分は、その光の正体を知っていた。

 光が止み、目を開けた。
 自分は知っているくせに。けれど、その人物が『本体』で現れたことに、驚愕せざるをえなかった。師であり、家族であるレックナートが、この場に姿を現したことに・・・・。

 「…レック……ナートさん……?」
 「…………。」

 自分の前に立ち、皇帝の一撃を防いでくれたのは、他でもない彼女だった。
 思わずその名を呟いたものの、彼女が反応を返すことなく、微動だにしない。
 だが、桃と白の法衣に包まれたその華奢な体が、不意によろめいた。

 「レックナートさん!!!」
 「……大丈夫です…。……貴女は、下がっていなさい…。」
 「でも…!!」

 思わず駆け寄り肩を貸そうとするも、彼女は、膝をつく前に持ち直して首を振った。
 だが、今の皇帝の一撃で相当疲弊したのだろう。足下が定まらない彼女を見て、は、その腕を自分の首に回した。
 師は、ミルドを見つめていた。盲目であるにも関わらず、その”意志”は、はっきりと幻大国皇帝を捉えている。

 「……ミルド………お止めなさい。」
 「お前は……レックナート? ……そう、貴女なのね。あぁ、何百年ぶりかしら?」

 一撃を防がれたミルドは、彼女と面識があったのだろう。皮肉めいた様に口元を上げる。

 「これは、忠告です。ミルド…。貴女が、を手にかけようとすれば………間違いなく『創世の紋章』自身が、貴女に牙を向けます…。」
 「ふん、何を言っているの? まるで紋章に”意思”があるような物言いねぇ…。」
 「……………。貴女が、彼女を害するならば、紋章は………彼女を守るためにこの場を……いえ、貴女の『望み』までをも滅することが可能なのですよ?」
 「…………。」

 師の言った『望み』という言葉を聞いたミルドが、それまでの笑みを一瞬で消して、冷たさを滲ませた。この場に他の人間がいたのなら、射抜かれてしまいそうな凍てつかせる瞳で。

 「…ふん。随分と大仰な物言いだこと。その態度、あの時とはまったく変わってないのね。でも……今は、貴女の忠告とやらに耳を傾けている暇はないの。イルシオが………待っているんだから。」
 「ミルド…。」
 「それに、知っているのよ? は、今”力”を制御出来ていないって。魔の力が不安定で、情緒にも影響を及ぼしてるってことを…。」

 図星だった。ミルドの言葉に、何も言い返すことが出来なかった。それを見抜かれているとは思いもしなかったのだ。
 だが、そんな自分の心を支えるかのように、師は凛とした声で言った。

 「ミルド。今は、手を引きなさい。」
 「何を言うの…? 今さら引けないわ。彼女の紋章があれば、私は、またイルシオの声が聞けるのよ!」
 「やはり……もう…………貴女に”声”は、届かないのですね……。」
 「”声”ですって? ふふ……馬鹿ねぇ。私は、あの頃から貴女を信用してなかったわ。言葉だけを残して姿を消す、貴女のことなんかね!!」
 「っ……!!?」

 瞬間。
 ミルドが、夢幻の紋章を使った。
 それに気付いた彼女は、咄嗟に門の紋章を使って結界を張ろうとする。

 しかし。

 片割れでなく完全となったミルドの真なるそれに、師の不完全な紋章が適うはずがなかった。力の差が、あり過ぎた。
 結果的に、その力を防ぎ切れず、弾き飛ばされる。

 「レックナートさん!!!!!」

 それを見て・・・・・

 感情の抑制が、効かなくなる。
 それまで必死に抑えていたはずの心の留め金が、いとも容易く外れる。
 突発的な『破壊衝動』が・・・・・・自分の中から溢れ出す。



 「っ………ミルド!!!!!!!」

 一瞬、我を忘れたその『怒り』。
 そのままに任せ、本能を止めることのない『それ』は。



 ・・・・・ドオオォオォン!!!!!!!



 皇座の間だけでなく、それに連なる皇王の間までをも吹き飛ばした。