[番人]



 それから、日が暮れるまで仮眠を取った。
 シャグレィから夢の森を抜けてミルドレーンに着くまでに、半日あれば充分だと考えたからだ。
 それなら、往来の少ない時間帯に移動しようかと、人目を避けるのが重要である一行は、夜を待って出発することにした。

 外が暗くなり、数刻経った頃。
 まず目を覚ましたのは、ササライだ。を起こし、次にルシファーを起こすためその肩を揺する。手際良く二人を起こし、予め纏めておいた旅荷を肩にかけると、まだ寝ぼけ眼を擦っている少年に苦笑しながら「それじゃあ、出発しよう。」と、扉を開けて階段を降りた。
 だが、代金を払って宿を出ようとした時に、宿の主人に待ったをかけられる。振り返れば、宿の主人が、心配そうな顔をして問うてくる。

 「お客様……これから、どちらに…?」
 「ミルドレーンだけど?」
 「こ、この時間帯にですか…?」

 ミルドレーンと言った瞬間、慌てたような顔をした主人に、ササライは僅かに眉を寄せた。だがようやく目が覚めたのか、宿の外からルシファーが「早く行こうよ!」と言ったため、主人に一つ礼をして背を向ける。

 「ねぇ、ササライ。宿のおじさんに、あての手紙は渡してくれた?」
 「え? あぁ、うん。ミルドレーンに行くって書いて渡しておいたよ。」
 「良かった! それならも、すぐに追いつくよね!」

 にこりと笑った少年の頭を撫で、そのままに視線を向けた。彼は目を伏せていたが、自分と目が合うと静かに微笑む。だがその仕草を見て『嫌な予感でもするのだろうか?』と考えたが、あえて聞かなかった。

 行き先に慌てていたような、あの宿の主人。
 その意味を問うた方が、良かったのかもしれない。
 だが、後悔するのは、いつも後のこと。

 この時、それをすっかり忘れていた。






 ミルドレーンまでの道。
 『夢の森』と呼ばれる木々に覆われたその場所は、酷く見通しが悪かった。異常とまで言える濃い霧の発生によって、すぐそこすら見えなくなってしまったのだ。
 途中までは、整備された道を歩いていたはずだった。だが今はどうなのかと問われれば、速攻で否と答えるだろう。何故なら、今自分たちが歩いているのは草の刈られた土の道ではなく、所々水たまりがあり、泥の滑っている道なのだから。

 「迷ったのかな?」
 「え、僕たち迷っちゃったの!?」
 「……かも、しれない…。」

 先頭を歩きながら口にすると、ルシファーが慌てたように辺りを見回す。も前を歩く少年を見失わないように、静かに呟いている。
 この視界不良の中では、周りがどうなっているのかすら見当がつかない。

 「でも、ここで、じっとしているわけにもいかないし…。」
 「うーん…。何とかして、ここから出られないかなぁ?」
 「……今は、下手に動かない方が…」

 が、そう言いかけた時だった。
 ササライは、突如身の毛のよだつような感覚に襲われた。確証はないが、ザワリとしたこのおぞましい感覚。これは・・・・・『殺気』。
 二人も感じたのだろう。咄嗟に獲物を取り出している。

 「……まずいな………こんな時に…。」
 「うぅ…。なんか、僕……気持ち悪くなってきた…!」

 眉を寄せて呟くに、ルシファーが胸に手を当て苦しげに呻く。
 ササライは、ルシファーの傍につきその背を擦りながらも、殺気の元となっている気配をとらえようと感覚を研ぎすませた。すると・・・・

 サァッ・・・・・・。

 急激に霧が晴れた。
 と思ったと同時、霧は自分たちとある一点を結ぶように、その周りを覆い出す。

 「あれは……。」
 「な、なにあれ!?」
 「……なるほどね。そういう事だったんだね。」

 自分たちを繋ぐ視界の先には、モンスター。霧に覆われながらもその中心で蠢いている、人の形を成した濃い霧だ。同じくその闇色の手に持つ槍を象るようなそれは、番人を思わせた。
 それを見たが、自分に目配せする。

 「……夢の森………か…。」
 「どんな物にも、名前に由来があるって聞いてたけど、本当なんだね。」

 「、ササライ!!」

 棍槍を手に声を上げたルシファーに、「分かった!」と言って、互いに獲物を構えた。






 番人との戦いは、予想以上に長引いていた。というよりも、倒せる気配すらなかったのだ。
 こちらの攻撃がまるで効いていない。棍で殴る鈍い音、槍で抉る音、剣で薙ぐ裂くような音。どれにも手応えを感じられるのに、相手の動きが鈍る気配はない。どれだけ攻撃を加えようと、攻撃を受けた箇所がうねり、まるで何事もなかったように元通りになる。
 それだけならまだ良かった。されるがままだった番人が、ある時を境に反撃してくるようになったのだ。

 このままでは、番人を倒す前にこちらの体力が尽きる。そう考えたササライは、額に宿している『流水の紋章』を使うことにした。彼女から『真なる紋章は、絶対に使うな』と言われていたし、今は、まだその時ではないと分かっていたからだ。

 攻撃をルシファーとの二人に任せ、口早に詠唱を始める。相変わらず、どれだけ攻撃を与えても番人に効いている気配はない。

 「氷の息吹!!」

 精密さは群を抜いている自分が、詠唱終了と同時、番人に向かって紋章を発動させる。だが紋章攻撃すら効かないのか、氷はするりと番人を抜けた。
 後が無い。それはこういうことだろう。
 思わず冷や汗を流していると、番人が、霧を纏いながら自分に向かって槍を繰り出してきた。身を翻そうとするも、息をつく直前だったために反応が遅れる。
 それをルシファーが素早く弾いてくれた。

 「ありがとう、ルシィ…。でも、紋章も効かないんじゃ…。」
 「なんで紋章も通じないの!?」

 歯噛みしていると、ルシファーも焦り始めたのか、番人を押し返しながら叫んでいる。尚も攻撃の手を緩めず追撃してくる番人を避けるため、二人で左右に飛び退く。
 と、ここで、珍しくが声を張り上げた。

 「二人とも!! あの番人の弱点は、あの『核』だ!!」

 そう言って彼が示したのは、番人の腹部。確かに先ほどから気にはなっていたが、そこには何かの『刻印』を立体化したような、僅かな光を帯びた模様が浮かんでいる。
 彼は、あの刻印こそが、番人を動かしているコアだと言った。



 そう考えていたから、は、先ほどからそれを狙って攻撃していた。しかし、光を帯びたその刻印は、まるで”意思”があるように自分の棍を避け、元の位置に戻っては揺らめきを繰り返している。標的が小さいほど、狙いは定めづらい。しかもそれが意図的に動いているとなると、尚更だ。
 自分の持つ紋章を使えば、あれぐらいの核は、一発で消せるだろう。しかし・・・・・。

 そう考えていると、ルシファーが声を上げた。

 「それなら、僕が核を狙うよ!!」
 「ルシィ…?」
 「大丈夫! 僕がやってみせる! 必ず核を壊すから、二人は囮になって!」
 「……分かった…。」

 とすれば、正直、ここで少年が名乗りを上げるとは思っていなかった。あの国にいた頃は、彼女に言われた通りのことを成しているだけだったのに。
 自らの意思を持たず、ただ言われるがままに・・・・。

 ふと、いつの間に横に立っていたのか、ササライが微笑んでいる。

 「……ササライ…。」
 「。ルシィは、変わったよ。」
 「……そう……みたいだね…。」
 「これから、少しずつ少しずつ……変わっていくよ。」

 さぁ、行こう! そう言いフレールを煌めかせながら番人へ駆けて行った彼も、また変わったのだろう。そんな事を思った。
 彼女と、そしてその仲間と関わることで、彼も変われたのだ。彼自身の”意思”を持ち、彼自身で”道”を決めたのだ。

 そんな彼らが・・・・・少しだけ羨ましいと思った。
 そう思っていると、不意に右手が疼きを発する。自分の知る『誰か』が語りかけてくる。あの頃と変わらず、あの頃と違えず。

 こんなにも、人は変われる。
 誰も彼も『闇』を見つめ、殻を打ち破り、その瞳を開けば。
 これからも、彼らは変わり続けるのだろう。
 誰も彼も『闇』を知り『光』を知り、その眩しさに目を閉じていても。

 こんなにも、人は変われると、知っているはずなのに・・・・
 どうして、僕らは、留まり続けてしまうのだろう?






 「っ……!?」

 夜も深けに深けた刻限。
 首都ケピタ・イルシオの城内にある灯りの灯されていない一室で、女が不意に顔を上げた。声を殺すよう発されたそれを、いったい、誰が気付けただろうか?

 「……ミルド様。如何なされましたか…?」

 突如右手に走った痛みに顔を上げれば、側近である老魔術師がうすらと光を纏って現れる。
 それを一瞥して、ミルドは、静かに笑った。

 「右手が痛んだの。『あれ』が、倒されたみたい。」
 「……左様でございますか。」

 自らの紋章を使い、作り上げた『番人』が、何者かの手により倒された。
 それと知った魔術師は、一つ頷くと、それがいた方角へ目を向ける。
 ミルドは、口元だけに笑みを乗せると、ゆらりと立ち上がった。

 「………かしら?」
 「即答致しかねます…。」

 問うも、老魔術師はそう答えるのみ。
 それにまたも笑みを見せて、僅かな違和感を振り切るように、ミルドは首を振った。

 「でも……あれを倒せるのは、並大抵の人間じゃないのは、確かよね。」
 「そうですな…。」
 「ふふっ……真なる紋章を使わないところを見ると、よっぽど私に見つかりたくないのねぇ。でも残念ね、…。番人を倒したことで、貴女は、私に居場所を知らせてしまったわ……ふふ。」

 右手を口元にあてて、クスリと笑う。
 老魔術師グレイムは、それに目を向けることをせず「…如何なさいましょう?」と問うた。

 「そうね。今は、夢の森にいるとしても……彼女のことだから、国境を越えるフリをして、ロズウェルかレイド城塞方面から逃げるかもしれないわ。兵を送って、もう少し様子を見ましょう。」
 「御意……。」

 「それより……」

 前置きして、ミルドがグレイムを見つめた。
 夢幻を司るその瞳。だが彼は、『それ」に支配されない。

 「グレイム………何かあったから、ここへ来たんでしょう?」
 「…………先程、放っていた間諜が戻りました。」
 「あら、そうなの? それで…?」

 窓辺へ寄り、背を向けたまま夜空を見上げている皇帝は、手を軽く振って続きを促す。
 それに頭を垂れながら、グレイムは続けた。

 「話によれば、フレマリアが動き出したと…。」
 「………なんですって?」
 「それと…………今回の行軍は、親王イライジャ自ら率いているとか…。」
 「……………。」

 ミルドが口を閉ざした。それに何も言わず、彼女の返答を待つ。
 この皇帝は、次に『己が予想通りの言葉を発する』のだろうと。

 「ふ、ふふ………あはははははは!! 面白いわ、イライジャ! 貴方が出てくるなんて、滅多に無い機会じゃない!! あぁ、私は、なんて恵まれているのかしらっ!!」

 憎しみ故に、絶好の機会を手に入れて高笑いする女
 それに頭を垂れたまま、グレイムは続きを待った。

 「やっと出て来たわね、イライジャ! ふふ、楽しみだわ…。4年前に晴らせなかった、この恨み………今度こそッ!!!!」
 「ミルド様………軽率な行動は、どうか、お慎みを…。」
 「……あら? 何を言うの? ということは、何か懸念でもあるのかしら?」
 「罠、ということも考えられましょう…?」

 顔を上げてそう言うと、彼女は、よく手入れされた爪をガリと噛んだ。

 「ふん…。あの男娼が来るというのが本当なら、これは願ってもない機会よ。罠だとしても、私が出るだけの価値はあるわ!」
 「しかし……」
 「…それに、いい加減、あの国との小競り合いにも飽き飽きしていたし…。『三国戦争』以来、この国を狙っているのかと思えばそうでもない。それなら、あんなチマチマしたやり方をするはずがないもの。いつもいつも、国境付近で小競り合いしか起こさない。何を狙っているのか、さっぱり分からない。………その挙句にッ…!!!」

 途端、急激に発せられたのは、並々ならぬ怒気。
 それを感じてグレイムは立ち上がった。そして彼女の肩を揺すり、声をかける。

 「………あまり、御自身のお力を、過信し過ぎますな。」
 「ふん、何を言うの? すぐに、ヒギト城塞とレイド城塞に兵を出しなさい。それと、ヘルド城塞へ連れて行く兵の編成は、お前に任せるわ。」
 「……はっ。」
 「ふ…ふふふ! 例え、お前が何を言おうとも……私は出るわ! そして、この紋章で…………あの男の小綺麗な顔を、滅茶苦茶にしてやるのよッ!!!」
 「御意のままに……。」

 諫言すら聞き入れることなく肩を震わせ笑う皇帝に、けれど魔術師は、小さく口元を緩ませた。