[矛盾]
そんな事を思いながらも、ふとルシファーは、シャグレィで別れてから一週間も経つのに未だが自分たちを追って来ない事が不安だった。それは、言葉となってポツリと零れる。
「……。」
「ルシィ?」
そんな自分の言葉が気になったのか、ササライが声をかけてくる。
「もう、あれから一週間もたつのに……、どうしちゃったんだろう?」
「…大丈夫だよ。ミルドレーンの宿の主人にも、ちゃんと手紙を渡したじゃないか。」
「うん……。」
「それより…」
と、ここで横から。
「どうしたんだい?」
「…開戦前に、この城塞の軍師が……例の広場で話をするらしい…。」
「え、そうなのかい? あぁ、そういえば、昨日は全く姿を見せなかったね。」
「ルシィ……行ってみる…?」
そう問われて顔を上げると、と瞳がかち合う。
彼女と同じ、オブシディアンの瞳。彼女と同じ色、同じ闇、同じ寂しさを持つ瞳。
「………うん。」
どうしてか、その瞳をずっと見続ける事が出来なくて、俯きながらそう答えた。
街の広場に行くと、昨日と同じく人でごった返していた。
この人数だと、間を割ってバルコニー近くまでは行けないと思い、一番外側から話を聞くために耳をこらす。
バルコニーの扉が開くと、それまでざわめいていた人々の声が、一斉に口を閉じた。
しかし、姿を現した男を見て、ルシファーは「あ!」と声を上げてしまった。
「ルシィ、どうしたんだい?」
「えっと、その…」
「? 宿に忘れ物でもしたのかい?」
「ち、違うよ。あのね…」
今朝方、散歩をしている時に会った男だったのだ。それを口にしようとすると、が「…話が始まるみたい。」と言ったので、ササライと共にバルコニーに目を向ける。
シンと静まり返る広場の中、ヘルド城塞軍師と見られる男は、静かな声で言った。
「美酒…………それと、ミルドレーンへ逃げる準備でもしておけ。」
遠目からだったのではっきりとは分からなかったが、男は、面倒くさそうな顔をしてそれだけ言うと、とっとと城塞の中に入ってしまった。
静まり返った広場には、バルコニーの扉が閉じられる『パタン』という音だけが、虚しく響き渡る。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
・・・・・・自分だけではなかったようだ。放心していたのは。
両隣を見れば、ササライやも自分と同じく目を丸くしてポカンと口を開けているし、周りを見渡してみれば、この街の住民達も同様。
と、我に返ったのか、バルコニーから目を離すことなく、がササライにポツリと言った。
「……ササライ…。」
「……うん。確かに、『変人軍師』とは聞いていたけど…。」
「……僕も、これほどとは思わなかった…。」
ポツリポツリと交わされる二人の会話を、放心しながら耳で拾う。
「……なんだか、口数の少ないみたいだね。」
ポツ、とそう言ったササライ。その『』という人物が、誰なのか分からなかったので聞こうとすると、遮るようにが・・・・
「あぁ……確かに…。あの人は、そういう言い回しが好きそうだから…。でも……」
実に現実的だと、僕は思う。
うん、そうだね。
「………。」
囁き合うように交わされた二人の言葉が、何故だか耳から離れなかった。
それから、一刻ほど経っただろうか。ルシファーは、ササライと宿で話をしていた。
自分が今、一番気にしていること。それは、未だが自分たちを追って来ない事だ。
その不安を吐露してササライから言葉を受けていると、外で戦の状況を聞いていたが戻ってきた。自分より先に、ササライが声をかける。
「、おかえり。どうだったんだい?」
「それが……」
途端、顔を曇らせた彼。何があったのと声をかけようとすると、それより先に、やはりササライがその言葉を紡ぐ。
の話によれば・・・・・
ジャンベリー平原での戦いは、あっという間だったという。
敵陣の総大将がやはりフレマリアのトップだという確認がされた後、幻大国総大将ミルドは、まず兵を前へ前へと動かした。まるで、何の策も用いる気もない、とでも言うように・・・。
それから暫く。敵味方の兵士が入り乱れ、時間の経過と共に味方が敵に囲まれ次々と倒れても、ミルドは、顔色一つ変えずにそれを見ながら詠唱していたという。
だが戦況は、彼女が放った”力”によって一瞬にして変わった。変わったというより、終わりを迎えた。彼女は、夢幻の紋章を使って敵軍を殺し尽くしたのだ。
「夢幻の紋章を?」
「……うん…。」
ササライとの話を聞きながら、ルシファーは、思わず項垂れた。
この国の皇帝が持つ、真なるそれ。確かに敵軍ではあるが、それを使って躊躇なく2000人もの命を奪ったと・・・・。
「それで…?」
「結果として……イルシオ前皇帝の仇であるフレマリア王も殺し、勝利を得たけど…」
「…生き残った兵士達は、こう思っただろうね。『夢幻の紋章詠唱の時間稼ぎをする為に、自分たちを捨て駒としたんだ』と…。」
「うん。でも………そんな中でも、ミルド皇帝は笑っていたらしい…。」
「なっ…!」
「本当だよ。『イライジャを殺せた!』と言って……彼女は笑っていたんだ。」
「っ……。」
ササライが声を詰まらせたのが、俯いている状態でも分かった。
だが、ふと思う。今のの言い方は、まるで彼がその場で実際目にしてきたような、そんな言い方だ、と。
でも・・・・・。
「さっき聞いてきた話だと…。その後、一応『死した者たちを丁重に葬るように』という言葉を残して、首都へ帰還したらしいんだけど…。」
「ふーん……明らかに民衆用だね。でも、そんな言葉だけで民が納得するわけがないと分かってるだろうに…。」
「死んだ兵士の中には……この街の住民の家族もいたらしい…。」
・・・・・それは、”奪われた”という事。戦いの最中。
誰に? ・・・・・・・・自国に。しかもトップにだ。
奪う側になって分かった。家族を失った者達は、きっと、あの子狼たちのような・・・。
「っ……。」
ルシファーは、次々と襲い来る感情に、混乱した。
未だ追って来ない彼女への不安。伴侶の仇を打つために、自国民の命を利用した皇帝への怒り。奪われた者たちに陰るあの瞳を見た時の、後悔。そして・・・・・・・
あんな”力”があれば、自分も、大切な者を守れるのだろうか?
あれだけの”力”があれば、誰も傷つけることなく、誰かから奪うこともなく?
”力”を持てば、”力”を得れば、他ならぬ彼女を・・・・
・・・・・・・・守るためには、時として、誰かの命を奪わなくてはならないのに?
「っ……!」
得たのは『答え』ではなく、現実が、今の弱き自分に突き付けてくる『矛盾』だけだった。
首都、ケピタ=イルシオ。
一瞬にして勝敗を決し、宿敵であるフレマリア王イライジャを殺した、あの時の手応え。その実感に打ち震え、喜色のみで心を満たしながら、女皇帝は笑っていた。
「ふ、ふふ…あはははは! あぁ、今日は何て素晴らしい日なのかしら! あとは、を捕らえてあの紋章を手にいれれば……全てが上手くいくわ!!」
しかし、彼女の情報は、皆無。
転移を使えば一発で分かるし、100%この国から出てはいないだろう。何より、レイド城塞やヒギト城塞からの情報も無い。だが・・・・・
「もしかして…。」
ふと思い当たることがあり、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がる。
その可能性を全く考慮していなかったとは、と。
「あぁ…私は、なんて馬鹿なのかしら! 昔から彼女を知っているのに、気付きもしなかったなんて! そうよね、”それ”を見落としていたなら、どこを探しても見つからないはずだわ!」
「ミルド様…。」
そう言うと、横から声がかかった。側近の老魔術師だ。
「…あら、グレイム? ノックも無しに入ってくるなんて、あまり行儀が良いとは言えないわね。」
「申し訳ありません。」
「でも、ちょうど良かった。すぐに使いに出て欲しいのよ。ヘルド城塞に行って、国境を封鎖させ、城下をくまなく調べさせなさい。」
「…畏まりました。」
「彼女の事だから、きっと”変装”しているはずよ。それも含めて、背丈や体型、顔の作りを事細かく伝えなさい。『決して、髪や目の色、それに服装に騙されるな』と付け加えてね。」
「はい。…ですが、それでも見つからない場合は、如何致しますか?」
「何を言うの? お前の言った通りなら、は、絶対にこの国から脱出するなんて考えないでしょう?」
「……では、簡単な方法がある、と言ったら…?」
その言葉に、すらりと視線を向ける。
「簡単な方法があるとしたら、もっと早くに言うべきよねぇ?」
「……貴女様は、以前言っておりましたので。あの女には『連れ』がいる、と…。」
「そうねぇ…確かにそう言ったわ。それがどうかしたの?」
「すでに、我が手の者に調べさせております。一人は、ササライという少年で…」
「…ササライですって?」
その名前を知らないはずがなかった。視線で問えば、老魔術師は僅かに頷く。
「…はい。あの女の経歴を見れば、十中八九、あの国の神官将かと…」
「困ったわねぇ…。を捕らえるだけでも苦労しているのに、傍に真なる紋章の所持者がいるとなると…。」
「…………。」
「それで、もう一人の連れというのは?」
「ルシファーという少年だそうです。」
「……聞いたこともない名前ねぇ。………あら?」
と、ここで、部屋の外に人の気配を感じた。老魔術師がすぐに扉を開けるが、そこには誰もいない。
「誰もいない? おかしいわね、そんなはずは…」
「…それよりも、ミルド様。聞けばその少年二人は、双子のようによく似ているとか。」
「!! まさか………あぁ、『そういうこと』なのかしら?」
「恐らく…。」
「と、いうことは、は…」
「……大方、あの国で副神官長を務めている最中、というところでしょうか…。」
・・・・なるほど、そうか。そういうことか。
ルシファーという少年の事を聞いておいて正解だったと考え、思わず口元が緩む。
「ふふ…ったら、とんでもないわねぇ。でも……まぁ、その二人を捕らえれば、彼女の紋章は手に入ったも同然ね。問題は………どうやってその二人を捕らえるか、よ。」
「……もう一つの方は、如何致しますか?」
もう一つの方とは、自分の目的を成就させる為に、絶対的に必要不可欠な『モノ』の一つ。
しかし、定期的に情報が入ってきていたため、それは彼女の後でも構わない。
「聞く所によれば……は、この国に来る前に、確かグレッグミンスターに居たそうね。ということは…」
「…放っていた者の情報によれば、すでに生家にはいないとの事です。」
今は、トラン共和国と名を変えて久しい、彼の国。
そこで30年程前に起こった『解放戦争』を導き、英雄として歴史に名を残した少年。
その少年が持つ紋章。彼女の恋人であった”彼”から継承した、あの紋章。
それなら・・・・・・
「……なるほどねぇ。そうよね。それなら、『その可能性』もあるわよねぇ。」
「はい…。」
「…それを考えれば、何より先にを見つけるべきね。あの二人が知り合いなら、居場所を吐かせられるかもしれないわ。」
「畏まりました。では、そのように。……それで、ティムアル様は如何致しますか?」
「…まだ大丈夫でしょう。気付かれてもいないはず…。それなら、暫く自由にさせておきなさい。それと、フレマリアだけど、まずは『計画』を優先させるわ。」
「左様で…。」
「イライジャのいないフレマリアなんか、計画が成った後にじっくり落とせば良いじゃない? あそこを落として領土が増えれば、先の戦の死者たちに報いてあげられる程の国益が出せるもの。」
「………御意。」
敵兵の変死は、瞬く間にヘルド城下へ知れ渡った。
味方を捨て駒として利用した皇帝の残虐ぶりは、同時に、ヘルド城塞を守備する者たちにも波紋を広げている。
それを分かっていて尚、この女皇帝は、愛する者を取り戻すためだけに生きている。愛する者を取り戻すためだけに、愛する者と共に作り上げたこの国を、民を、犠牲にしながら。
「…………。」
その『矛盾』を全て知っていながらも、諫言一つすることもせず、グレイムは、そっと口端を上げた。