ハルモニア神聖国、円の宮殿。
数百年前にその国を作り上げながらも、数十年前より姿を見せなくなった建国者は、いまだ表立って姿を現すことはない。
その建国者に取って代わるように、それに継ぐ権威を与えられた少女が現れたのは、数年前。その少女が瞬く間に各国との停戦・同盟を結び、国の流れを大幅に変えて、ある時を境に姿を消してから、4年。
時の流れは、早く・・・・・
深けに深けた、月のない夜。
蝋燭の灯り一つしかない部屋は、周りを暗闇に覆われていた。
その中で、近い過去を思い返しながら、は大量の書類に目を通していた。
[予期せぬ来客]
「さん。ナッシュさんから、連絡が入りましたよ。」
「…もう? 流石に仕事が早いな。」
どれだけ目を通しても、どれだけサインをしてみても、到底足りない。
国にとって最高機密の書類だけならまだしも、中堅どころが片付けるような仕事まで、自分が担っているからだ。
『いっそ、自分が三人ぐらい居てくれれば良いのに』と考えていると、軽いノックの後にひっそりディオスが入ってきた。テーブルに積まれた書類の山が酷く、蝋燭以外の灯りが無いことも相まって、特徴的な鼻を持つ彼の顔は見えない。
は、書類の合間から手を伸ばして彼から手紙を受け取ると、引き出しにあったペーパーナイフを使って封を切り、さっと目を通した。
「……へぇ。なるほどな。」
「手紙には、なんと?」
困ったような呆れたような声を出した上司に、ディオスは静かに問うてみた。
それに「きみには、あまり関係無いことだけど…。」と言いながら、彼はゆらゆら揺れる炎に手紙を近づける。ただの紙であるそれは火に焦がされ、灰となって彼の手元に落ちた。
あぁ、なんてことを! そう思った自分に、彼は笑いかけながら立ち上がり、静かに窓を開ける。外に手を出すと、その手の平に乗っていた灰が風に吹かれて飛んでいった。
それが全て散ったのを見届けてから、彼は窓を閉めて腰掛けた。そして、物言いたげにしている自分に告げた。
「…なんでも、一時期国外逃亡していたはずのルクデンブル卿支持派の残党が、兵を揃える資金繰りの為に、当国とフレマリアの国境付近にある山岳で『面白い事』をやってるそうだ。」
「面白い事? ……ということは…。」
「そうさ。こっちに商売しに来る連中を襲ってる、ってことだ。」
彼は笑みを崩さずそう言った。ディオスは、「それは困りましたねぇ…。」と困った顔をしながらも、討伐に誰を行かせようかと考えた。
すぐに、ある神官将の顔が浮かんだが、その挑発されやすい性格を考えると、一人で行かせるのは不安だと考え直す。
ふと視線を戻せば、上司と目が合った。
彼は、いつもと変わらぬ人を食ったような笑みを見せて、言った。
「ディオス。パッと思い浮かんだ人物が、いたみたいだな? でも、きみも思った通り、あの性格上、一人で行かせるのは俺もどうかと思う。だから……、…っ!?」
彼が、突如言葉を区切った。それに『おや?』と首を傾げたが、いわく宮殿内に何者かが侵入したらしい。しかし、すぐに表情をニッコリとした笑み──驚くほど純粋な笑みだ──に変えたことで、ディオスは『これは、もしかして…』と思った。
彼は「どうしたんだろう? 珍しいな。」なんて言っているが、これだけ珍しいニコニコ顔をしてみせるのだから、よほど嬉しいのだろう。
「…そうですねぇ。珍しい……というか、何かあったのでは?」
「やっぱり、きみもそう思うか? でも……あぁ、久しぶりだなぁ。」
『獣』と『罰』という二重に張られた結界を難無く入ってこれる者など、片手で足りるほどしか居ないのだから、『彼女』しかいないだろう、と。
先程まで資料やら報告書やらで乱雑になっていたテーブルは、綺麗に片付けられていた。
もちろん、テーブルに置かれていたそれらは、ディオスが処理することになった。
大量の書類を両手いっぱいに抱え、泣く泣く自室へ引き上げる部下の背を見つめながら、は『その哀愁溢れる後ろ姿に免じて、しかるべき休暇を与えよう。………いずれ』と考え、笑みをこぼす。
やや暫くして、光と共に姿を現した侵入者・・・もとい自分にとって大切な人に、はニコニコ満面の笑みをたたえて出迎えた。
「いらっしゃい、。会いに来てくれて嬉しいよ。」
「………うん。」
まさに『ニッコリ』という笑顔を浮かべる自分。だが彼女はそれとは真逆で、一瞬目を合わせてくれたが、すぐに俯いてしまった。
室内に入り席を促すと、彼女は、席についた途端、ゆっくりと大きな溜息をはきだした。
「珍しいな。どうしたんだ?」
「…………。」
返事をすることなく、彼女は口を閉じた。
それでも笑みを崩すことなく、『これは何かあったな』と冷静に思案を開始する。
あの子供を抱えてこの国を飛び出した彼女が、嫌な思い出──あえてそう表現しておく──しかないこの国に、再び戻ってきた。確実に『何かあった』のだろう。
だが彼女は、口にすべきか、それとも黙って引き返すか、未だに迷っているようだ。きっと、ここに来るまでの僅かな時間も、ひたすら迷っていたに違いない。
少なくとも『聞いて欲しい』と考える小娘のような年齢ではないのだ。
だが、ふと思った。
ここまで彼女に『言うに憚る』と思わせる出来事とは、いったい何だろう。聞いてみたいが、言葉を待とうか。
そう葛藤するも、やはり『早く知りたい』欲求には勝てなくて、思わず口にしてしまった。
「なにか用があって、戻ってきたんだろ? でも……イルシオ幻大国に旅に出たんじゃなかったか?」
それまで俯いていた彼女は、自分の言葉で小さな反応を見せた。恐らく、どうして自分が彼女の行動を把握しているのか分からないからだろう。
「……誰から聞いたの?」
「誰って、ササライからだ。結構前に、手紙が届いた。」
懐から封の開いた手紙を出してヒラリと振ってみせる。彼女は「…そう。」と言って、また黙った。
一度言葉にしてしまったし、先程のあの反応から考えて、やはり幻大国で何かあったのだろう。だから彼女は、わざわざここに戻ってきた。
未だ悩む姿。それを見ているのが、もどかしい。
だからは、一つ息をついて、今ある心からの疑問を口にした。
「…。俺って、そんなに頼りないか?」
瞬間、彼女が目を見開いた。今は蒼穹に変わっているその瞳は、暫く自分を見つめていたが、やがて腹を決めたのか、話し出した。
「……宿星………宿星が、集まるらしい…。」
「宿星? それって、まさか…」
「ルシィが………ルシィの所に、レックナートさんが……。」
それ以降、彼女は、俯いたまま両手で額を覆い、本当に黙ってしまった。
さて、どうするか。どうやって、彼女の心を解していくか。
思案していると、キ、と小さな音が鳴った。音の先に目を向ければ、そこに居たのはルカ。黒い髪に黒い瞳。大柄なくせに、扉を開けるまで気配を感じさせない。
「なんだ、ルカか…。いいなり現れたら、が驚くだろ?」
「……馬鹿が。俺の知ったことではないわ。それより……おい、。」
何を考えているのか、自分の茶化しには目もくれず、彼が彼女に声をかける。大方、彼も彼女の気配に気付いて、扉の前で自分たちの話を聞いていたのだろう。わざわざ気配まで消して。
この宮殿を覆う結界、その二重の内一つを彼が張っていたことを、彼女が来た嬉しさですっかり忘れていた。なんとも情けないことだが。
そんな自分に苦笑していると、彼は、構うことなく彼女に言った。
「言うなら、さっさと言え。言う気がないなら、とっとと何処ぞへ失せろ。」
「いやいや、ルカ。は…!」
「…いちいち口を挟んでくるな、この馬鹿者が。俺はコイツに言っているのだ。」
「俺は、馬鹿でも何でも構わないけど、に失せろって…」
「第一、貴様は、コイツをいちいち過保護にし過ぎる。だから、コイツは付け上がるのだぞ? 自覚しているなら、少しは落ち着き黙って口を閉じていろ。目障りだ。」
「……ははは。流石の俺も、そこまで言われて黙ってるわけにはいかないな。ルカ、それ以上言うなら…」
「ふん、下らん。実に下らんな! コイツが来ただけで、ニヤニヤしおって。気味が悪い。むしろ薄ら寒くもあるわ。……おい、。貴様も、黙ってないで何とか言え。」
「……………はぁ。」
自分たちの口論を聞いて疲れたのか、それとも緊張がほぐれたのか、それとも・・・・『時間を無駄にするぐらいなら、とっとと動け!』と、彼に背を押されている気持ちになったのか・・・・。
静かに溜息を落として、彼女はゆっくり顔を上げた。