カサ・・・・。
「……?」
何かの物音で目が覚めた。
[失われた記憶]
カサ・・・・。
「あ…。」
この音は、以前聞いたことがある。
一定の感覚を空け、少しずつ離れながらも自分を誘導しようとする音。
空気に触れるか触れないかの声を出してしまった自分の口を塞いで、ルシファーは、ササライやジェンリを起こさぬよう身を起こした。
カサ・・・・。
こちらへ、とでも言いたげなその音は、確か・・・・。
そう考えながら後を追って行くと、暫くして音は消えた。
代わりに現れたのは、光を纏ったあの女性。
「あなたは、あの時の…」
「お久しぶりですね、ルシファー。」
「レックナート、さん…?」
以前と変わらぬあの光を纏う女性。
その現れ方には大層驚いた。やはり二度目とはいえ、人が光の中から現れることに驚きは尽きない。
そういえば、前は『力を求めなさい』と言っていた。その言葉の通りにそれを求めて、こうしてこの地にやって来た。しかし・・・・・ササライは『恐怖を知った』と言ってくれたが、結果として、恐れ故に何の力も得られなかった。
次は、絶対に。そう思っていると、彼女が呟くように言った。
「ルシファー………”時”が、迫っています。」
「とき?」
「はい…。貴方自らの意思で、”道”を選び取る……その時が。」
「え、と…。」
自分の意思で”道”を選び取る、その時。
言葉の意味は分かるが、その真意を理解できず首を傾げていると、彼女はそれを気にかける事もなく続ける。
「ルシファー。貴方には、二つの”道”が示されています。」
「…?」
「一つは、『大いなる運命に挑むための”力”を得て、真実に向き合う道』。そしてもう一つは、『”抗い”を知ることなく、真実から逃げ続ける道』。」
「真実? 逃げる? えっと…」
「……貴方が、心から”力”を求めるのならば……その”覚悟”を『世界』に示すのです。」
「え、あの…ちょっと待って下さい! 意味が分からないです…。」
自分の理解を問うことなく、ただ言葉を紡ぐ彼女。
正直言って、まったく意味が分からない。本当に分からないのだ。
だから思わず止めてそう伝えたのだが、彼女は僅かに首を振るのみ。
「あなたは、前に僕に言いました。力をほっしなさいって。でも、僕は…」
「…えぇ、確かに私はそう伝えました。ですが、”力”とは、何の覚悟もなく得られるものではない……貴方は、それをよく理解したはずです。」
「っ……。」
その言葉で、あの子狼達のことを思い出す。まるでそれすら見ていたように、彼女は確信を持って『理解したはず』と言った。
何も言えずにいると、彼女は胸に手を当てながら続けた。
「”力”や”強さ”とは、単に戦いにおける能力のみを指すのではありません。もし、それに答えるとするならば…………貴方に求められているのは『奪う覚悟』だけではない、ということです。」
「え?」
今までの自分を見ていたかのように、彼女は紡ぐ。
奪う覚悟とは、が自分に放った言葉だ。
それを・・・・・まるで全て見ていたように・・・・
「ルシファー。もし貴方が、運命に挑み真実と向き合う”道”を選ぶなら…………貴方は、また違う”覚悟”をしなければなりません。」
「違う覚悟?」
「…………貴方自身を『知る』覚悟です。」
「僕自身を?」
言っている意味が、やはり分からない。だから問い返した。
すると彼女は、暫し何やら思案していたが、やがて言った。
「グレッグミンスターでの生活を始める以前の『記憶』が、貴方にありますか?」
「えっ?」
逆にそう問われて、目を丸くした。
彼女は、自分が、この国に来る前にそこで生活していた事を知っていたというのか。
いや、それを問うより、まずは彼女の問いに答えるべきだろう。
そう考えて・・・・・・・・・・・・・・すぐに愕然とした。
誰かに呼ばれていた。遠い遠い所から。
ルシファー、ルシファー、ルシファー、と。
それが自分の名前だと気付いたのは、目を開ける直前だった。
「おはよう、ルシファー。」
目を開けた時には、すでにグレッグミンスターの、あの家にいた。
そして、当たり前のように、とササライがいた。
でも、自分には・・・・・・・・・・・それ以前の『記憶』が無かった。
それまでどんな生活をして、誰と共に居て、自分が何をやっていたのか。
そんな事すら思い出せず、それが恐くて、暫くは『記憶が無い』ことに恐怖し涙していた。
そんなとある日、が言った。
「あんたのご両親は………事故で命を落としたんだよ。」
その時の事を覚えてる?
そう聞かれて首を振った時の事は、今でも覚えている。
「きみの記憶が無いのは……その時の後遺症なんだ…。」
そう、ササライが言った。
両親の凄惨な事故を目の前で目撃してしまったから記憶を無くしているのだ、と。
「何も……思い出さなくていいよ…。」
辛い出来事を、わざわざ思い出そうとしなくて良い。
二人は、そう言ってくれた。
あぁ、そうだった。
僕には、欠けている『記憶』がある。
でもそれは、優しく接してくれる二人や達と過ごして行くうちに忘れていった。彼らが自分の『家族』となってくれた事で、日を追うごとに薄れていった。
自分とそっくりのササライは「兄弟みたいなものだよ」と笑ってくれたし、血は繋がっていなくてもは「あんたは私の息子だよ」と言ってくれた。
『本当の両親は死んでしまったけれど、皆が家族になってくれた』と・・・・・
そんな事を全て忘れて・・・・・・今まで生きてきた。
「僕の両親は……事故で死んでしまったと聞きました…。」
「…………。」
「僕に記憶が無いのは………その時のショックが大きいからだろうって…。」
「…………。」
レックナートが、相槌も言葉もなく、ただ沈黙のまま自分の話しに耳を傾けている。
「だからは……あ、っていうのは、僕のお母さんみたいな人なんですけど『無理して思い出さなくて良いんだよ』って…。」
すると、彼女が胸に当てていた手を下ろし、ポツリと言った。
「ルシファー。私は……『それ』を貴方に強いるつもりはありません。」
「え?」
「”道”は……貴方の”意思”で決めることなのですから。」
「……。」
自分自身の”意思”。
ササライやも言っていた気がする。
言われるがままではなく、自分自身で考え、決め、動く。
それがどんな結果に転んだとしても、それが『必要なのだ』と。
「ですが……」
言葉は紡がれる。紡がれ続ける。
まるで、その未来をはっきり見定めているかのように。
「もし、貴方が”力”を欲する道を選ぶなら…………覚えておきなさい。貴方は、いつか必ず『それ』と対峙しなくてはならない時が来ます。」
「どういう…ことですか?」
『それ』とは、言うまでもなく『記憶』のことなのだろう。
しかし、何故、対峙しなくてはならないのか。
両親を亡くした時の記憶との対峙? ・・・・・それが分からない。
だから問うたのだが、彼女は、あの静かな光を発し出した。
謎の言葉だけを残して、以前のように立ち去る気なのか。
「あ…!」
「貴方は、これから……更なる過酷な運命の渦に飲まれて行くでしょう。」
「ま、待って下さい! まだ話しが…!」
「ルシファー………貴方が、『封じられしもの』を呼び起こすどうかは…………誰かに強いられることではなく、貴方自身で決めるのです。」
「レックナートさ…!」
「ですが……どうか忘れないで下さい。この『世界』は、いつでも貴方を暖かく見守っているということを…。」
音すら発さずに、彼女は、言葉だけを残して消えた。
「あぁ……またか。」
少年が、ひっそりと森の中へ消えて行く気配を感じて、すぐに身を起こした。
そして左腕の痛みに顔を顰めながらも、一定の間隔を空けてその後を追う。
「でも……どうして…。」
前を歩く少年が止まったと思うと同時に現れた光。
そこに姿を現した女性を見て、僅かに視線を伏せた。
「レックナート……?」
風のない夜は、森のざわめきが皆無。
だから、彼らの話しは、少しの距離にいるこの場所ではよく聞こえた。
「っ………どうして……?」
・・・・・・解せない。
何故、彼女は『あの話』を少年にしたのだろう?
呼び起こさなくて良い『もの』を、何故、あの少年の好奇心を煽るように・・・・
思い出さなくても良いではないか。
例え少年が”力”を得たとしても、自分たちは『記憶』の話をするつもりはない。
それが必要だとは思っていない。少しずつで良いのだ。
あの少年は、まだ子供なのだから・・・・・
「…ふぅ。合流したら…………一応、に『報告』かな。」
最後にポツリと呟いて、ササライは、今来た道を足早に戻った。