[ひとときの]



 一方、が去ったロズウェルでは・・・・

 「足がつくのは、マズいから……近場に移動しようか…。」
 「そうだね。それが良いと思うよ。」
 「え、そんな…!」

 の提案に賛成すると、それまで俯き考え事をしていたルシファーが驚いたように顔を上げ、自分たちを交互に見ながら大きな目を瞬かせている。

 「ルシィ、どうしたんだい?」
 「………。」

 優しく尋ねてみるも、少年は口を閉ざしてしまう。その意図としては『彼女が戻ってくるまで、ここで待ちたい』なのだろう。
 そうだ。この少年は、彼女の持つ紋章を知らない。自分ももそうだが、彼女も教えなかった。自分たちが『真なる紋章』と呼ばれる物を持っている事を・・・・。
 それ故、自分たち二人が知ること──彼女の紋章の”特性”──を少年が知らず、ここにいたいと思うのも無理はないか。

 そう考えていると、が静かに言った。

 「ルシィ……。は、絶対に………僕らの後を追ってくるよ…。」
 「どうして、そんな事が分かるの?」
 「彼女は、僕らの後を追うと……言ってたから……。」

 もちろん嘘である。ササライには分かった。だが少年の首を縦に振らせるには、これしか方法がない。『嘘』や『疑』に敏感になっている少年には、これしか・・・。

 「でも、どうやって?」
 「宿の主人に……移動先を書いた手紙を、渡しておけば良い…。」
 「あ! そっか。」
 「そうすれば………彼女は後を追ってこれるから…。」

 成る程! という顔をした少年。だが、ササライ自身が『なるほど!』と思った。の口から出てくる『嘘』は、少年の心を動かすだけの力があった。思わぬ時に痛い所を突かれて一瞬口ごもってしまう自分には、とても出来ない芸当だ。

 「それなら、僕が手紙を書くね!」
 「分かった…。そこに、紙とペンがあるから………書いたら、僕に渡して……。」
 「うん! じゃあ、すぐに書くから、ちょっとだけ待ってて!」

 その流れから、少年が、本当に彼女に手紙を書くことを予想していたのだろう。ベッドサイドに置かれていた紙とペンを指差して、少年に席を外させた。
 彼の隣に立っていた自分は、それに「…見事だね。」と苦笑する。

 「でも、本当に、その手紙を宿の主人に渡すのかい?」
 「…まさか…。受け取ったら渡すフリをして、直接彼女に渡すよ…。」
 「なるほど。そういう手もあるんだね。勉強になるよ。」

 少年の扱い方を心得ている彼に、ふっと吹き出す。
 先ほどまで心を沸かしていた苛立ちが、綺麗さっぱり無くなっていた。






 予告通り、ルシファーの書いた手紙を宿の主人に預けるフリをして、はそれを懐に忍ばせた。
 それから一同は、馬を借りて──ルシファーは馬術を心得ていなかったので、ササライと同乗してもらった──ロズウェルを後にした。その途中、橋を越える際に自分が一役買って無事通ることが出来た。



 夜通し、人の通らぬ街道を離れた道を選んで馬を飛ばした。
 流れいく雲の隙間から見える星が、煌煌と輝いていた。
 夜明け過ぎには、シャグレィに着くことが出来た。

 ロズウェルからシャグレィ間を取り仕切る馬貸商人に馬を返して、宿に入った。
 何度かここには来たが、人の行き来が多い場所ゆえか、宿の主人は自分たちを覚えていないようだった。ということは、彼女がここに来ても大丈夫だろう。

 待ち合わせる場所に不安があった少年の心も、少し軽くなったようだ。
 寝不足はどうしようもないが、とにかく今は腹を満たそう。外での旅の経験があるがそう言って、食事処の椅子に腰掛けた。






 「隣、空いてる…?」

 注文した朝食を食べ始め、いくらか経った頃。
 不意に後ろから聞き慣れた女性の声がして、ササライは振り返った。
 思った通り、そこには、静かに微笑む彼女。

 「…。」
 「ただいま……かな。ササライ。」

 一日も離れていないはずなのに、何故だろう。胸にジワリとしたものが満ちた。
 心配や不安があったはずなのに、無事戻ってきてくれたという喜びにかき消される。
 あぁ、良かった。心からそう思った。

 「……無事で良かったです…。」
 「…うん。あんたにも、迷惑かけた…。」

 彼女が約束を破るはずがない。そう言っていたも、心無しか安堵の色を見せている。彼女が自ら死を選ぶことはないとそう口に出していても、心配していたのだ。
 カタ、と椅子を引いた彼女。だが、それより大きな音を立ててルシファーが椅子から立ち上がった。だが、俯いたまま彼女を見ようとはしない。

 「ルシィ……?」
 「っ……。」

 彼女に声をかけられて、その肩がピクリと震えた。その震えは徐々に大きくなり、やがて、グスッグスッと鼻を鳴らす音。
 彼女は、それに困ったように笑っていたが、すぐにその肩にポンと手を乗せた。少年が顔を上げる。涙でグシャグシャな顔になっても、声は出さない。
 初めて、何の言葉も無く置いていかれることを味わった少年は、それに相当な不安を感じていたのだろう。だがそれを口にしてはいけないと感じていたのだ。それに耐えなくてはならないと、子供心ながらに。

 ふ、と彼女が微笑んだのを、ササライは見ていた。
 ゆっくりと少年の体が、彼女の腕に抱かれる。
 本当に良かった。本当に良かった、と、そう何度も心で呟きながら。






 ようやく少年が泣き終え、顔を洗いに席を外した所で、彼女は言った。

 「こうやって戻って来れたけど………すぐにでも行かなきゃいけない場所がある。」

 もササライも口を挟むことなく、次の言葉を待った。

 「レックナートさんが、私に力を貸してくれた……。」
 「レックナートが…?」
 「…うん。私だけなら、ミルドの奴に知られることなく転移を使えるようにしてくれた。」
 「そんな事が、出来るのかい?」
 「……一応ね。」
 「それなら……」

 僕にも協力させてよ。そう言おうとすると、彼女がそれを手で制した。

 「どうしてだい…?」
 「……私に力を貸すってことは………『円の負荷』を、共に背負うことになるんだよ…。今、あんたが持つだけの”力”を100%使えなくなるんだ………だから…」
 「でも!!」

 という事は、彼女に力を貸したレックナートも、例の”発作”を彼女と『共有する』ということか。

 「…『円の負荷』が、どれだけのものかは……私を見て知ってるでしょ…? 私に力を貸した者が、それを100%負うわけじゃないけど…。もし、その時に敵と遭遇したらどうするの…? とてもじゃないけど、戦うことなんて出来ないんだよ……。」

 ・・・・確かに、そうだ。仮にもし、戦闘中にあの”発作”が自分の身に起きたとしたら、それこそ仲間に迷惑をかけるだろうし、なによりルシファーを補佐してやれない。
 自分が100%の力で戦えないということは、仲間の命はおろか、自分の命すら危険に晒すことになる。が加わってくれたとはいえ、これから先のことを考えれば、戦闘要員が減るのは心許ないだろう。

 「役に立てなくて……ごめんね。」
 「……あんたが謝ることなんて無い。私に”力”の使えないリスクがある分、あんた達には、ルシィの力になってもらいたいから…。」
 「…分かった。それで、きみは、どうするんだい?」

 彼女がその話をしたという事は、その先があるはずだ。
 そう考え問うと、彼女は、淡々と言った。

 「私は、一度……ハルモニアに戻ろうと思ってる。」
 「ハルモニアに…?」
 「心配しないで…。たちに事情を説明したら、すぐに戻ってくる。」
 「…分かったよ。それで、ルシィはどうするんだい?」
 「今度は、あの子にも伝えて行く…。その方が、良いみたいだからね…。」
 「その後のことは、僕らに任せて。」
 「……お願いね。」

 その話を終えると、ちょうどルシファーが戻ってきた。それを見た彼女が立ち上がると、が思い出したように彼女に何か手渡す。あぁ、昨日ルシィが書いていた『手紙』か。
 そう思いながら二人を見つめていると、彼女は少年の方へ向かい、は着席した。
 彼女は、少年に言葉を残して静かに宿を後にした。それから暫く少年は項垂れていたが、先ほどのように涙を見せることはなかった。

 「ルシィ、大丈夫かい?」
 「……うん、大丈夫だよ。」

 彼女に何と言われたかは定かでないが、言葉を残されるのとないのでは、少年の気持ちも変わるのだろう。『すぐに戻って来るから、あとは三人で頑張って』という一言でも・・・。
 どこへ行くのだろうという不安こそあれ、少年が駄々をこねることはなかった。

 「僕ね………決めたんだ。」
 「決めたって、なにをだい?」
 「僕、強くなるんだ。」
 「……そっか。」

 ピンと背筋を伸ばし、真っ直ぐに自分を見つめてそう言った少年。
 ササライは、それに僅かに哀しみを覚えたが、微笑んだ。
 も少年を見つめて微笑んでいる。

 「それじゃあ、ルシィ……行こうか。」
 「どこに行くの?」
 「とりあえず……夢の森を抜けて、ミルドレーンを目指そう。」
 「そっか。首都から離れないとね!」
 「うん。きみが、賢い子で良かったよ。」

 褒められてニッコリ笑う少年の頭を、優しく撫でてやる。
 そういえば、この国へ来てからというもの、こんな時間が無かった気がする。逃げるばかりで心身が追いつめられてゆき、こんな僅かばかりの和みの時間は、なかった気がする。
 でも現実を知る自分は、”先”がそればかりでないことを知っていた。同じく少年を見つめている彼も、そう考えているのだろう。

 ふと、彼と目が合った。
 僅かに憂いの交じった笑みを浮かべた彼は、すぐに少年へと視線を戻す。

 だからササライも、この一時に身を委ねようと思った。
 彼女の言う通り、この先、この国が戦火に見舞われるならば。そしてその中に、自分たちが身を投じることになるというのなら。
 このような『ひととき』は、そうそう訪れてはくれないだろうから・・・・。