[未だ…]
彼の少年の抱える『秘密』。
それは、”出生”であり”記憶”であり、また、生まれ持った”力”でもあった。
未だに自分は、悩んでいる。
輪に入ることが許されたとはいえ、未だ”それ”に対して腹を決めかねている。
少年に話すべきか否か・・・・・・いや、まだ早いと分かっている。まだ、ずっとずっと先で良いと。そう思う反面、”先”か”後”か、未だ迷いが断ち切れずにいる。
あの少年には、これから更に過酷な運命が待ち受けている。
それなら、まだ先でも良いかもしれない。全て終わってからでも遅くないかもしれない。
でも・・・・・
「?」
「………………ごめん、少し出てくる。」
「え? でも…」
「…大丈夫。すぐに戻ってくるから、心配しないで…。」
結局、未だ結論する事なく、その思考を中断せざるを得なかった。何故なら、おかしな気配を感じたからだ。
・・・いや、ヘルド城塞に到着してから、ずっと視線を感じていた。それは、戦いを知らぬ者なら当然だろうが、知る者であろうと、よほど勘の良い者にしか分からないだろう、そんな視線。これは・・・・・・・相当な訓練を受けた手練だ。
だから、彼の少年にも「風呂に入って来るね…。」と嘘をついて部屋を出た。
宿の外に出ると、空はすっかり暗くなっていた。
これだけの暗さなら、気配を消せば、相手に勘付かれる事なく捕らえる事が出来るだろう。
気配を完全に消して宿の裏手に行くと、そこに気配の主がいた。宿にいる時に気配を感じたのは一人分。だが、そこに居たのは二人。・・・・・なるほど、一方は『連絡係』か。
黒装束を纏ったその二人は、木の影で何やら小声で話している。、という単語を聞き取れたので、やはりミルドの手先だろう。
この地方にいること、そして、この城下にいると彼女に知れれば、後々面倒になる。
そう考え『二人まとめて捕らえてしまおう』と、気配を消し、素早く距離を縮めた瞬間、一方に気付かれた。
「っ!?」
「行けっ!」
自分の気配に気付いた一方が声を詰まらせると、それで悟ったのか、もう一方がそう言った。・・・・でも、逃がしはしない。
行けと言った方の首筋に手刀を入れて気絶させ、同じ攻撃を仕掛けようと身を翻した時、逃げようとしていた方が地面に何か叩き付けた。
煙幕? そう思った直後、それは途端に煙りを上げ、己が視界を塞ぐ。
「……………。」
煙がおさまった頃には、すでに二人目は姿を消していた。近場に気配も感じない。
ミルドのやつ・・・・やはり相当な手練を飼っている。そう思いながら、捕らえた方に近づき、逃げられないよう首根を掴んで軽く頬を叩いた。
「うっ…。」
「…目が覚めた?」
相手は、自分が目の前にいる事に驚いたのか息を飲む。次に、首根を捕われているため逃げられないと悟ったのか、ギリと奥歯を鳴らした。
それを気にすることなく、言葉を続ける。
「それで………あんたを差し向けた奴は…?」
「…………。」
・・・・やはり、答えないか。
この忍びという連中は、一度『主』と認めた者を裏切る事はしない。絶対的な忠誠心。
『…まるで、どこかの国の女性神官将のようだ』と、内心そんな事を思いながらも続けた。
「…殺したくない。教えてくれるなら、見逃すと約束する。どの国へ逃げるのも、あんたの自由だ。だから…」
「ぐッ、……………。」
あぁ・・・・やはり駄目だったか。そう思い、項垂れる。
舌を噛み、自決までして守るほどの事でもなかろうに。『逃がしてやる為の口実』だと、相手も分かっていただろうに。それほど高い忠誠心を払っているのなら、主に諫言の一つでもしてやれば良かっただろうに・・・。
そうは思ったが、それが主に対する彼らなりの忠義の示し方なのだろう。しかし、やはりそんな生き方を理解してやる事が出来ず、心には、少しばかりの悲しみが灯る。
しかし・・・・
「あ〜あ〜………ダメじゃないですか〜、逃がしちゃ〜!」
そんな想いを断ち切るような、実に間延びした声が自分にかけられたのは、その直後の事だった。
「…………。」
顔を上げなくても、誰だか分かる。
ルシファーを始めとした仲間達は違うだろうが、その勘に触るような言葉遣いや声の高さは、確実に自分を苛立たせている。
「幸い〜、たまたま運良くボクがこんな所にいたから良かったものの〜。いなかったら、後々とんでもない事になってるんじゃないですかァ〜?」
逃げたもう一人の方は、既に捕らえることを諦めていた。
転移を使って追っても良かったのだが、如何せん、逃げた方角が分からない。ならば、逃げる事を優先するしかない。
そう考えていたのだが、ジェンリがズルズル引きずってきた『モノ』を見て、咄嗟に眉を寄せた。それと取ったのか彼は、引きずってきた『それ』を両手を使って自分の前に放り投げる。
ドサッと、目の前に投げられた『それ』は、先ほど逃がした忍びの『骸』。
実に見事なもので、一発で正確に心臓が貫かれている。暗がりではあるが、それを成した目の前の少年は、返り血一つ浴びていないのだろう。
心臓を一突き・・・・・・それを目にし、思い出したくもない苦い過去が蘇るが、すぐにそれを消し去って、彼に問うた。
「………何の用?」
視線を合わすことなく問いかけると、彼は、クスリと笑いながら答える。
「アナタに用は、無いですよ〜。何だかおかしな視線を感じたものですから〜。それで、アナタが出ていったのかな〜? と思ったんで〜。」
「……そう。」
「あ〜! もしかして、殺さない方が良かったですか〜? 泳がすつもりだったのかな〜?」
「…………。」
近づき、これ見よがしに間近に顔を近づけて微笑みを向けてくる彼。その笑みや口調が逐一勘に触るが、今はそんな事を言っている余裕はない。だが、言うべき事は言っておかなくてはならない。
「わざわざ巻き込まれに来るほど、冒険心のあるタイプだったっけ…?」
「…………。」
と、ここで彼が黙ったと思ったら、それまで出していた柔和ですっとぼけた様な気配を真剣なものに変える。
「どうですかね〜? でも、ボクは………ただアナタが心配だったんですよ〜。」
口調は変わらなかったが、その表情は、何より真剣そのものだった。
だからは、僅かに首を振りながら、こう言うしかなかった。
「………ごめん。それと、ありがとう…。」
彼は、それに暫し困ったような顔をしていたが、やがて「どう致しまして〜!」と、満面微笑んだ。
死体二つを、宿の裏手の人目につかない場所に隠し終えて、軽く手を払う。
手厚く埋葬してやりたいとは思ったが、そうも言っていられない。早々にこの街から出なければ、自分だけでなく仲間達にも被害が及ぶ。
しかし、やはりそれだけでは申し訳なかったので、死体の傍に、近場に咲いていた花を手向けておいた。
そこから去るため歩き出すと、彼が隣につきながら、言った。
「そういえば〜。さんて、いくつなんですか〜?」
「……そんな事を聞いて、どうするの?」
問えば彼は、クスリと笑いながら見上げてくる。
「う〜ん。別に、他意は無いですよ〜? いくつかな〜と思っただけでェ〜。」
「………。」
「あ〜! 触れられたくなかったですか〜? それじゃあ〜…、趣味とか聞いても良いですか〜?」
「……ジェンリ。」
流石に苛立ちが募り、名を呼ぶ事で『やめろ』と言うと、彼は大きな目を瞬かせた。
「あれ〜? ひょっとして、怒ってますゥ〜?」
「……下らない話をする気はないよ…。それより……」
「『どうして、あの子に近づいたんだ?』……アナタは、そう聞きたいんでしょ〜?」
遮るように彼が放った一言で、思わず閉口する。
握手をした際、遠回しに牽制したつもりだったが、彼は、それすら気にかけようとも思わないのか、ニッコリと微笑みながら続ける。
「でもでも〜! その『理由』は、アナタが一番よく分かっているんじゃないですか〜?」
「あんたッ…!!」
怒気ではないが、まるで面白がるように発される彼の言葉に、思わず声を荒げてしまう。
だが、「怒鳴ったら〜、見つかっちゃいますよ〜?」と言われ、咄嗟に口を噤む。
「良いんですか〜? ”時”が迫っているのに〜。アナタは、未だ決めかねているみたいですケド〜。」
発される言葉はふざけているようだが、自分の芯をしっかり捕らえて離さない。
「でも、大丈夫ですよ〜! ボクは、アナタに酷いことをするつもりはないので〜。」
「っ……。」
「それにボクは〜、アナタのことが好…」
だからこそ、その言葉を止める為に・・・『自分』を保つ為には、こう言う他なかった。
「っ、お願い…………お願いだから……っ…もう黙って…!」
忘れていたはずの”感情”。
蘇り、ジワジワと己の中で復元しながら肥大していく、それら。
それを荒らされぬ為に、拳を握りしめながら、そう請うた。
「……分かりましたァ〜。ボク、もう黙ります〜…。」
「………。」
自分の心情を察してくれたのか、それから彼は黙り、そっと溜息をついた。
それで、この話を終わらせたつもりだった。そのつもりだった、はずなのに・・・・
自分の中では、未だ、それらを心の奥底にしまい込むことが出来ないでいた。
そんな自分に感じるのは、抗い切れない”想い”や”力”が抑えられなくなっているという、抗いたくても抗えない現実。
「さ〜ん?」
「……なんでもない…。」
そう答えるのが、精一杯だった。
だから、お願い・・・・・
「あんたは…………先に戻ってて…。」
「…? さ…」
「お願いだからッ!! 今は………っ……私を一人にして…!」
自分の意思を汲み、彼がここから離れてくれれば、それで充分だった。
ただ・・・・・一人になりたかっただけだ。
「…………嫌だ。」
ス、と空気が揺れた。
自分の意思を否定する言葉と共に、何を思ったか彼は緩やかな動作で正面に立つと、そっと肩に手をおいてくる。
「ジェンリ、お願いだから…!」
そう口にしながら、溢れそうになる涙をぐっと堪えて顔を上げる。
だが、それ以上言葉を紡ぐことが出来なかった。何故なら彼も、自分と同じような顔をしていたのだから・・・・。
「……ごめん、。そんな顔をさせたくて、アンタにこんなこと言ったんじゃないんだ…。オレ、もう黙るから………………だから、泣かないでくれよ…。」
そう言い、そっと抱きしめてきた彼は・・・・・自分の知る、未だ『哀しい誓い』を胸に秘めたまま生き続ける”本来の彼”だった。