[その一つを知る]



 遺跡を何とか脱した後。
 ルシファー達は封じの森の北側出口を目指して歩いていたが、陽が暮れてきたので、今宵はここで野宿しようということになった。



 回復魔法は使えない。
 おくすりや特効薬でササライの傷を手当したが、痛みは引かないようで、彼はジェンリの肩を借りて近くの木の根に腰を下ろした。

 「二人は休んでていいよ〜。」と、小さな火を起こし始めたジェンリを横目に、彼の隣に腰を下ろす。

 「ササライ、大丈夫…?」
 「…うん、僕は平気だよ。心配しないで。」
 「でも…」

 言いかけて、止める。ジェンリに声をかけられたからだ。

 「どうしました?」
 「ルシファーく〜ん。悪いんだけど、ササライくんの包帯を交換してくれるかな〜?」
 「あ、はい! 分かりました。」

 ゴソゴソと旅荷から出され放られた包帯を受け取り、上着を脱がす。
 先程換えたばかりなのに、そこには、じわりと血が滲んでいた。

 「………。」
 「ルシィ、どうしたんだい?」
 「……ごめんなさい。」

 じっとその傷を見ながら、ポツリと零す。すると彼は目を丸くした。

 「ルシィ?」
 「僕が……ちゃんと指示できなかったから…」
 「…大丈夫だよ。この森から出たら、すぐにこんな傷は綺麗になるから。」

 流水の紋章でね、と微笑む彼。
 しかし、あの時自分がちゃんと指示を出せなかった事が、結果、彼にこんな大きな傷を負わせてしまった。

 ・・・・どうして、あの時、自分は動けなかったんだろう?
 敵が強いとジェンリに聞いていたはずなのに。それを承知の上で戦いを挑んだはずなのに。
 それなのに、自分は・・・・・・一歩も・・・・

 「…ルシィ。何を考えているんだい?」
 「………。」
 「もしかして、自分を責めているのかい?」
 「…うん。」

 魔法が使えないと聞いていたはずなのに。
 このパーティーの全指揮権を預かってからは、それまでちゃんと指示出来てたはずなのに。
 それなのに、自分は・・・・・

 「僕は……力が欲しいって思ったのに……力を求めて、ここに来たはずなのに…。」
 「…うん。」
 「攻撃が全く通じないって思った途端……どうしたら良いか分からなくなったんだ…。」
 「……”恐怖”を感じたんだね?」
 「え?」

 顔を上げる。彼は、じっと自分を見つめていた。

 「恐怖?」
 「……ルシィ、頭の中を整理してみて。きみは、どうして体が動かなくなったんだい?」
 「それは…」

 敵に攻撃が通じなかった。それを見て焦った。どうしよう、どうしよう、と。
 だって・・・・・・自分が上手く指示を出来なかったら、皆が・・・・

 「…皆死んじゃうって………思ったから…」
 「そっか。」
 「…ごめんなさい。」
 「謝らないでいいんだよ。だってきみは、”恐さ”を知ったんだから。」
 「…?」
 「今まで、きみは、怒られることに『恐い』と思ってはいても、本当の意味での”恐怖”を知らなかった。語弊があるかもしれないけれど、きみは一つ勉強したってことだよ。」
 「勉強…?」
 「うん。だって、きみは『負けたら僕たちを失うかもしれない』って思って、恐くなったんだよね?」
 「……うん。」

 もササライも、もジェンリも、ミリアンもジュレーグも・・・。
 皆死んでしまうかもしれない。そう思っただけで、体が強ばって動かなかった。
 ・・・・・動けなかった。

 これが・・・・・・本当の”恐怖”?
 本当に恐いというのは、こういう事?

 「…きみは、そういった”感情”が、自分の中にある事を『知る』ことが出来たんだよ。これは、一つの成長じゃないかい?」
 「…うん…。」
 「それじゃあ、次は、どうすれば良いのかな?」
 「次? 次は……」

 失うかもしれないという恐怖を知った。だが『次』とは?
 その意図が読み取れずに困っていると、彼はクスリと笑う。

 「きみは、その恐怖から『逃げる』のかい? それとも…」
 「……………あっ!」

 逃げるか、戦うか。前に進むか後退するかは、自由。
 自分が感じた恐怖から逃げるか戦うか、『どちらか』だ。

 「そうだよ。前にが言ってたよね。『進むも退くも自由だ』って。」
 「うん…。」
 「それなら、きみは、どっちを選ぶんだい?」
 「………。」

 もし、この恐怖から逃げるなら? きっと、もう二度とは戦えまい。
 だが、自分が戦えないとなると、結果的には皆を失う確立が上がる。戦闘メンバーが減るという事は、つまりそういうことだ。

 顔を上げると、彼は微笑んだ。

 「次はそうならないように、感じた恐怖を”克服”すれば良いんだよ。そして、次は守れば良い。」
 「うん。でも…」
 「…そうだね。そんな簡単に克服なんて出来やしない。僕も、それは分かってるよ。」
 「え?」

 じっと見つめると、彼は困ったような顔。
 何かあったのと口を開きかけた時、それを遮るように言った。

 「恐怖ってね……克服するのは、とっても難しいんだ。一度、本当の恐怖を知ってしまったら、人にもよるだろうけど…打ち勝つまでには時間がかかるんだよ。」
 「そうなの…?」
 「うん。だからきみが『もう大丈夫』って言える時まで、僕が代わりに指揮を取ろうか?」

 そう言いながら、彼が包帯に手をかける。それを見て、慌てて「僕がやるよ!」と包帯を外していくが、露になった傷を見て胸が絞まった。
 自分が上手く指示できなかったせいで、こんなに痛そうな傷を・・・・
 そう思うと同時、込み上げてくるのは涙。

 「っ、ごめんなさい、ササライ…!」
 「ルシィ?」
 「ごめんなさい、ごめんなさい…!」
 「…いいんだよ。」
 「ごめんなさい…っ……ごめんなさいっ……ぐすっ…ごめんなさい…!」
 「ルシィ…もういいんだよ。僕は大丈夫だから…。」



 「僕………次は、必ず守るよ……ちゃんと強くなるよ…………だから……!!」



 涙を流しながら顔を上げる。
 次は、必ず打ち勝つから。絶対に守るから、と・・・・

 そう言うと、彼は、一つ頷きそっと頭を撫でてくれた。









 「あ〜あ〜、甘やかしちゃって〜…。知らないぞ〜。」

 彼らのやり取りを、火を起こしながら後ろ手に耳にして、そっと呟く。

 「ボクには、どうでもいい事だけど〜…。」

 少年の、後悔も苦悩も。
 そして、その保護者である少年の、優しさも導きも。

 「まぁ……すぐに”決意”しなきゃいけない”時”が、来るだろうし〜。」

 それで未来が変わろうが、変わらなかろうが。

 「それに〜……。」

 こんな些細なやり取りなど、自分には、まったく関係無いことなのだから。



 「ボクは〜…………ふふっ。”彼女”さえ手に入れば、それで良いからね〜!」