[正気]
「…あら? またノックもなしに入って来るなんて……本当に行儀が悪いのねぇ。」
首都ケピタ=イルシオ城内にある、とある一室。
月明かりだけが支配するその部屋の中、ミルドは、何もない暗闇に向けてそう呟いた。
「それが……」
そこから音もなく気配もなく姿を現したのは、老魔術師グレイム。
「どうかしたの? 何か進展があったって事かしら?」
「……我が手の者が二名、ヘルド城下で殺されたという話が、たった今…」
「あら? ということは、はやっぱり城下にいたのね?」
そう言い、眉を上げて喜色を表すも、彼はそっと俯く。
「それなら、すぐにでも捕らえて、私の所に…」
「その件ですが…」
「なに? 早く言いなさい。」
「国境も城門も封じたのですが……J兄弟も軍師も『住民の混乱を防ぐために』と、捜索は夜が明けてから行うようです…。」
「……何ですって?」
眉を寄せて睨みつけるも、彼は、それに何の反応を示すこともなく言葉を続ける。
「私めも、夜が明ける前に始めろと申したのですが…」
「グレイム……貴方、ふざけているのかしら? 『何よりの捜索を第一に』と、あの時私は、確かに伝えたはずよね…?」
「はい、確かに…。ですが、あの兄弟も軍師も『住民に不安を抱かせるわけにはいかない』と、意見を曲げず…」
「この大馬鹿者がッ!!!!」
ガッ!!!
鞘に収まったままの剣を振り上げ、そのまま殴りつける。
老魔術師が、大きな音を立てて床に叩き付けられる。
だが、殴るだけでは心が収まらず、刀身を引き抜いてその首筋に突き付けた。
「お前は、私を馬鹿にしているの!?」
「……滅相もございません。」
「あと少しという所で逃げられては、『計画』が先延ばしになるだけじゃないの! いいえ……彼女の事だから、もうとっくにヘルドから逃げ出しているに決まってるわ!!」
「ミルド様…」
「お前が……あの時『イルシオを取り戻せる』と言ったから、私は…っ……この時だけを信じて待っていたというのにッ!!」
「ミルド様、どうか落ち着いて下さい…。」
「黙りなさい、このッ…!!!!」
・・・・・あれから4年。
イルシオが、器だけを残して自分の傍からいなくなってから・・・。
彼のいないその4年という”時”を、ただただこの『計画』のために待ち生き続けた。
彼を取り戻すために、『彼女』がこの国に入るその時を、ただ待ち続けたのだ。
それなのに・・・・!!!
腹立たしいを通り越し、『絶対にイルシオを取り戻せる』と、あの時そう言ったこの老魔術師に殺意すら湧き上がり、激情のまま剣を振り上げた。
だが、その首筋に振り下ろそうとしたその瞬間、老魔術師は静かに言った。
「それならば…………もっと簡単な方法があると言ったら、どうなさいますか?」
「…簡単な方法?」
剣を振り上げた状態のまま、老魔術師を睨みつける。
命が惜しくての下らぬ策ならば、すぐに斬って捨てれば良いのだ。
「……貴女様の、その手に宿る紋章を使えば宜しいのですよ…。」
「これを…?」
分かたれていた二つが交じわった、その刻印。
己が右手に宿るそれをじっと見つめていると、彼は言った。
「はい…。それを使い、あの女の”心”を突けば良いのです…。」
「…なるほどねぇ。確かに、そういう『使い方』もあるわね。……でも、そうなると、私自ら出向かないといけないわよねぇ?」
「…ご足労をおかけする事は承知ですが………それが、一番確実な方法かと…。」
「…分かったわ。それなら、すぐにでも彼女の居場所を突き止めなさい。迅速にね。」
そう言い、踵を返して部屋を出ようとすると、それを引き止めるように彼が問うてくる。
「畏まりました…。それと………J兄弟と軍師の処分は、如何致しますか?」
「あの三人は……そうねぇ……暫く謹慎処分を命じておきなさい。」
「……貴女様の命に背いた者に『慈悲』をおかけになる、と?」
「あら、不満そうな顔ねぇ? それじゃあお前は、どんな処分が適切だと思うのかしら?」
そう問うと彼は、気配こそ変わらぬが、常人からすれば実におぞましい声色で答えた。
「一国の主の命に背き、あの女を逃がしたとあっては…………”死罪”は免れぬかと…。」
「…ふん。いくら逃がしてしまったといえど、流石にそれはやり過ぎじゃないかしら?」
「……時として、国の長たる者は、臣下と言えど非情な処分を下さねばならぬ事もあるのです…。」
・・・確かに、そうかもしれない。国の主である自分の命に背き、独断で『捜索を明け方にした』というあの三人の処分は、謹慎では生温い。
しかし・・・・・
「…だからと言って、流石に、軍事裁判にもかけずに城塞守備者を”死罪”にするというのも、どうかしら? それに、あの軍師の坊やは別として………J兄弟を裁判にかけるとなると、確実にヘグラムやシェルディーが黙っていないわ。」
「確かにそうですが…」
「…それに今は、裁判なんかにかまけている暇はないでしょう?」
確かに、自分の命に背いたというのは、非常に憎々しく忌々しいことではある。
だが、イルシオがいた頃から重用していた『レイド城塞守備者』や『ヒギト城塞守備者』を巻き込んでまで、彼ら三人を処刑か否かで裁判にかける必要もない。
「それでは、どうなさるおつもりですか…?」
「処刑するのは、宜しくないけれど…。そうねぇ、私とお前の間を取って、牢にブチ込んでおきなさい。勿論、あくまで『謹慎処分』としてね。」
「その後は…?」
「を捕らえる頃には、充分反省しているでしょうから……そのままの処遇で構わないわ。」
そう言って、部屋の扉に手をかける。
「………畏まりました。では、そのように…」
扉を開けると、静かながらも僅かに笑いを含んだような、老魔術師の返答。
けれどミルドは、それに気付くことなく扉を閉じた。
「ミルド様………貴女様には、まだ少しだけ………『正気』がおありのようだ……。」
仕える主の去ったその部屋で、魔術師は、静かに笑っていた。
「ですが、貴女様には………いずれ、それを無くして頂かなくてはなりません……。」
彼にとっては、この国も、そこに住む者もそうでない者も、皇帝の心ですら『駒』の一つに過ぎない。
だからこそ、魔術師は、静かに笑った。
「貴女様がそれを成し…………彼の紋章を捕らえる事が出来た、その”時”こそ……」
そう遠くない未来に、人々が抗うであろう”運命”すらも、その手駒の一つとして。
「世界に”真の永遠”を与える事が………ようやく叶うのですから……。」
魔術師は・・・・・・・・・静かに笑い続ける。