[許されざる者]



 ミリアンとジュレーグに「すぐに戻るから…。」と言って出て行った彼女。
 少し時間を空けて、彼らに「すぐに戻りますから、休んでいて下さい…。」と伝えて、追いかけた。

 彼らに『追われている』と気付かれてしまえば、自分だけでなくルシファー達も危うい。
 なまじ『皇帝直々に追われている』というのだから、それを知られてしまったら・・・・信用したいものの、密告される可能性も無いとは言えない。
 それともう一つ。彼女の気付いた視線だ。
 その相手は、手練と言えるほどに訓練された者だろう。二人で揃って出かけていけば、勘付かれて逃げられる可能性が高い。

 その二つの意味を持って、時間差で宿を出た。



 少し離れた場所から彼女の背を追う。
 気配は森の奥へと移動しているのか、段々と村から離れて行く。

 彼女いわく、ルシファー達はどうやら無事なようだ。上手く遺跡を出て北側へ移動しているらしい。
 だが、ササライは大丈夫だろうか? 利き腕ではなくとも、あれだけの怪我を負ったのだから、森から出るまで薬類で傷をカバーしなくてはならないし、戦闘は当然無理だろう。
 しかし、ジェンリがいるから大丈夫かもしれない。彼は、普段あんな感じではあるが、戦闘に関してなら任せておける。それだけの能力を持っていると、自分だけでなくササライも認めていた。

 でも、ルシファーは・・・・・?

 「っ……。」

 思考にのめり込みそうになった所で、顔を上げる。少し先にいる彼女が立ち止まったのだ。
 気配を消して、足早に遠回りで彼女と追っ手を挟む位置を取る。これなら逃げられまい。
 すると、追っ手はそれに気付いたのか、観念したかのような溜息をそっと吐いた。

 「あんた……ミルドの手の者でしょ…?」
 「…………。」

 まず、彼女が追っ手に声をかけた。月明かりが彼女を照らす。
 相手の顔や姿は木の影ではっきりとは分からないが、その上背を見れば男だと分かる。
 と、自分の位置に気付いたのか、男と目が合った。それを見て沸き上がったのは、僅かな吐き気。

 ・・・なんだ、これは? この独特な気配は・・・?
 これは、まるで、あの・・・・

 「答えて…。あいつの手の者かと聞いてるんだよ…。」
 「…………。」

 彼女の問いかけは続いたが、男はそれに振り返るでもなく答えるでもなく、沈黙を保っている。
 ・・・・思い出したのは、あの『番人』。男の気配は、それと良く似ていた。
 と、いうことは・・・・

 「…そう。話してくれないなら仕方ない。悪いけど、捕らえさせてもら…」

 彼女の言葉が終わる、その瞬間だった。



 「ちゃん…。」



 「え…?」

 男がようやく口を開いたかと思ったら、途端、彼女が肩を引き攣らせた。
 それを目にして「どうしたんですか?」と男越しに問うものの、彼女がそれに答えることはない。だが、よくよく目をこらせば、その表情は驚愕している。

 「、どうしたんですか!?」

 声を上げるも、彼女はその表情のまま固まっていた。
 すると、ここで男が木の影から一歩、彼女へ向けて足を踏み出す。

 「ちゃん。」
 「っ…!?」

 ゆっくりと。男が、一歩踏み出す。一歩、また一歩。彼女に近づくように・・・。
 月明かりを受けて、男の姿がはっきりと露になった。
 だが、それを見た彼女は「そんな…!」と、震えながら両手で口元を覆っている。

 「ッ!!!」

 咄嗟に影から身を出して、彼女に近づこうとする男の前に割って入る。
 だが男は、棍を構える自分に目を合わせることもなく、その場でピタリと動きを止め、ただ彼女の名を呼び続けた。

 「ちゃん。」
 「な………なんっ……なん、で…?」
 「僕だよ、ちゃん。」

 彼女を呼ぶ男の声は、落ち着いていて柔らかく、その表情は大らかで柔和。
 長い髪をポニーテールにし、緑のV字タンクトップの下には、黒のハイネックを着ている。その風貌から、とても間諜や暗殺者には見えない。
 しかし、その男を目にした途端、動けなくなってしまった彼女・・・・

 「、どうしたんですか!? 早くこの男を…!!」

 叫びにも近い声を上げて叱咤するも、彼女は男を見つめたまま動かない。
 その目は、恐怖や驚きというよりも『困惑』に近かった。まるで、どうしてこんな所にいるのかとでも言うような・・・・。
 知り合いなのか? そう考えたが、この気味の悪い気配は、間違いなくミルドの手の者だ。

 ふと、右手が僅かに疼きを発したが、それに構っている暇はない。

 「ねぇ、ちゃん…。きみは、僕を捕まえるの?」
 「なんっ……そんな…なんで…!?」
 「きみは、その子みたいに……僕に武器を向けるの?」
 「ちがっ…、違う! 私は…!」

 「、しっかりして下さい!!!!」

 やはり二人は知り合いなのか? ミルドは、知り合いを使って彼女を・・・?
 だが、やはりこの気配は、あの『番人』と同じ・・・・

 

 「なん、で………なんで……………………っ…………アルドッ…!」



 ・・・・やはり、二人は知り合いだったか。でも・・・・
 そう思い、仕方なしに、男を捕らえるため棍を振るおうとする。
 だが・・・・

 「やめてッ!!!!!」

 男を庇うように、彼女が自分たちの間に入った。
 驚いていると、彼女は両手を広げながら自分を見つめて涙を浮かべている。

 「、何故…!」
 「お願い…止めて! アルドに…っ……酷いことしないでッ!!」
 「どういう…」

 必死に自分を止めようとする彼女。
 どうしたら良いか分からないが、それでも構えを崩さずにいると、男が彼女の肩に手をかけて振り向かせた。
 ・・・・右手の疼きが酷くなっているが、その”声”に耳を傾けてはいられない。男がおかしな行動をする前に、自分が何とかしなくてはならないのだ。

 「ちゃん……僕だよ、アルドだよ。忘れちゃったの?」
 「っ…そんなはずない! 忘れるわけないよッ!! 私が、あんたを忘れるわけっ…!」

 彼女の髪を大きな手で優しく優しく梳きながら、男は嬉しそうに微笑んだ。
 彼女は、気付いていないのだろうか? 男の纏う空気が、この世のものではない事に・・・。

 「うん、そうだよね。優しいきみが、僕を忘れるはずがないよね。僕に酷いことするはずがないよね。」
 「当たり前だよ! 私は……!!」
 「うん、そうだよね………だって、きみは………」

 右手が、疼く。
 『それは──じゃない!』と、大きな”声”で叫んでいる。



 「あの時……………僕を見殺しにしているんだから。」



 「っ!!!!」

 その”声”を聞きながらも、これはいけないと思った。
 今度は躊躇せず男の背後に回って棍を振り下ろそうとするも、彼女がまたも庇う。

 「、退いてください!!!!!」
 「駄目ッ……やめて……お願いだから! アルドに酷いことしないで…!」
 「どうして…!?」

 右手が、疼く。ジクジクと、まるで誰かの古傷を蝕むように。
 ”声”が、『それは──じゃないよ、──じゃないんだ!!』と、叫んでいる。
 自分ではない。・・・・・他ならぬ彼女に、だ。

 「そこのきみ…邪魔をしないでくれるかな? 僕は、ちゃんとお話しているんだ。」

 そう言いながら、男が彼女を抱きしめる。
 見ているこちらがおぞましく感じるほど、優しい手つきで。
 優しく、優しく・・・・。

 「ちゃん…。僕ね、きみに一つだけお願いがあるんだ。」
 「お願い…?」
 「うん。そのお願いを聞いてくれるのなら、あの時、きみが僕を見殺しにした事……許してあげるよ。」

 『──じゃない、──じゃない、──じゃないんだ!!』と、泣き出しそうな”声”。
 伝わらないと分かっていても、それでも、必死に彼女に伝えようと・・・・

 「アルド、どうすれば良いの…?」
 「簡単な事だよ。その右手の紋章を、僕にくれないかな? そうすれば許してあげるよ。」
 「…!!」

 男がそう言った途端、彼女の体が強ばった。その言葉で『男がミルドの手先』と、はっきり理解してしまったのだろう。全身が震えている。
 ”声”は、まだ彼女に向け叫んでいるが、彼女に伝わることはない。

 「…………。」

 二人のやり取りを見つめながら、棍を握りしめた。
 自分の知る”声”ではないが、それは彼女を心から案じている。彼女をずっと呼び続けている。
 だからこそ・・・・・・目の前の男を、自分が仕留めねばと思った。



 「さぁ、ちゃん。僕に、その紋章を………」



 そう言って、男が彼女の右手を取ろうとした、その時だった。

 「…?」

 右手がとても熱かった。目を向ければ、革手袋越しでも分かる、溢れる光。
 そこから感じたのは、彼女に届かぬ無力に対する『怒り』か、それとも、彼女を害そうとする者へ向けた『殺意』か。
 でも・・・・・・どちらでも構わない。その”人物”が誰であれ、自分達の”意思”は一致しているのだから。

 「!!」
 「、何す…!」

 彼女の腕を引いて、男から引き離す。彼女は暴れようとしたが、その腰を抱いて男から距離を取った。

 そして・・・・・

 「我が手に宿る紋章よ……」
 「ッ!? ……駄目っ!!
 「我らが意思を”一つ”とし、”力”として織りなし………我らが敵を…」
 「っ、やめて……やめてッ!!!!!」

 「打ち払えっ!!!!!!」



 カッ!!!!!!

 右手から溢れる光は、迷いなく男に向かって解き放たれた。









 「アルドッ!!!!」
 「………。」

 光が止んだ直後、彼女は、もう消えた男の名を呼びながら、その姿を探していた。
 それを目にして、は、やるせない気持ちに捕われた。

 「あぁ……アルド……ッ…アルドォ!!!」
 「、落ち着いて下さい…。」
 「アルド……うぅっ…どうして…!!」

 その場に座り込み、全身を震わせながら泣きじゃくる彼女。
 後ろから肩にそっと手を置くも、拒絶された。

 「…。」
 「うぅ……なんで……なんでよ………なんでアルドを……!!」
 「…っ、あれは、まやかしです!! あなたは、敵の幻術にかかっていたんです!!」
 「っ……。」

 彼女だって、分かっているのだろう。あれが、敵の『策略』だということを。
 さっきの男が誰だか知らないが、彼女の知り合いという事だけは分かる。だが、これだけ取り乱す姿を見たことがない。
 忘れもしない、デュナン地方での戦が起こっていたあの頃。自分の親友の死を告げた時も、彼女は、ここまで声を荒げて取り乱してはいなかったはずなのに・・・・。

 「……宿に戻って…………少し休みましょう。」

 全身を震わせ、あの男の名を呼びながら嗚咽する彼女。
 その肩に手を添え、立たせて、ゆっくりと今来た道を引き返した。







 「あー、お帰りなさいー!」
 「……ただいま…。」

 食事をしていたのか、宿に戻った途端食堂から声をかけて来たミリアンに返事をする。見れば、ジュレーグも一緒だったらしく、黙々と目の前の食事に箸を運んでいた。
 だが、が額に手を当てながら何も言わずに部屋に戻ったのを見て、ミリアンが首を傾げる。

 「あれー? さん、何かあったんですかー?」
 「………。」
 「さーん?」
 「……彼女のことは………暫く、放っておいてくれないかな…?」
 「へェー? ……あー、はいー。了解ですー…。」

 少女の返事を受けて、そのまま彼女を追って部屋に向かう。
 静かに部屋の扉を開けると、彼女は、膝を抱えて部屋の隅に座り込んでいた。

 「…。」
 「………。」

 そっと名を呼ぶも、彼女はピクリとも動かない。
 仕方ないかと近づいて目の前に座り込むも、やはり何の反応も示さなかった。

 「…?」
 「っ……。」

 今度は、挙動があった。しかし、顔を隠すように膝の間に埋めてしまっては、次に何と声をかけて良いのか迷う。
 ・・・・問うても良いものか。それとも、問わずにそっとしておくべきか。
 暫しそれで迷っていたが、それでも聞いておかなくてはならない。何より、今夜遅くからこの村を出てラミを通過しなくてはならないのだから。
 その心にあるものを少しでも吐き出して、少しだけでも眠って欲しい。倒れてから数刻眠っていたとはいえ、それでもまだ完全に体力が回復したわけではないだろう。

 だからこそ、は、静かに問うた。

 「さっきの男は……誰だったんですか…?」
 「………。」

 彼女は答えない。
 と、右手がまた疼いた。誰かが、何かを言っている。
 そっとその”声”に心を傾けた。聞こえてきたのは『大丈夫。あれで良かったんだよ』という優しい言葉。その響きは、彼女ではなく自分に向けられたものなのだろう。

 「……。」

 もう一度、呼ぶ。すると彼女が顔を上げた。
 そして、じっと床を見つめながら、ポツリと呟いた。

 「あいつは……………アルドは……………………私の『親友』だった……。」
 「親友…?」

 ・・・・・・ここで、思い出した。
 あれも、やはりデュナン地方での戦争時だった。場所は、確か・・・・ティント地方のクロムという村だったか。
 彼女は、言っていた。確かに、あの時言っていた。

 『アルドは、ソウルイーターに…』と・・・・・・。

 「あ…。」

 ようやく理解した。
 ようやく、彼女があそこまで取り乱した理由を。
 ようやく・・・・・この右手の疼きを発していたのが『誰』なのか。

 あぁ・・・・そうか。
 あの”声”は、彼のものだったのか。
 彼は、彼女を守るために、”意思”を”力”にかえて幻影を打ち払った。自分と同じ”意思”を呼応させて、共に『まがい物』を消し去った。
 『僕は、ここにいるよ』と・・・・・彼女に、そう伝えるために。

 あぁ、そうか。
 この優しくも悲しみに満ちた気配は、彼女を心配するその人の・・・・。

 「……分かってる。私だって、最初から分かってた…。」
 「…。」
 「”あれ”が…っ…ミルドの作り出した幻影だってことぐらい、私にはッ……!!」
 「……………。」

 じわりとその瞳に浮かんだのは、涙。
 ふと、『見殺しにしたんだから』と言われた時の彼女を思い出す。
 誰かの何気ない一言に傷ついた時。戦いの中で傷を負った時。無くしても亡くしても終わらない現実を嘆く時。それらを負うより、ずっとずっと辛そうな顔をしていた。

 死んだはずの人物が、幻影とはいえ、昔のままの姿で自分の目の前に現れたのだ。
 それに動揺するなという方がおかしい。狼狽えるなという方が無茶なのだ。

 仮にもし、その幻影が父や親友だったら?
 ・・・・・・自分だって、彼女と同じ顔をする。彼女と同じ気持ちになる。

 だからは、それから何も言えなかった。

 「だけど……私は…………どうしても……ッ!!」

 ・・・・・・殺せるはずがない。
 幻影とはいえ、自分の親友を手にかけるなど、出来るはずがない。
 だからこそ、あの時、自分が動いて正解だった。自分たちが動いて正解だったのだ。

 それでも、”それ”を彼女に言葉として発することは出来なかった。

 「………ごめん……………ごめんね、アルドッ……!!」

 ・・・・・そうか。
 それが、あの皇帝の『やり方』か。
 そうして、彼女の”心”をジワジワ砕いていく気なのか。
 面白がりながらその破片をバラバラにまき散らし、それを見て笑っているのが・・・・

 あの皇帝の・・・・・ッ!!!!!



 『僕は、絶対に…………………………絶対に、許しはしない!!!』



 そっと彼女を抱きしめながら、強い”決意”を胸に秘める。

 それに呼応するように、右手に宿る者達が、淡く朧げな光を発した。