[真なる紋章]
恐い人だったなと考えながらも、結局人が出てくる時間帯まで宿に戻ることはなかった。
どうせなら、人のいないこの時間帯を使ってもう少しだけ散策してみたいと思ったからだ。
ルシファーが宿に戻ったのは、陽がそこそこ高くなり、人が行き交う時間帯になってからだった。
宿につき、部屋に戻ろうと歩を進めていると、食堂の入り口から声がかかった。だ。
「あ、。おはよう!」
「おはよう、ルシィ。」
走り寄ると、彼は静かに微笑む。だが、その表情をすぐに曇らせたので問うてみると・・・
「……ササライが、心配してたよ…。」
「あっ…!」
しまった! と思っても、もう遅い。
だが、起きて出ていった時間帯が時間帯だっただけに、わざわざ起こしてまで『事前報告』しておくのもどうかと・・・・・なんて理由を考えていると、彼は笑った。
「…大丈夫じゃないかな? さっきも笑っていたし…。」
「ほ、本当!?」
「うん…。でも、事後報告として話しておいた方が、良いと思うよ…。今、ちょうど朝食を取ってるから…。」
「わ、分かった! ありがとう!」
に礼を言い、慌てて食堂に入ってササライを探す。だが、彼を見つけて目が合った瞬間、思わず『の嘘つき!』と心で声を上げた。
自分の姿に気付いた彼は・・・・・・・ニコリと微笑みながらも、額に青筋を浮かべていたのだから。
今朝方、起きてみたら、もルシファーもいなかった。それに首を傾げながらも身支度を整えていると、が部屋に戻ってきた。何かあったのかと問うと、彼は、ルシファーが明け方こっそり散歩に出かけたので後をつけていた、と言った。どうしたものかなと考えたが、別段、彼がそれ以上なにも言わなかったので、それはそれで良しとした。それに、事前報告しようにも自分が寝ていた為、あの少年は気を使ったのかもしれないと思ったが、一応言うべき事は言っておかなくてはならない。
それに、出かけるなら出かけるで、メモの一つも書いておいてくれれば、こちらも心配せずに済むのだ。
そんな事を考えながら、ササライは、目の前に座りシュンとしている少年を見つめた。
「ルシファー。」
「うん…。」
こちらがお説教に入る気配を、少年はよく分かっている。肩を視線を落として泣きそうな顔をする。
名前を呼んだだけでこの反応。自分が怒っているとでも思っているのだろう。だが、そこまで怒ってはいない。ただ、先程思った通り『メモぐらい…』という気持ちがあっただけだ。
それと伝えると、少年は「ごめんなさい…。」と言った。
「まぁ、きみが早朝に目を覚ますなんて何事かと思ったけど……そういう日もあるよね。」
「………。」
「もういいよ。怒ってないから。」
「…本当?」
「うん。それに、僕たちを起こさないように気を使ってくれたんだよね?」
「う、うん…。」
最後の答えに少し引っかかったが、まぁいいかと結論付けて、少年の隣に座るに目を向ける。それを上手く受け取ってくれたのか、彼は「さぁ…それじゃあ、ルシィもご飯を食べよう…。」と言って、少年にメニューを渡してくれた。
朝食を食べながら、ルシファーは、ふと思ったことを口にした。
「この国の皇帝って、どんな人なのかな?」
「どうしたんだい、ルシィ? 急にそんな事を言うなんて…。」
それに反応したのは、ササライだ。
「だって、フレマリアが攻めて来るんでしょ? でも、ここは城塞で、国を守るためにあるんでしょ? 城塞の守備を任されている人がいるんでしょ? それなのに、どうして皇帝が、わざわざこっちの戦いに来るの?」
そう問えば、彼は困ったような顔をしてを見つめた。それを受けたが、静かに口を開く。
「…多分……フレマリアの親王が、出向いているからじゃないかな…?」
「フレマリアの親王…?」
「うん…。これは、小耳に挟んだんだけど……今回の行軍は、フレマリアのトップであるイライジャが、直々に兵を率いているらしいんだ…。だからじゃないかな…。」
「?」
その意味が分からずに首を傾げていると、彼は続けた。
「…昔から、フレマリア親王国とイルシオ幻大国は…犬猿の仲だったと聞いてる…。」
「あぁ、確か…太陽暦190年代辺りに起こった『フレマール革命』の後ぐらいからだったよね。」
彼の言葉に続き、ササライが思い出すように頷く。
「僕、よく意味が分からないよ…。」
「あぁ、古い歴史に関しては、まだ教えていなかったね。」
そう言って、ササライが話し出した。
「フレマリアは、昔フレマールと呼ばれていたんだけど、『フレマール革命』が終結した後に、フレマリアと名を変えたんだよ。」
「ふぅん…。」
「戦争を終わらせたイライジャが、フレマリア親王国を建国したんだ。」
「え!? でも、そんなに昔なのに…!」
「…ルシィ。この世界で『長生き出来るモノ』が存在すると、僕は前に教えたよね?」
「あ…。」
そうだ。彼とと三人で暮らしていたあの頃、勉強の時間に教えてもらった事がある。
歳を取らずに長生き出来るモノが、世界には存在していると・・・・。
「真なる…紋章?」
「うん、そうだよ。フレマリアの親王イライジャは、真なる紋章の所持者なんだ。」
「うわぁ! お話の中だけかと思ってたけど、本当に持っている人がいるなんて、なんだか凄いね!」
「………。」
そう言った途端、彼とが一瞬目を伏せたが、すぐに表情を元に戻して続けた。
「ルシィ、話を戻すよ? 確か、革命の後にフレマリアがこの国……旧サラナゲイダに攻撃を繰り返すようになったんだ。」
「でも、どうして?」
「それは、僕らにも分からないよ。もう二百年以上も昔の話だからね。」
「そっかぁ…。」
「ただ、太陽暦240年代に起こった『三国戦争』終結後に、暫くは攻撃の手を止めていたらしいんだ。」
新たに出てきた単語に、眉を寄せて首を傾げる。
「三国戦争…?」
「うん。三国戦争は、その名の通り、三つの国の間に起こった戦だよ。今はイルシオ幻大国と呼ばれている旧サラナゲイダと、フレマリア親王国、そして東のスカイイーストで起こった戦争なんだ。」
「…三つの国で、戦争したの?」
「そうらしいよ。僕も歴史書でしか知らないから、何とも言えないけどね。フレマリアとスカイイーストが手を組んで、この国を襲撃したんだ。」
「そんなの、酷いよ…。」
「…うん、そうだね。もしかしたら、裏で色んな駆け引きがあったのかもしれない。でもね、ルシィ……それが『戦争』なんだよ。」
「………。」
戦争と聞いて思い出したのは、トラン解放戦争、そしてデュナン統一戦争。三人で暮らしていたあの頃、勉強の時間にササライから教えてもらった戦争だ。
戦争が終わっても喜びだけではない。人がたくさん死に、亡くした者達は、戦後その心の傷と戦っていかなくてはならない。そう言った彼は、あの時とても悲しそうな顔をしていたのを覚えている。
自分は、戦争を知らない。戦場がどのようなものなのか、そこで人がどう生きて死んでいくのか、残された者がどれだけ辛いのか・・・・・・想像は出来ても、それはあくまで想像でしかない。
何も言えずに俯いていると、彼は続きを話し出した。
「でもね……その戦争の最中、いきなりフレマリアが手を引いたんだ。」
「え…どうして?」
「僕には、分からないよ。でも、フレマリアが手を引いたことで、サラナゲイダ勢はスカイイーストのみを相手にすれば良くなった。だからこそ、もっと長引くはずだっただろうその戦争は、数年で終わったと聞いているよ。そして、その戦争を終わらせ、この国を建国したのが………前皇帝イルシオ=シルバーバーグなんだ。」
その名前を聞いて、気付いたことがある。
「あ! この国の名前になっている人、だよね? ってことは……その人も真なる紋章を?」
「…そうだよ。そして、イルシオが4年前にこの国境付近の小競り合いに出て亡くなった後に皇位を継いだのが、その伴侶である現皇帝ミルドなんだ。イルシオ同様、ミルド皇帝も真なる紋章の所持者なんだよ。」
「それじゃあ、前の皇帝を……殺したのが………イライジャっていう人なの?」
「…かもしれないね。でも、その後、おかしな事が起こったと聞いているんだ。イルシオ前皇帝が亡くなった後、ジャンベリー平原で戦っていたはずのフレマリア軍はおろか、幻大国側の兵士も全員”変死”したらしいんだよ。」
すると、ここで、それまで黙って話を聞いていたが、ポツリと言った。
「もしかして……。」
「…うん、僕もそう思ってるよ。」
その言葉に返答するササライ。やはり意味が分からず問うと、彼は言った。
「前皇帝イルシオと、そして現皇帝ミルドの二人は、真なる紋章の所持者だったんだよ。『夢の紋章』と『幻の紋章』。確か、元は二つに分たれていたはずだけど、前皇帝が亡くなった後、分たれた二つが一つになり『夢幻』と名を変えたらしいんだ。」
「夢幻の…紋章…?」
真なる紋章の勉強は、前にした事がある。この世界の創世の話だ。
闇が涙を流し、そこから剣と盾の兄弟が生まれ、その二人が争い戦った結果・・・この世界が出来たのだと。話だけは知っていた。真なるとつくそれを宿した者には、不老と、そして絶大な”力”が与えられると・・・・。
しかし、今の話を聞くだけだと、フレマリアの王もこの国の王も、二人ともそれを持っている。何だかおとぎ話が本から出てきたようで、思わず胸がドキドキした。
「要するにね、ルシィ。伴侶を殺した相手国のトップが出て来るんだ。ミルド皇帝からすれば、またとないチャンスなんだよ。だから、首都からこうして赴いたんじゃないかな。」
「そっか……そっか…。」
そう言って、彼は「少し喉が乾いたね。」と、店員に水のお代わりを注文した。隣を見れば、が残された朝食を静かに平らげている。
そんな二人をどこか朧げな感覚で見ながら、ルシファーは、ふと思った。
『真なる紋章………それを得れば…………僕にも”力”が…?』
そんな少年の幼い”想い”を知る者は、ここには、誰もいない。