「我が手の者が……それらしき一団を発見したとのこと…。」

 皇帝の居室に音も無く、また断りもなく入って来れる者。
 皇帝である自分自身がそれを許し、またそれだけの信頼を置いている者は、世界を探しても一人しかいない。

 「あら、本当に? 場所はどこかしら?」

 扉を開ける事もなく転移で入ってきたのだろう老魔術師に、ミルドはそう問うた。
 それを受け、彼は静かな声で答える。

 「……なんでも、ラミ北部にある森の中へ入っていったとか…。」
 「あら? ラミの北部の森ってことは、封じの森ね。」
 「そのようです…。」

 ラミ北部にある山岳地帯に囲まれたあの森の中では、紋章類が一切使えない。そうと知ったのはもう何百年も昔のことだが、そこに昔から存在している遺跡を思い出し、そっと眉を寄せた。

 「ということは……シンダル遺跡に用事かしら? あんな所に?」
 「……それは何とも…」

 あんな古び廃れた何の意味もない遺跡に用事など、あるはずがない。何より『彼女』は、この国から出る事なく自分から逃げ回ろうと必死なのだから。そんな悠長な事をしている余裕などないはずだ。
 それに、あの遺跡に何もない事など彼女自身が承知のはずではないか。

 そういった意味を含めて問うたのだが、老魔術師は僅かに首を振るのみ。

 「でも…貴方の手の者ねぇ? どうせまた捕まって殺されるのがオチじゃない?」

 ヘルド城下で簡単に殺されていたのだから。
 そう意地悪く問えば、彼は途端その口元を三日月に吊り上げて笑った。

 「……今度は、あの女といえど…………殺すことなど出来ますまい。」

 その言葉を聞いて、目を細める。

 「あら? ということは……」
 「…はい。少し時間はかかりましたが……貴女様のご尽力のお陰で…」

 そうか、『完成』したのか。思わず笑みが零れる。
 自分の紋章の力が必要だと言っていたこの老魔術師は、何を思ったか『少し時間をいただきたい』と言って、ここ暫く姿を見せることがなかった。だが、姿を見せその言葉を口にしたということは・・・・・

 「…ふふ、そう。それなら早速見せてちょうだい。」
 「畏まりました。…………入れ。」

 カチャ・・・・。

 彼の言葉を受け、僅かな音と共に扉が開かれ部屋に入ってきたのは、『男』だった。
 見ただけで優しいのだろうと分かる、心穏やかそうな顔。長い髪をポニーテールにし、緑のV字タンクトップの下には黒のハイネックを着た、背の高い男。

 「あら…?」

 だがミルドは、その男を見て首を傾げた。まったく知らない男だったからだ。
 するとそれと取ったのか、老魔術師が静かに問うてくる。

 「ご覧になったことは…?」
 「…残念だけど、ないわねぇ。お前、失敗したんじゃないの?」

 こうも失敗続きではまたも怒りが再燃し、今度こそお前を殺してしまうかもしれない。
 言外にそう言うと、彼はそれに臆すことなく、はっきりと答えた。

 「ミルド様、どうぞご安心下さい。この者ならば………いくらあの女といえど、絶対に手にかけることは出来ますまい…。」
 「あら? ということは、その言葉の意味を知るのは、後のお楽しみってことかしら?」
 「左様でございます…。」

 その『男』が自分の知る者でないのが非常に残念ではあるが、ということは”彼”よりもっと昔の存在であるということか。
 まぁ、それならそれで良い。後に真相を知って楽しめば良いのだ。
 その男が『彼女』にとってどういった類の者なのかは知らないが、老魔術師の言った通りなら、確実に『彼女』の心を追いつめてくれるのだろうから・・・・・。

 言葉の中に見えた『絶対の自信』を受けて一つ頷いてやると、老魔術師が男に向けて言った。

 「……………行け。」
 「はい。」

 指示を受け、男は穏やかな表情のまま静かに頷くと、瞬時に姿を消した。
 それを見届けてから、老魔術師に声をかける。

 「…それで、グレイム? 私は、この後どうすれば良いかしら?」
 「貴女様には、早急に一隊を率いて現地に向かっていただきたい…。」
 「…そう、分かったわ。それなら一応スタンも連れて行きましょう。あの子には、反対側をお願いするわ。そう伝えておきなさい。」
 「畏まりました…。スタナカーフ将軍に申し伝えたら、私も共に参りましょう…。」

 言葉を終えて老魔術師が姿を消したのを見送ってから、ミルドは満面の笑みを浮かべた。

 「ふふ…………『狩り』に出かけるなんて、本当久しぶり。楽しみねぇ…。」



[戻りかけの側面]



 ヘルド城塞から国境沿いを数日かけて歩き通し、警備の殆どいない吊り橋をかいくぐって山間部から封じの森へ入ったところで、今日はもう休もうという事になった。

 道中モンスターを何度も相手にしたせいか、ルシファーの顔に疲労が滲み出ていた事を分かっていたようだが、彼女は決して甘やかすことはなかった。
 それを知っていたササライは、食後が少年を連れて枝を拾いに行ったのを期に、彼女の隣に腰を下ろした。ジェンリは限界だったようで、食事を取ってすぐに「ボク、もう寝ます〜。」と言って、焚き火を挟んだ向かい側ですでに就寝している。
 彼が眠っているのを確認して、隣の彼女にそっと声をかけた。

 「、大丈夫かい?」
 「……何が?」
 「随分疲れてるみたいだから…。」
 「…私の心配はいいから、あの子の面倒を見てやって…。」

 あぁ・・・・まただ。また彼女は、大丈夫じゃない顔をしながらもそれを心の奥底に隠して、あの少年の心配だけをする。あの少年のことだけでなく、彼女の事も常に気にかけていると、彼女自身で分かってくれているだろうに。
 ・・・・いい加減に、強く言わないと分かってくれないか。

 「…勿論、ルシィの事も心配しているよ。でも、きみの事も心配してるんだって、いい加減に分からないかな?」
 「ササライ…?」

 少し苛々していたのは、彼女だけではない。自分だってそうなのだ。
 それなのに、決まって彼女が口にするのは『私の事よりあの子を…』だ。それはそれで構わないと思っていたが、流石にここまで疲労を目一杯溜めながら、それでもそれを隠そうとした顔で言われると、温厚だと言われ続けている自分でも苛立ってくる。
 辛ければ辛いと言えばいいのに。大丈夫じゃないなら、全然平気なんかじゃないと、はっきりそう言ってくれればいいのに・・・・。

 自分が苛立っていると分かったのか、彼女は、驚いたように自分を見つめてくる。

 「…大して疲れてない時には、疲れた疲れたと煩い。でも、本当に疲れている時は、何故か絶対に疲れたとは言わない。」
 「あんた、なに言って…」
 「……分からないかい? きみの事だよ。」
 「え…?」

 そう言うと、彼女は目を瞬かせた。
 どうして自分がそんな事を言い出したのか、本当に分からないのだろう。

 「…前にルカが言ってたんだよ。」
 「あいつが…?」
 「…彼、数年の間きみと旅をしていたって言ってたよ。 ハルモニアにいた頃、その時のことを話してくれた事があったんだ。」

 だから彼は、きみの事をよく知ってる。僕に教えてくれたから、勿論僕も知ってる。
 大した怪我じゃない時は「痛い痛い」とギャアギャア喚くくせに、本当に耐えかねるような怪我を負った時は、何故か絶対に「平気、大丈夫」としか口にしないこと。
 腹が減った、眠い。きみがそう口にする時は、実は大して減ってもおらず眠くもなく、それが本音である時は、それを隠して絶対に「平気」としか言わないこと。

 そう付け足すと、彼女は目を見開いた。ハルモニアにいた頃、自分がまったく彼と話さなかったとでも思っているのだろうか?
 すると彼女は、片手で口元を隠しながら顔を伏せた。でも逃がしてやるつもりはない。
 だが、追うようにその顔を覗き込んで、思わず驚いた。明かりという明かりは焚き火と月しかない中でも、彼女の顔が赤くなっていたからだ。

 「?」
 「…あの馬鹿ッ…!」

 恥ずかしさを隠すようそう言い放った彼女は、逃げるように顔を背ける。
 ・・・初めてだった。彼女が顔を赤くしている所を見るなんて。

 「…僕も正直、きみが『ギャアギャア喚く』なんて聞いた時は嘘じゃないかって疑ったんだけど…………その顔を見る限り、彼の話は本当の事みたいだね。」
 「……うるさい。」
 「でも、ルカが言うんだから本当のことだよね? だって彼、何年もきみと一緒に過ごしていたんだから。僕なんかよりは、きみの事をずっとよく知っているだろうし。」
 「……うるさい。」

 顔を赤くしそっぽを向いて、必死に「うるさい」としか言わない彼女。
 それを見て、何だか少しだけ近づけた気がして、もう一頑張りしてみようかと思った。

 「。」
 「……うるさい。」
 「煩くないよ。僕は、きみの事だって心配してるんだから。」
 「……うるさいよ。」

 凭れている木を中心に、必死になってズリズリ逃れようとする姿。それが内心少し面白くなってしまい、彼女がずれる度に近寄った。

 「顔が赤いけど、大丈夫?」
 「……うるさいってば。もうあっち行って。」
 「怪我をしたら痛くて当然なんだから、別にギャアギャア喚いたって良いじゃないか。」
 「…………うるさいって言ってんでしょ。もうあっち行って。ルシィ達が戻るまで、あんたは焚き火の番しててよ。」
 「そんなに恥ずかしい過去とは思わないけどなぁ…。」

 それから先は、何を言っても「うるさい」としか言ってもらえなかったが、ササライはそれで良かった。



 最後の最後に、小さな声で「でも……ありがとう。」と、呟くような彼女の言葉が聞こえてきたから・・・・。