[四面楚歌・1]



 いつの間に眠っていたのだろう。
 亡き親友の幻影に会い、混乱し泣きながら宿に戻り、そしてに話をして・・・。
 泣いている内に眠ってしまったのだろうか。

 そっと起き上がり辺りを見回すと、皆はまだ眠っているようだ。
 時間は深夜。眠りに落ちているこの村から出るには、丁度良い頃合いだ。
 そう考えて、まずから起こそうとベッドから出ると、ザワリとした悪寒。

 「…?」

 おかしい。そう直感し、すぐに窓へ駆け寄り外を見た。
 自分が目覚めるまで静かだったのに、外には・・・・・

 「っ、……起きて。」
 「ん……はい…?」

 なるべく声を抑えて肩を叩くと、彼はむくりと起き上がる。
 その腕を掴んで窓際へ連れて行くと、彼は、ハッと息を飲んだ。

 「、これは…」
 「……マズいことになったよ…。」

 この村の入り口一帯にいるのはケピタ兵。それも少数でなく、一隊はいる。

 「んぅー……あれー、どうしたんですかー? 外が…」
 「……あれは、ケピタ兵か?」

 その声で起きたのか、ミリアンとジュレーグが目を擦りながら窓際にやってくる。「何かあったんでしょうかー?」と眠そうなミリアンに答えることなく、は考えた。
 シンダル遺跡で自分が行った封印。それで居場所を知られ、ミルドが兵を送ると分かっていたが、如何せん早過ぎる。連絡役だったのだろうミルドの使いの親友の幻影は、の紋章で・・・・。

 「………。」

 そこで鮮明に思い出す。百年以上も昔、親友が亡くなったあの時のことを。
 それを思い出している余裕はないのに。それよりも先に、自分たちはここから逃げなくてはならないのに・・・・。

 「?」
 「……ごめん、なんでもない。」
 「ねぇー、どうなってるのー!? どうしてこの村が、こんなに沢山兵に囲まれて…」
 「…よくは分からんが、直ぐにでも逃げ出すのが良いだろうな…。」

 後ろで話をしているミリアンとジュレーグ。
 それを聞きながらどうやって逃げるか思案していると、が言った。

 「とりあえず……裏手から森に入って、遺跡を迂回しましょう。そうすれば、北側の出口から逃げられるかもしれません…。」
 「あ、そうねー! その方が、面倒事に巻き込まれなくて済みそうだわー!」
 「…了解。」

 三人の話が纏まったのを黙って見ていると、がそっと右手に触れてきた。
 顔を上げれば、彼は「さぁ…行きましょう。」と小さく頷いた。








 「…あら? やっぱりこっちに来たのねぇ、。」

 真夜中の唐突なケピタ兵の出現に、なんだなんだと住民や泊まり客が騒ぎ始める頃。
 宿の裏手から出て森を歩いていると、その先から鈴のような声が聞こえた。顔を上げれば、数人の兵を連れたこの国の皇帝が、馬に乗り涼やかに微笑んでいる。

 「ミルド……。」

 その隣で影のようにひっそり佇んでいるのは、首都でミルドと謁見した際に会っている側近。確かグレイムとかいう名前だったか。

 「ミルドって……ちょっとちょっとー! もしかして、皇帝様ーっ!?」
 「……ミリアン、少し黙っていろ。」

 どうしてこんな場所に皇帝がいるのかと混乱しているミリアンを、ジュレーグが諌めてくれているが、彼もきっと混乱しているのだろう。だが、その話をしている暇はない。
 じっと睨みつけると、ミルドが妖艶な微笑みを向けてきた。

 「さぁ、。鬼ごっこは、もうお終いよ。今度こそ逃がさないから。」
 「…………。」

 その言葉を聞きながら、に目配せすると、彼は小さく頷く。

 「ミリアンさん、ジュレーグさん……先に行って下さい…。」
 「ちょっと、何なのー?! どういうことー!? 全然意味が分からないんだけどー!?」
 「……ミリアン、煩い。行くぞ。」

 ギャーギャー喚き始めたミリアンを小脇に抱えて、ジュレーグが森の中へと消えていく。
 それを見届けてから、ミルドに言った。

 「…鬼ごっこ? 私は、遊びで逃げてるわけじゃないよ…。」
 「あら? 鬼ごっこじゃないの。だって貴女、この国から出ることすらしないじゃない。」
 「………。」
 「ふふ、いいのよ。私は、ちゃあんと分かってるから。逃げたくても逃げられないのよねぇ?」
 「……黙れ。」

 クスクスクス・・・・。
 彼女はあくまで『遊び』でいるようだが、追われているこちらとしては迷惑極まりない。そう毒を吐いてやろうと口を開きかける前に、彼女が言った。

 「それとも……その情緒の安定していない力を使って、転移でもしてみる? あぁ、出来るはずがないわよね。だってこの森、紋章が使えないんだもの。」
 「…?」

 彼女の言っている事に違和感。
 ・・・・あぁ、そうか。彼女は、自分が『覇王』を持っているとは知らない。ただ『真なる紋章が、この地域のどこかで使用された』ことだけを感じたのだろう。それがどの紋章で、誰が持っていて、どこで使用して、という細かい所までは監視できないということか。
 そう一つの確信を得ていると、が小声で囁いた。

 「…。」
 「…分かってる。」

 今は逃げるべきだ。
 そうやり取りしていると、ここでミルドが笑いながら彼に言った。

 「あらあら? どこの誰だか知らないけれど、そう簡単に私が逃がしてあげるとでも思っているのかしら?」
 「………黙れ。」

 視線を向けられた彼は、途端これまで見た事もないほどの殺気を漲らせながら、ミルドを睨みつけた。それに内心驚いたが、今にも飛びかからんばかりの彼を制して、「可愛い顔してお口は悪いのね。」と笑っているミルドに言う。

 「前にも言ったけど……私は、あんたに捕まってやるつもりはないんだよ。」
 「あら? そう言う割には、随分と顔色が優れないようだけど……ふふ、大丈夫?」
 「…なにが言いたいの?」

 面白がるよう向けられる笑み。それに少しずつ苛立ちが募っていく。
 すると彼女は、何か思い出したように、満面の笑みになって言った。

 「貴女の『お友達』は、どうしたのかしら? もしかして……同じ過ちを犯したの? あぁ……また”見殺し”にしちゃった、なんて言わないわよねぇ…?」
 「っ…!!!!」

 ・・・・遠い過去。
 彼女に、自分と親友の別れを話した事がある。遠い遠いあの日のことを。
 それを知っていながら・・・・・・共に涙してくれていながら・・・・!!

 「ミルドッ!!!!!!!」
 「、待って下さい!!」

 挑発だと分かっていた。分かっていたが、許せなかった。
 昔、あの話をした時。目の前にいる彼女は、自分と共に涙してくれた。「辛かったでしょう…」と優しく抱きしめ、確かにあの時、共に泣いてくれたはずなのに・・・・。
 もう、あの時の彼女は・・・・どこにも・・・いない?

 「挑発です! 絶対に乗らないで下さい!! 今は、ここから逃げるのが…!」
 「っ……分かってる…!!」

 手を掴まれ、森の中に隠れるため身を翻そうとする。
 だが、次のミルドの言葉で、思わず動きを止めてしまった。

 「そんなことを言って良いのかしら?」
 「…?」
 「、よく考えなさい。貴女がここから逃げれば、この村がその『代償』を支払うことになるわよ。」
 「どういう…こと…?」
 「耳を傾けてはいけません!!」

 間近にいるよりも、彼女の言葉が気になる。
 それは、まるで・・・・

 「はっきりと言ってあげるわ。貴女がここから逃げれば、この村を『指名手配反を匿った罪』で焼き払わなきゃいけないのよ。」
 「なっ…!?」
 「だってそうじゃない。命令で『という変装上手な女を捕まえろ』と言ったのに、その変装すら見破れず、わざわざ宿にまで泊めているなんて……我が国の民として恥ずべきことだわ。」
 「、こんなのは虚言です! 早く逃げ…」

 力づくで自分の腕を引こうとする
 だがミルドの言葉は、彼の腕を払うに充分な威力を持っていた。
 振り返り、彼女をじっと見つめる。優しげな冷たい微笑みが、あの頃とは違う・・・

 「さぁ……これでよく分かったでしょう?」
 「………。」
 「この国の何処にも、貴女の逃げ場は無いのよ。大人しく捕まってくれるなら、この村を焼き払うなんて真似はしないわ。」

 「ふざけるなッ…!!」

 隣からの怒声。それは、のものだった。
 見れば、彼は柳眉を逆立て、まるで悪しき者を見るようにミルドを睨みつけている。

 「…あら? ふざけてなんかいないわ。だって私は、本気中の本気だもの。」
 「お前は、何の罪もない自分の国民を……虐殺すると言っているんだぞ! 一国の皇帝とはいえ、そんな事を、臣や他の民が許すと思っているのか!!」
 「…子供かと思ったら、案外マトモな事を言うのね。でも、安心してちょうだい。臣や民には、ちゃあんとした『理由』を付け与えておくから。」
 「っ……。」

 彼は過去、大きな戦に関わってきた。
 彼自身が導いた戦いで、様々なものを亡くしながらも、彼は国や民を救ってきた。
 だからこそ、彼女が簡単に口にしたその言葉が許せなかったのだろう。

 しかし・・・・・

 「待って。」

 ここで、彼を前に立たせるわけにはいかない。何より、自分がミルドと共に行くことで、深き守りの村や彼が難から逃れられるのなら・・・。

 「ミルド、約束して。私が行けば、この村を…」
 「えぇ、勿論よ。私だって、自国の領民を虐殺なんて真似は……できればご免被りたいもの。」
 「………分かった。それなら…」
 「、駄目です!!」

 彼女と共に行くことで、村が助かる。彼女と共に首都へ帰還した直後、転移で逃げれば良い。逃げるだけの隙を彼女が与えてくれるかどうかは分からないが、僅かにでもあれば、転移を使える事はバレてしまっても逃げる事は可能。
 自分が行けば、村が犠牲になることはない。自分が捕われれば、誰も死ぬことがないのだ。
 それなら・・・・・考えるまでもない。

 彼女のもとへ一歩踏み出す。
 と、腕を取られた。彼が行かせまいと強く強く握っている。
 だから安心させるように、そっと耳元に口を近づけた。

 「大丈夫。私は、必ず逃げ出す。だからあんたは、早くルシィ達と合流して。」
 「ですが…」
 「私を信じて。必ず……必ず逃げる。必ず戻るよ。だから……」
 「……分かりました。必ず………帰ってきて下さい。」
 「うん、分かってる。あの子達のこと……宜しくね。」
 「……はいっ。」

 自分が捕まったとしても、”予想”が正しければ、暫くは懸念が現実に起こることはあるまい。
 村を助け、彼が逃げてくれる事が、今は何より重要だ。
 『ソウルイーター』の所在は、絶対にミルドに知られてはならないのだから・・・。

 「、良い子ねぇ。」
 「………。」

 彼女に目を向けることなく、自らケピタ兵に捕縛される。後ろ手に縛られながらもふと視線を戻せば、が口惜しそうな顔で自分を見つめていた。
 ・・・・早く逃げろ。そう視線で促すと、彼は村の方へ戻るため踵を返した。

 だが、その直後・・・・・・・だった。



 「さぁ………合図を出しなさい。」
 「ミルド…?」



 見上げた先。
 騎乗しているミルドの冷淡な微笑みを見て、途端全身が怖気立つ。

 そして、その『合図』と共に森へ浴びせられたのは・・・・・・・・



 おびただしい量の火矢、だった。