「ふ、ふふ…あはははは! あぁ、今日は何て素晴らしい日なのかしら! あとは、を捕らえてあの紋章を手にいれれば……全てが上手くいくわ!!」

 皇帝の部屋の扉を叩こうとした時、中から聞こえてきた笑い声に、ティムアルは息を潜めた。



[友人と友人]




 ジャンベリー平原で起こった戦の結果を聞こうとやって来たのだが、その言葉の中にあった『』という単語が、耳についた。
 そして、『あの紋章』。それが何を示すのかは分からなかったが、それは、ティムアルの手を止め気配を消させるには充分だった。

 あぁ、私は、なんて馬鹿なのかしら!
 そんな叫びにも近い声が中から聞こえてきた直後、転移で入ったのだろうか、他の人間の声が聞こえてくる。
 これは・・・・グレイムか?

 「…………。」

 グレイムという名の老魔術師は、ミルドが皇座につき、暫くしてどこからともなく現れると、みるみる彼女の信を得、あっという間に側近にまで登り詰めた。
 それが気に入らないというわけではなかったが、あの男の醸す気配が嫌だった。纏う空気が嫌だった。
 おぞましい気配、といえるだろうか。あの男が姿を見せるだけで、心身共にゾワリとした嫌なざわめきに支配され、苛立ちが募る。他の将も同様のようだったが、ミルド本人がそれを受け入れ、あえて側近として重用しているのだから、何も言えない。言おうとしても、彼女は絶対にそれを聞き入れることはないだろう。

 ・・・・・なんとも不甲斐ないことか。
 尊敬し敬愛しているはずの、自分たちにとっての『祖先』とも呼べるべき御方に、諫言一つ出来ないなど。

 そう考えている最中にも、彼らの会話は進んでいく。どうやら、『』のことを話しているようだ。それを耳に入れながらも、思考は止まらない。
 あの女性が狙われる理由は分かっていたが、どうしても腑に落ちない部分が多かった。
 皇帝に刃を向けたというのなら、それは、死に値するべき大罪と呼ぶに相応しいが、如何せん、皇帝自身が彼女との謁見を許したのだ。だから謁見が叶ったのだろう。
 しかし、それなのに、ならば何故、彼女は皇帝に刃を向けた? 刃を向けたということは、それなりの理由があったのではないか? ・・・・それだけが分からない。

 会話が、扉越しに聞こえてくる。

 「……貴女様は、以前言っておりましたので。あの女には『連れ』がいる、と…。」
 「そうねぇ…確かにそう言ったわ。それがどうかしたの?」
 「すでに、我が手の者に調べさせております。一人は、ササライという少年で…」
 「…ササライですって?」

 その名前を知らないはずがなかった。ミルドが視線で問うたのだろう、老魔術師が話し出す。あの女の経歴を見れば、十中八九、あの国の神官将だろう、と・・・。
 それを聞いて、やはりそうだったのかと思った。以前、城下で出会ったあの少年が、本物のササライだったのだと。
 直後聞こえたミルドの言葉で、彼が真なる紋章を所持していることを知った。しかし、次に聞こえてきた名前に、思わず眉を寄せた。

 「それで、もう一人の連れというのは?」
 「ルシファーという少年だそうです。」
 「……聞いたこともない名前ねぇ。………あら?」

 っ、気付かれたか!?
 そう思い、すぐにその場を足早に立ち去る。
 しかし、頭の中では、その名前だけがグルグルと巡っていた。

 ルシファーという少年。皇帝聖誕祭の日、裏通りで出会い迷子になっていた、あの少年。
 裏道を一緒に抜ける間に話をしただけだったが、あんな純粋そうな少年が、何故『ハルモニアの中枢にいたあの二人』と行動を共にしているのか? いや、しかし・・・あの少年は、ササライとそっくりだった。ということは、あの二人は兄弟?
 そうなると、あの優しそうな快活な少年も、ハルモニアの・・・・?

 だが、今聞いていた話だけでは、ミルドは、という女性だけでなくその連れである『ササライ』と『ルシファー』二人も捕らえる可能性がある。しかし、それでは、いずれ国交問題に発展するだろう。

 聞いた話だが、神官長ヒクサクに代わって『』が政治の指揮を取り始めてから、すぐに近隣諸国との友好条約を取り交わし、それからは侵攻侵略といった行為もしていない。
 その名を軽視してはいけないとはいっても、彼女の連れとはいえ、ササライやルシファーまで捕らえる必要はないのだ。それが知られれば、確実に国交が拗れると分かっているはずなのに・・・・・・・何故?

 彼女だけでなく、彼らも捕らえようとする、その『理由』とは?
 彼女の仲間であり、彼女を捕らえる邪魔をされる可能性があるから?
 でも、本当に、それだけなのか?

 ・・・・やはり腑に落ちない。何より、『何故、彼女がミルドに刃を向けたのか』だ。
 あれだけ血眼になって探すのだ。彼女たちには、何かが・・・・ある?


 「…………。」

 答えは手に入らない。自分はどうすれば良いのか、どうしたら良いのか。
 ただ、そんな中、ルシファーという少年のあの笑い顔が、どうにも頭から離れなかった。







 夕刻。
 ミルドの命でやって来たグレイムより、『捜索命令』がヘルド城塞の兵に出された、丁度その頃。

 これから捜索される事を考えると、本当にギリギリだったと言えるその時間に、がようやく戻ってきた。

 「っ、!」
 「…ただいま、ササライ。」

 ササライは、すぐに彼女に駆け寄った。そして、その体に傷がないか確かめてから、ホッと息をはく。

 「怪我はしていないみたいだね…良かった。ハルモニアに行くだけなのに、一週間も戻って来ないから、何かあったんじゃないかって…!」
 「…ごめん、心配かけて。…………そういえば、ルシィとは?」

 本当に申し訳なさそうな顔をしてそう問う彼女に、あの二人は一緒に買い物に出かけていると答えて、もう一度だけその体に傷がないか確かめる。

 「……本当に、怪我はしてないかい?」
 「うん、大丈夫。…………ササライ。ルシィがいないなら、ちょっと話しておきたいことがあるんだけど……良い?」
 「なんだい?」

 ・・・珍しい。彼女自ら、話しておきたい事があるなんて。
 そうは思ったが、彼女を席につかせて、その正面に座る。

 「それで、話って…?」
 「…私が、一週間戻らなかった理由…。」
 「あぁ…まずは、それからだね。」

 ハルモニアに行っていただけなら、一週間も戻らないなんて事はない。そう思ったから、その続きを促した。

 「一つは、これ。」

 そう言って手渡された物は、封印球。しかも、どの紋章屋でも見かけるような。

 「これは……雷の紋章? もしかして、これをルシィに?」
 「うん…。あの子は、雷紋章と相性が良い。だから…」
 「…分かった。後で、僕が渡しておくよ。……それで、もう一つの理由は?」

 そう問うと、彼女は、口元に手を当てた。思案しているのだろう。
 じっと待っていても良かったが、いつルシファー達が戻ってくるか分からない。あの少年がいない間に話しておきたいというのなら、思案する時間は惜しいのではないだろうか?
 それを口にする前に、彼女は、ポツリと言った。

 「……お金だよ。」
 「おかね?」
 「……今、私が持っている有り金すべてを、世界各地で金塊に換えていた。」
 「どういうことだい?」
 「……私は、前に言ったよね。この国で戦争が起こるって…。」
 「うん、そう言っていたけど…」
 「……戦争をするにも、お金がいるんだよ。」
 「それは知っているけど、どうして金塊になんて…」
 「……それが必要だと、私は、知ってるから…。」
 「?」
 「……ごめん。いま話せるのは、これだけなんだ…。」

 更に問おうとしたが、心底申し訳なさそうな顔でそう言われてしまっては、問うことは出来ない。それに自分も、彼女に報告しておかなければならない事があるのだ。シャグレィで別れてからこれまでの経緯を、彼女はきっと望んでいる。
 だから、話した。夢の森で、番人と対峙した時のこと。ヘルド城塞に無事到着したは良いが、フレマリアの侵攻を受け、ミルド自ら陣頭に立ち、親王イライジャ率いるフレマリア軍2000人を皆殺しにしたこと。

 それを聞いた彼女は、実に悲痛な面持ちで俯いた。

 「、大丈夫かい?」
 「うん、平気…。………それで、続きは?」」
 「ここからは、僕の推測になるよ。良いかい?」
 「…お願い。」

 敵とはいえ、2000人もの命をあっという間に奪い去った皇帝の所行に、彼女はきっと心を痛めている。そう思ったが、ルシファーが戻ってくる前に、話しておかなくてはならない。

 「まずは、夢の森で戦った『番人』なんだけど……あれは、ミルド皇帝の紋章の眷属なんじゃないかと思ってる。」
 「ミルドの…?」
 「も、僕と同じ意見だよ。」
 「…どうしてそう思うの?」
 「あれは……モンスターでも人間でもなかった。今は、そうとしか言えないんだ。でも、あの感覚は、きっと…」

 ざわりとした気持ちの悪くなるような感覚。まるで幻覚を見せられているんじゃないかと思うほど、体が怖気立つような不気味さ。
 今は、そうとしか言えない。何故なら、あれが本当にミルドの眷属なのかすら、はっきりとは分からないのだから。
 そう口にすれば彼女は、それならそれでと思ったのだろう、続きを促した。

 「それと、今日の昼の戦いだけど…。」
 「……ミルドは、夢幻の紋章を?」
 「うん。あの巨大な力は、確かに真なる紋章だった。波長がまったく同じだったから…。」

 ジャンベリー平原での戦が行われている最中、自分は宿にいたが、真なる紋章を使用した時のような感覚を受けた。あの強力な”力”の波長は、一般に普及されているような紋章のものではない。実は、ルシファーには教えなかったが、が身を隠しながらあの戦を遠目から観戦しに行っていた事も知っていた。
 そう話すと、彼女が言った。

 「…私も、ここに戻る途中に、こっちの方角から真なる紋章の力を感じた。やっぱり、ミルドが…。」
 「でも…、僕には、一つだけ腑に落ちない事があるんだ。」
 「…なに?」

 言おうかどうしようか迷ったが、口にした方が良い。自分の『予想』が正しいのなら、彼女は、きっと迷った末に答えてくれるはずだ。

 「フレマリアの王は、真なる紋章を持っているよね。それなのに、そう簡単に殺されると思うかい? 僕は正直、親王が死んだとは思えないんだ。」
 「………。」

 そう言った途端、彼女が口を閉ざした。伺いではなく、はっきりとした問いかけだと分かったからだろう。だが、それだけではない。口を閉ざしながらも彼女は、何か思案するような素振りを見せている。

 「……きみは、もしかして…?」
 「………。」

 そう問えど、彼女は何も答えない。心ここに在らず、ではないはずなのに。
 もう一度、声をかけようと口を開きかけたところで、彼女はポツリと『答え』た。

 「…………フレマリアの親王とは、知り合いだよ…。」
 「やっぱり……。」

 彼女は、長い時を生きている。そして彼女は、多くの『所持者』を知っている。
 それは、まるで彼女の紋章が、そうなる事を望んでいるかのように・・・・。

 しかし、やはりと思う反面、彼女の悲痛な顔を見ている事が出来ず、思わず視線を逸らす。そんな顔をさせたくて質問したわけじゃないのに、それでも、今そうさせているのは自分。

 「…暦書で読んだだけだけど…190年代のフレマール革命の後から、フレマリアは、この国を執拗に攻撃しているよね。でも、本格的に侵攻したという話は、今まで聞いたことがない。確かに、それはおかしい事なんだよ…。僕は、全てを知ってるわけじゃないけど…。」
 「…………。」
 「…。イライジャの本当の狙いは、何だったんだい? きみは、それを知っているんじゃないのかい?」
 「…………。」

 前皇帝、そして現皇帝と知り合いで、更には、フレマリアの王とも知り合いで・・・。
 例えば、彼らを『友人』と括るのなら、彼女が心を痛めているのは分かる。友人が友人を攻めているのだ。それは分かる。
 そして、イルシオの伴侶であったミルドが、親王イライジャを憎み殺そうとしている理由も分かる。愛する者を殺されたのだから、その『復讐』をしようとするのも。

 でも・・・・・・

 「…。イライジャは、何を狙っているんだい? それだけが、どうしても分からないんだ。」
 「…………ごめん……。ごめん、ササライ…。」

 私は、何も言えない。そう言って彼女は、項垂れ静かに首を振った。
 けれど、それを見て思った。

 あぁ・・・・そうか。彼女は、『全て』知っているのか。
 イライジャが、『本格的に幻大国に侵攻しない理由』を。
 イライジャが、『イルシオを殺した理由』を。
 イライジャが、それでも『戦いの手を止めなかった理由』を。

 全て知りながら、それでも・・・・・・・言えない、と。

 「……分かったよ。無理には聞かないよ。でも…」
 「うん。必ず………いつか、必ず話すから………だから、今は…」

 それでも言えないと、彼女がそう言うのなら。
 その『理由』を全て知っているからこそ言えないと、彼女がそう言うのなら。
 いつか必ず話すと、彼女が、そう言ってくれたのなら。

 「……うん、分かった。」

 気にはなる。気にはなるが、待つことは出来る。
 必ずと、そう言ってくれたのだから。
 そんな自分は、彼女を信じて、ここまでついて来たのだから。

 「でも……無理はしないで…。」
 「……うん。」

 彼女を信じているのだから、最後まで、信じ抜けば良いと・・・・。