ふと誰かに名前を呼ばれた。
 「ちゃん、目を覚まして」と・・・・・。

 懐かしい、忘れようにも忘れられない、その”声”。
 けれど、それが誰のものだったのかどうしても思い出せなくて、覚醒を促そうとする無意識の中でずっと『答え』を探していた。



[深き守りの村にて]



 誰かに、名前を呼ばれていた気がする。
 目を開けながらそれが誰だったのか思い出そうとするも、その”声”は覚醒と共に遠ざかり、もう音として聞こえない。

 自分が、どこかの部屋にいることだけは分かった。寝ているふわふわした場所は暖かいベッド。薄いカーテンからは茜色の光。夕刻・・・?
 カチャ、と音が聞こえた。ゆっくりと身を起こしてそちらへ目を向ければ、扉から顔を覗かせたのは。彼は、自分が起きていることを確認すると、静かに中へ入ってきた。

 「ここは…?」
 「…深き守りの村です…。」
 「深き守りの…」

 ということは、あの三兄弟の生まれ育った村か。
 そう考えているとが近づき、ベッドサイドに置かれている椅子に座った。

 「…気を失ったあなたを、ジュレーグさんが背負って……ここまで来たんです…。」
 「皆は…?」
 「…たぶん、無事です…。」
 「たぶん?」

 意味が分からない。
 視線で問えば、彼は、ここに来るまでの経緯を話し出した。



 自分が”力”を使って倒れた後、遺跡の天井が崩れフロアだけでなくパーティーが二つに分断されたこと。合流地点をミルドレーンと定め、それぞれ目的地を目指すこと。
 森を抜ける途中にこの村を発見し、暫く休もうと宿を取ったこと。

 「それじゃあ、ルシィとササライは…」
 「はい…。ジェンリくんとの三人で、北側から抜けてミルドレーンを目指すと…。」
 「……そう、分かった。ありがとう…。」

 礼を言い起き上がろうとすると、止められた。
 なんだと顔を上げると、彼は、僅かに怒りの灯ったような目。

 「何故ですか…?」
 「…?」

 彼の言いたいことが分からなくて首を傾げる。

 「何故………無理をしたんですか!?」
 「…?」

 途端、声を荒げた彼に驚きを隠せなかったが、その意味を解す。シールディフェンダーと戦った時のことを言っているのだろう。何故さらなる『負荷』がかかることを承知で、紋章に干渉したのだ? と。そう言っているのだ。
 それに何も答える事が出来ず、はそっと顔を伏せた。






 ジェンリがルシファーに『封じの森』のをした時、思わず止めた。紋章が使えないことが、戦闘においてどれだけの『枷』になるか、自分はよく分かっていたからだ。

 自分は、あの遺跡に足を踏み入れたことはないが、森の中はある。そして、森の中だけとはいえ『紋章が使えない』ことが、どれだけ厄介なのかを知った。
 モンスターと対峙した時。怪我をした時。何より、瀕死の状況で敵から逃げようとしても転移すら使えない時。
 当時、自分がどれだけ魔法に依存していたのか知る機会にもなったが、それは同時に『ここには二度と足を踏み入れまい』という教訓にもなった。

 だからこそルシファーを止めたのだが、それだけではなかった。
 ルシファーは紋章が苦手だったし、何よりそれを付けていなかったから困ることはないだろう。やジェンリも獲物の扱いは充分心得ているだろうから、心配はしていなかった。

 だが、ササライだけは違った。自分の心配はまさに彼だったのだ。

 彼は、フレールを武器として扱うようになったが、完璧に使いこなしていると言うには程遠い。数年という短い期間、ブリジットに稽古をつけてもらっただけだ。彼のフレールの初戦は、この旅を始めてからが初。
 雑魚といえるような敵なら、まだ良いだろう。しかし、それが強敵となると、やはり紋章中心だった頃の癖は抜けないのだろう、彼は必ず流水紋章を使用していた。それはもう仕方ない。だが、いざという時は紋章主体に戻ってしまう彼が心配だった。
 そして自分の懸念とは少し違ったが、思った通り彼は傷を負った。ミリアンを庇ったのは咄嗟の判断だったのだろうが、大きな怪我をした。

 それを目にした時の、あの感覚。

 忘れていたはずの、”それ”は・・・・・・・・・”恐怖”?
 咄嗟に脳裏に過ったのは『また亡くすのか?』という”それ”。すぐにミリアンが止血を施してくれたとはいえ、あれを見た時に、忘れていたはずのそれが全身を恐怖に震わせた。

 それが『決意となるきっかけ』だったのか、それとも『別の何か』だったのかは分からない。だが、無意識に『覇王の封印』をしようと詠唱を始めてしまったということは、前者なのだろう。
 しかし、そんな事はどうでも良かった。紋章が使えず、さらには武器による攻撃もきかないという事も相まって、自分が何とかしなければならない、と・・・・。
 世界に認められたとはいえ、それに喜びながらも、巨大な”力”を持つ自分が介入することにどうしても抵抗があった。

 けれど・・・・・

 そんな戸惑いなんかよりも、自分の奥底でずっと否定していた強い『感情』が打ち勝った。
 ・・・守らなくてはならない。なんとしても守る。次こそは・・・・!!
 だからこそ・・・・・倒れる事を承知で、一時的に覇王を封じた。



 「………心配させて、ごめん。」

 そう言うだけに留めた。
 言い訳をするつもりはなかった。感情の促すままに行動して迷惑をかけたが、後悔していないのだから。

 「ルシファーが……とても心配していました…。」

 その言葉で、あの少年の姿を思い浮かべる。
 きっとあの子を筆頭に、ミリアンやジュレーグも気付いているはずだ。『よく分からないが、紋章を使用可能にしたのが自分だ』ということを。
 合流した後、きっと問われるだろう。『何をしたのか?』と。この部屋から出れば、ミリアン達は、すぐにでも問うてくるかもしれない。

 しかし、自分で決めてやった事とはいえ・・・・全滅を免れるためとはいえ、己の仕出かしてしまった事は・・・。
 やった事に後悔はしてないが、そこから先を考えると・・・・・どう話せば良いか正直迷った。

 「…うん。もう、あんな無茶はしないから…」
 「約束して下さい…。」
 「………分かった。」

 迷いながら悩みながらも、自分はまた『嘘』をついた。
 そっと目を伏せながら、ごめんと内心謝罪する。しかし、彼もきっと分かっているのだろう。それでも自分が『守る』ために手段は選ばないと、そう考えていることを。
 嘘だと分かっていながら、それでも静かに頷いてくれる彼。それに内心礼を言いながら、は静かな決意を秘めた。




 覇王の紋章。
 それを一時的に封印したとはいえ、『真なる紋章を使用した』ことには変わりない。
 確実にミルドは気付いている。彼女は、必ず追っ手をさしむけて来るだろう。だから早くミルドレーンまで逃げなくてはならない。

 まだ寝ていた方が良い。
 のその言葉は有り難かったが、そうも言っていられないのだ。
 そう言うと、彼はそれから暫し沈黙していたが、やがて顔を上げた。

 「…あなたは、先にミルドレーンへ向かって下さい…。」
 「?」
 「…あなた一人なら、転移が使える。あなたが先に逃げてくれれば、ミルドも諦めて別の地域を探すはずです。だから…」
 「でも…。」

 彼が何を言いたいか、分かった。
 自分が一緒にいれば、連れとしてミルドに狙われる可能性が大いに上がる。しかし自分が先に逃げれば、例え追っ手が来たとしても、彼らは無事に逃げおおせる。
 そう言われていると分かっていたが、しかし・・・・

 「…あんただって、狙われている可能性がある。それに、私だけ先に行くなんてこと…」
 「あなたがいる事で……僕らだけじゃなく、ルシファー達にも危険が迫るんです…。」
 「……。」

 だから、あなただけでも、先にミルドレーンへ。
 それが、彼の優しさ故に向けられた言葉だと、分からぬはずがない。それが一番良い方法なのだと、自分だって分かっている。
 でも・・・・

 「私は……………、っ?」
 「どうしたんですか…?」

 言いかけた言葉を止めた事で、が僅かに首を傾げた。

 自分たちを見つめている、どこからかの『視線』。
 糸のように細く、勘付きにくいそれに気付き、またもミルドの追っ手かとうんざりする。
 彼もそれと捉えたのか、すぐにそっと立ち上がり、棍を手に部屋を出て行こうとした。

 「、待って。私が行くよ。」
 「…駄目です。僕が行きますから、もう少し休んでいて下さい。あなたは…」
 「いいの、大丈夫。追っ手は私が、必ず”始末”するから…。」
 「…ですが…」
 「お願い、……私に任せて。」
 「………分かりました。でも、僕も後ろからついて行きます。それだけは譲れません。」
 「…分かった。お願い。」

 「念のため」と言う彼に、静かに頷いてみせて、そっと部屋を後にした。







 とても・・・・・・・とても嫌な予感がしていた。



 言葉には言い表せない。
 けれど・・・・・なんだか、嫌な・・・予感。

 誰かが言っている。自分に、必死に何かを伝えようとしている。
 『行ってはいけない!』『早く逃げるんだ!』と・・・・。

 どこからか、”声”が聞こえる。
 『それは──じゃない!』と・・・・。

 遠い、遠い・・・・・・まるで、この世のものとは思えぬ”場所”から・・・・・