[ここにいないだけで]



 番人と死闘を繰り広げ、なんとか倒すことには成功した。
 その後、道中魔物に出くわすこともあったが、それでも昼前には無事ミルドレーンに到着することが出来た。

 町へ入ると、早々に抜いていた朝昼兼用の食事をするため、宿を探す。
 しかし、辺りを見回しながら宿の場所を思い出そうとしているルシファーの耳に入ってきたのは、意外な話だった。

 「…戦ぁ!? おいおい、またかよ?」
 「おい、声がでかいぞ。……なんでも、フレマリアが、また動き出したらしい…。」
 「ったく、物騒なことだな。ってことは、またヘルド城塞で一戦始まるってことか?」

 町人だろうか? 赤毛と銀髪の男の二人組──40〜50代くらいだろうか?──が、馬の背に荷物を乗せながら話し込んでいる。
 赤毛の男は声を潜めているつもりなのだろうが、少し離れた位置にいるルシファーにもその声が伝わってくる。そして、もう一方の銀髪は、それに呆れた顔をしながら手を止めることはせず話し続けた。

 「だが、いつも通りに………小競り合い程度で終わるだろう。」
 「っかー! そりゃどうだかな? つっても、今のヘルドには、大した兵力は置いてないはずだろ?」
 「もう、この国の皇帝には情報が入っているだろうから、すぐにでも兵を送るだろうな。」
 「そりゃあ、そうだけどよ…。」

 作業の手を止めガリガリ頭を掻く赤毛に、銀髪が「…手を休めるな。荷物を上げろ。」と言いながら、かなり重量のありそうな革袋を持ち上げる。

 「しっかしよぉ…。あっちの親王さんも、相変わらずチマチマした嫌らしい手を使うもんだよな…。」
 「…仕方ないだろう? それこそ余計な詮索というやつだ。第一、俺たちは、元はこの国の人間じゃないだろう。」
 「んなこた分かってる! でも今は、国民みたいなもんだろ!? それに、仕方なくない。俺は、あの国のやり方が、気に入らないってだけで…」
 「…気に入らんのは俺も同じだが、その国によって、やり方は異なる。俺たちがそうだっただろう? それにこちらの皇帝は、真なる紋章を所持しているのだか……ん?」

 ここでようやく、銀髪が話を聞き入っている自分に気付いたようだ。それに釣られるように、赤毛も視線を向けてくる。
 じっと男二人に見つめられたルシファーは、咄嗟に目を泳がせた。

 「なんだ、坊主。盗み聞きか? あぁ、もしかして迷子か? 親はどうした?」
 「えっと、あの…」
 「…心配するな。そいつは、柄は決して良くないが、いきなり子供に手を上げたりはしないぞ。」
 「あの、その…。」

 目つきの鋭い赤毛に慌てていると、銀髪が『心配しなくても大丈夫だ』と微笑んだ。
 赤毛は、自分の正面に立つと、ぐしゃぐしゃ頭を撫でてくる。

 「おい、坊主。迷子なら、俺が一緒に親を捜してやろうか?」
 「えっと、迷子じゃないです…。」
 「あ? ってことは、やっぱ盗み聞きしてたのか?」
 「ご、ごめんなさい…。」
 「はっ! 謝るこたねーよ。素直なガキは、嫌いじゃないからな。それより、坊主…………お前、どっかで見たことあるような顔してんな…。」
 「え?」
 「誰だったかな…? ……まぁ、気にしてても始まらないな! 俺は、シ……じゃなくてサレスだ。んで、あっちがバジーク。」
 「あ、僕は、ルシファーって言います。ルシィって呼んで下さい。」
 「ルシィか。可愛い奴じゃねーか! 気に入ったぜ!」

 歯を見せて笑うサレスと名乗った赤毛に、頭をもう一撫でされる。大きく暖かい手を心地良いと思った。
 と、それまで遠巻きにそのやり取りを見ていたのだろうか、ササライが、不意にその輪に加わってきた。

 「ルシィ。そろそろ、宿を探さないと…。」
 「あ、ササライ!」

 「………ササライ…?」

 彼の名を読んだ瞬間、サレスがぴくりと眉を上げた。見れば、馬の背に荷物を積んでいたバジークもその言葉に振り返る。
 対するササライは、ニコリと微笑みながら腕を引いてきた。

 「ねぇ、ルシィ。先に宿を取った方が、良いと思うんだけど。」
 「あ、そうだった! でも……」
 「今の話の続きは、僕がちゃんと聞いておくよ。きみは、と宿を取ってきて。」
 「そう? じゃあ、先に宿に行ってるね!」
 「うん。食事も先にしてていいよ。」
 「分かった!」



 向こうで手招きしているに向かって、少年は駆けて行った。
 それに手を振り見送っていると、サレスが、近づいてまじまじ見つめてくる。バジークも仕事の手を止めたのか、自分の正面に立った。

 「……ササライって……もしかして、あのササライさんかよ?」
 「あのって言う意味が、よく分からないんだけど?」
 「………ハルモニア神聖国、神官将ササライ殿、とお見受けしますが。」

 サレスに苦笑しながらはぐらかしていると、バジークが確信を突いてきた。睨みつけられるような視線だ。流石にはぐらかし続けるのもどうかと思い、素直に認める。

 「うん、そうだよ。」
 「…やっぱりか…。」
 「ですが、何故、貴方がこの国に…?」

 「……それよりも僕は、きみ達が、どうしてこんな所にいるのか不思議でしょうがないよ。”あの時”の報告書には、確かに『戦死した』と書いてあったはずだけど?」

 「…………。」
 「…………。」

 二人が沈黙したのを見て、ササライも口を閉じた。この男達がどういった『答え』を見せてくれるのか興味が湧いたからだ。
 すると、暫く間を空けて、バジークが答えた。

 「……簡単に説明すれば、当時、敵軍に在籍していた『とある女性』に、命を拾われてしまいましてね。」
 「ったく…。最後の最後にキメてやろうと思ったのによ。あの女のせいで、まーたイチからやり直しだったんだぜ?」
 「……………。」

 バジークに便乗し、サレスも苦い顔しながら答える。
 その言葉に、今度は自分が閉口する番だった。なんとなく『とある女性』に心当たりをつけてしまったからだ。

 「そういや、ササライさんよ…。あんたがこの国に来たってことは、また何か揉め事でもあったのか?」
 「え?」
 「よく聞く話だぜ? 揉め事の度に、あんたが色んな国に出向いてるってのはさ。」
 「………神官将は、今は休業中だよ。」
 「ってことは、プライベートででここに来てるってことか? でもよ……前皇帝が亡くなってから、どんどんキナ臭くなってるのは、確かだぜ?」
 「どういうことか、聞いても良いかい?」
 「一部の噂じゃあ、もう狂っちまってるって話だぜ? それに、真なる紋章を使ってフレマリアと大規模な戦争を起こすんじゃないかとか、なんか比較にならないほどデカイ代物を探して水面下で動いてるとか、色んな噂が飛び交ってる。」
 「……ふーん。」

 一通り話を終えて満足したのか、サレスがバジークに「戻ろうぜ。」と声をかける。
 だがササライは、咄嗟に彼らを引き止めた。
 すると、サレスではなくバジークが前に出る。

 「…なんでしょう?」
 「バジーク……だったよね。きみたち……今は、この国で生活してるのかい?」
 「…えぇ。クシルという村の、村起こしをしています。」
 「クシルか…。うん、分かった。寄った時には、声をかけるよ。」
 「……………。一介の『村人』の私には、分かり兼ねる話ですね…。」

 間を空けて答えたバジークは、それだけ言うとサレスと共に馬に乗った。
 そして馬の腹を軽く蹴り、クシルへの道を行く。



 その背を見送りながら、ササライは、小さく小さく一人ごちた。

 「…『彼女』繋がりなら…………きっと、縁があるのだろうからね。」






 は、宿を取ってから部屋で旅荷の整理をしていた。
 ルシファーには、おくすりが残り少なくなっていることを伝えて、お使いに行ってもらっている。
 すると、先ほどの男達から情報を聞き終えたのか、ササライが戻ってきた。だが考え事をしている自分が気になったのか、声をかけてくる。

 「、どうかしたのかい?」
 「………。」
 「…?」
 「あ、あぁ………なんでもない…。」
 「…どうしたんだい?」

 が無口なのは、いつもの事だ。しかし、僅かに眉を寄せているところを見ると、それも『いつものこと』とは言い難い。付き合いこそ長くはないが、彼の纏う空気を感じて、ササライはそう判断した。

 「。僕じゃ、役に立てないかもしれないけど、話ぐらいなら聞けるよ?」
 「………もしかして…。」
 「ん?」

 口にするのを戸惑うということは、確証が持てないのだろうか?
 だがササライは、気にせず続きを待った。

 「あの森にいた『番人』は………もしかしたら、ミルド皇帝の紋章で作られたんじゃ…。」
 「……どうして、そう思ったんだい?」
 「気配が………。」

 彼の言葉に、だが、やはりそうだったかと思った。

 確かに、昨夜対峙した番人の気配は、独特なものだった。ササライ自身、それを感じていたし、それならきっと目の前の彼もそうなのだろうと考えていた。
 しかし、いまいち確信が持てなかったのも事実。
 感じたことのない頭に靄がかかったような感覚。地に足をつけていたが、時折ふっと意識が遠くなるような目眩にも似たもの。
 唯一、ルシファーだけは、その暗示めいた『何か』にかかっていない様子だったが、確かに。何事も無かったように見せていたが、やはりも自分と同じ違和感を感じていたのだ。

 「倒さないで、逃げた方が良かったってことだよね?」
 「恐らく…。あれが、ミルド皇帝の『眷属』だったと仮定すれば……僕らが、この地域にいる事が知られている可能性が高い…。」
 「…どうする?」

 一難去って、また一難。サレス達の話を聞いている限りでは、また国境で戦が起こる。

 「…ここは、ひとまず……隠れた方が…。」
 「でも、隠れると言っても橋は警備されてるし、前の方法も通じないよ。」
 「…何か……良い方法は……。」

 すると、ここでルシファーがお使いから戻ってきた。
 彼は、お薬をに渡すと、さっきの話の続きを聞かせてと請うてくる。

 「ごめん、ルシィ。さっきの人たちは『仕事があるから』って言って、帰っちゃったよ。」
 「え、そうなの? もうちょっとだけ、話が聞けると思ったのに…。」

 肩を落とし溜息をついた少年。するとが、何か思い出したのか口を開く。

 「それより、ササライ…。ヘルド城塞近くには、街があると聞いたけど…。」
 「うん。ハルモニア方面から来る商人なんかが、フレマリアを経由して物資を運んだりするみたいだよ。」
 「二人とも……また移動するの?」

 話に割り込む少年に、先日と同じく『手紙を宿の主人に渡しておこう』と言って安堵感を与える彼。それに流石と感心しながらも、ササライは、今少年に言わなくてはならないことを告げた。

 「ルシィ…。僕らは、と一緒にいた所を、誰かしらに目撃されてる。もしかしたら、僕らもお尋ね者になる可能性があるんだよ。だからこそ適度に移動しないと、捕らえられかねないんだ。分かってくれる、よね…?」
 「……うん。」

 しかし、着いた矢先にまた出発では、流石に体がもたない。まして昨夜の戦闘の疲れが残っているのでは、出発してもまともに進めないだろう。
 そう分かっていたので、自分に目配せしてから、が言った。

 「…国境で戦が起こったとしても………食い止められれば、何の問題もない…。」
 「でも、ミルド皇帝は、彼女のことも視野に入れてるんじゃないかな?」
 「…恐らく。それに皇帝は……ヒギト城塞とレイド城塞にも、兵を出しているはず…。」

 「どういうことなの?」

 テーブルの先に視線を向けながら彼がそう言うと、その意味を解り兼ねたのか、ルシファーが首を傾げている。自分は彼の意図に気付いたのだが、少年には分かりづらかったのだろう。

 「普通なら……僕らは、ヘルド城塞から国境を越えると考える。国境の先には、この国の大敵フレマリア親王国が支配しているし、迂闊に手は出せない。でも、ミルド皇帝は……戦を知っているはず…。僕らの裏を読んで、ヒギト城塞やレイド城塞に逃げると考えるはずだ…。」
 「うーん、よく分からないけど…。僕らは、ヘルド城塞に行けば良いってこと?」
 「…そう。僕らは、彼女の裏の裏をかいて、一番目に付かない場所に行けば良い……。」

 少年は、その答えになるほどと思ったようだが、ササライは違った。
 確かに、相手は戦をよく知っているに違いないが、気になったのは、そう言いきったの表情だ。迂闊に東方へ逃げようと言わず、あえて灯台下暗しとされる場所へ移動する。それが最善の策ではあるが、どちらにしても逃げ場は残されていない。

 どちらにしても、この国から逃げることは許されないのだ。
 それは、きっと彼女の言葉の通りに・・・・。

 『きみが、ここにいないだけで、こんなに辛いなんて……。ねぇ…、僕は、あの頃とまったく変わっていないのかな…?』

 ふと、ドアの外から流れてきた風が、そんな自分を哀れむように右手の甲を掠めて行った。