[首都にて・L3]
彼女と別れた後。
ルシファーは宿へ向かう為、一人裏通りを歩いていた。
だが、ふと思い立ち、歩を止める。
そういえば、彼女から今夜泊まる場所を聞いていなかった。
今ならまだと考えて、駆け足で先ほどの場所へ戻ったが、彼女の姿はすでになく。
先ほど彼女は、『用事がある』と言っていた。ということは、どこかへ向かったのだろう。
仕方ないかと考えて、踵を返そうとした。
と・・・・・
「……あれ?」
足下に何か落ちていた。夕陽を反射してキラリと光るそれは、真新しいアンクレット。
こんな物が、どうしてこんな所に? そう思いながら拾い上げると・・・・・
「えっ!?」
サァ・・・と。まるで砂のように、アンクレットが崩れ落ちた。それまで『装飾品』という形を成していたはずなのに、それは、自分の手からサラサラ流れ落ちていく。
しかし、アンクレットの残骸が僅かに醸していたのは『魔力』。その残り香が、脳内にある記憶を呼び起こした。
「あれ…? これって……。」
その香りが『彼女のものだ』と認識するまでに、時間はかからなかった。サラサラ流れる銀を見つめながら、暫しその場に立ち尽くす。
そういえば。
彼女は、この旅を始める前──共に過ごした国にいた頃──から、銀製品を好んで身に付けていた。ふらりと家を出て行ったと思えば、大量のブレスレットを買って来たり。稽古から帰る途中、装飾品店から山ほどの荷物を抱えて出てくる姿を見かけたり。
でも、彼女がそれを購入する時は、決まって具合が悪そうだった。・・・そうだ。先ほどのように顔色が悪く、辛そうな時に購入してくるのだ。
しかし、どうして彼女がそうするのか、分からなかった。時折、苦しそうに膝を折っている姿や息荒く項垂れている姿。それがいつも心配で「お医者様に行ってみよう?」と何度となく言ったこともあるが、彼女は、ただ笑って「大丈夫だから…。」としか言わない。
心配で心配で、ササライに協力を求めたこともあった。でも彼が、いつも決まって口にするのは「僕たちは、見守ることしか出来ないんだよ…。」という、何とも悲しい言葉。彼のそんな微笑みを見て、更に胸が痛むのだ。
彼女の苦しむ姿。本人が「発作だから…。」という通り、それは『一定の期間』を置いて発祥する。ふらつきしゃがみ込んだかと思えば、苦しげに呼吸する。
ササライが、その背を擦りながら「大丈夫かい…?」と問うも、彼女は「大丈夫だよ…。」と、額に汗を滲ませながら小さく微笑むのだ。
「……。僕もササライも、とっても心配してるんだからね……。」
早く大人になれば、彼女の痛みを和らげてあげることが出来るだろうか?
強くなれば、彼女が自分を頼ってくれるようになるだろうか?
そんな事を考えながら、なにも出来ない悔しさに腹が立った。
「…………。」
見上げれば、建物同士の狭い隙間から、茜色が差していた。
裏通りを抜け・・・・・とは、世の中そう上手くはいかないもので。
何も考えずに歩いていた所為か、元居た大通りへ戻る方法が、分からなくなってしまった。
それが、保護者の男性が、彼を常に気にかけている理由でもあるのだが、本人が「精一杯頑張ってるよ!」と言うのだから、それはそれで致し方ないのだろう。
延々と続いているように見える裏通り。それを抜けるためルシファーは、考え無しに行ったり来たりを繰り返していたのだが、段々と足が棒になってきたので、ひとまず休憩することにした。
・・・困ったなぁ。道を尋ねようにも、この場所には、ひとっこ一人いない。
「うぅーん……どうしよう…。」
その外見とは似つかぬ、幼い口調。
彼がこのような言葉遣いになるのは、一人でいる時か、保護者二人といる時だけだ。
『知らない人には、敬語を使いなさい』と彼女に教えられたのは、そう昔ではない。
あの国で生活していた頃、よく三人で買い物に出かけたが、彼女に教えられた通りにちょっとした顔見知りにも敬語を使っていると、決まって「偉いわね。」と褒められたものだ。そしてそれを隣で聞いている彼女は、優しく微笑んでくれる。その笑顔が嬉しくて、彼女とササライ以外の人と話すときは、敬語を使うようになった。
いや、ありのままの自分で話せる人物は、もう一人いた。しかし、その『彼』は、少し遅れてこの国に来ると聞いていた。今ごろは、自分達を追って来てくれているはずだ。
再開まで、もうちょっと。そう自分に言い聞かせながらも「早く会いたいなぁ…。」と呟く。
しかし、まずは、この迷子状態をどうにかしなくては。そう考えて、思案を開始した。
直後。
「っ……。」
背後に人の気配。それも、武器を手にする者特有の。
自分に棍の扱いを教授し、彼女と同じ『笑みの中にある深い闇』を持つ『彼』の言葉が、瞬時に蘇る。
『きみの、最大の弱点は……周りにばかり気を取られて……死角にまったく気が回らないことだ…。』
背後に立つ人物から殺気は感じられない。だが、普段から口酸っぱく言われていた言葉なだけに、思わず下唇を噛んだ。自分は、戦いの経験が多い方ではない。しかし、これが戦いの場であったらと思うと、内心ゾッとした。
心内で酷く動揺しながらも、振り返るべきか考えた。すると、後ろの人物から声をかけてきた。
「こんな所で、何をしている? 迷ったのかい?」
「……?」
かけられた言葉は、意外過ぎるほど優しいものだった。その気配と声のギャップを感じ、目を丸くしながら振り返る。
思ったより間近でなかった──歩幅二歩分くらいだろうか?──。ルシファーは、目の前に立つ人物を見上げた。
冷静さが垣間見える気配に、温和でゆったりした口調。そして優しげな微笑み。20代中盤頃だろうか。その割には、凛とした空気を醸す青年。
ここに、彼の『保護者たち』がいたら、確実にそう感じるだろう。
だが、ルシファーの第一印象としては『優しそうなお兄さん』というだけのものだった。少年は、まだ人間分析が未熟であった。
「えっと……道に、迷っちゃったんです…。」
「…道に? あぁ、そうか…。それなら、大通りまで案内してあげようか?」
「え、良いんですか?」
「うん。僕も、大通りへ近道しようと思っていたんだ。」
瞳を瞬かせていると、青年が優しく笑った。
その青年に連れられて、ルシファーは、大通りまでの道を一緒することになった。
現在いる場所から通りへ出るまでには、少し時間がかかるらしい。
元々人と話をするのが好きなルシファーは、『誰と』『どこから』『何が目的で』旅をすることになったのかを青年に話した。青年は、先ほどから笑みを絶やすことなく上手く聞き手に回っている。
「それじゃあ、きみは、とササライという人たちと、三人で?」
「はい! が、僕の見聞を広げるためだ、って言ってました。」
「それにしても、随分と遠くから来たんだね。」
「時間は沢山かかったけど、楽しかったです。でも、初めての旅だったから、知らないこととか物とかもあって、いっぱい”知る”ことが出来ました!」
「………………と、ササライ……。」
「え? 二人のことを、知ってるんですか?」
「いや……。」
話の途中で出した『保護者二人』の名前を聞いて、青年が眉を潜めた。先までの笑みとは打って変わり、思案するようなその表情。
「と……ササライ……。」
「お兄さん?」
「…そんな、まさか……『彼ら』なのか…?」
一人ごちている青年に「どうしたんですか?」と問うと、咄嗟に顔を上げて、すぐに先程の笑みに戻る。
「あ、いや……何でもないよ。聞いた事がある名前だな、と思っただけなんだ。」
「二人の名前をですか…?」
微笑む青年を見ていると、自分も笑顔になる。
だが、ふと思い出したことがあって、青年に向かってお辞儀した。
「あ! 僕、ルシファーと言います! とササライは、僕のことを『ルシィ』って呼びます。お兄さんのお名前は?」
「僕? 僕は………ティムアル。」
互いに自己紹介を終えたと思ったら、ティムアルと名乗った青年が「ほら、ここを曲がれた大通りに出るよ。」と言った。見ればそこは、昼間、保護者たちと別れた場所。
しかし大事なことを忘れていた。今さら思い出したが・・・・。
「あ……。」
「どうしたんだい?」
「あの……この街には、宿ってどれぐらいありますか?」
「宿? あぁ、旅をしているんだったね。」
問えば青年は「ここは、人の往来が多いからね。」と困った顔。聞けば、大きい所から小さい所まで含めると6〜7も宿があるらしい。
「え、そんなに…!?」
「もしかして、宿の場所を覚えていないのかい?」
「あ、違います。えっと…」
「…ルシィ。こんな所に居たのかい?」
ここで通りから声がかかった。見れば、そこに居たのはササライ。
ルシファーは、嬉しくて思わず彼に飛びついた。
「ササライ!!」
「宿の主人に聞いたら、この街には沢山宿があるって聞いたから…。きみを探しに来たんだよ。」
良かった、見つかって。そう言うと、彼は「よしよし」と頭を撫でてくれる。
すると、ティムアルが声をかけてきた。
「…ルシファーくん。この人は?」
「あ、この人が、さっき言ってたササライです!」
「初めまして、えっと…。」
そう言ってササライが、ティムアルの前に進み出た。
「……初めまして。ティムアルと申します。」
「ティムアル…? …………もしかして……。」
それを見て、二人は知り合いなのかと聞いてみた。だが当人達は、見つめ合ったまま黙り込んでいる。
するとティムアルが、言った。
「…ルシファーくん。今度からは、あまり裏通りは歩かないようにね? 慣れていないと、出るのが大変だから。」
「あ、はい。本当にありがとうございました!」
「…ルシィ。今夜の宿は、一つ先の大通りにある『ルアン』という店を曲がった路地にあるよ。部屋は、階段を上がって二つ目。先に戻って、お風呂に入っておいで。」
「分かった! でも、ササライはどうするの?」
「……僕も『おくすり』を買ったら、すぐに戻るよ。」
少し気にかかったが、言う通りにした。
そういえば、確かに、おくすりの残りが少なかったから・・・・。
「それじゃあ、ティムアルさん。ありがとうざいました!」
「うん、ルシファーくん、気をつけてね。」
一つ先の大通りにある『ルアン』という店を曲がった路地。
部屋は、階段を上がって二つ目。
それを頭で反復しながら、ルシファーは、手を振ってその場を後にした。
「ティムアル……ティムアル…。どこかで聞いた事がある名前だね。」
「……………。」
静かな声でそう言った、目の前の少年。
ティムアルは、じっとそのペールグリーンの瞳を見つめた。
「もしかして………ティムアル=ケピタ?」
「…っ………。」
ひとりごちるように呟かれたその言葉に、一瞬僅かな反応を見せてしまう。
先の少年とまったく同じ容姿を持つ、目の前の少年。違うのは、髪型や服装、そして僅かではあるが身長か。
「……買い物に行かなくて……良いのですか?」
「あぁ、あれは『嘘』だから。気にしなくて良いよ。きみが、ティムアル=ケピタなのか聞いてみたかっただけなんだ。もし本人だったら、皇帝の聖誕祭の最中、こんな所で遊んでる暇はないはずだろうからね。」
「…………。」
「あれ? もしかして、本人だった?」
柔らかく微笑みながら、さらりとそう言った少年。ティムアルは、目を伏せた。
しかし、ここで下がってはいけない気がして、口にする。
「ササライさん……ですか?」
「うん、そうだよ。……あぁ、そっか。さっきルシィが口にしてたよね。」
にこにこと笑みを崩さぬ少年。
このままでは、自分が負ける。そう思い疑問をぶつけてみた。
「………もしかして………ハルモニアの…?」
「ハルモニア? あぁ、そういえば……僕と『同じ名前の神官将』が、あの国にいるって聞いた事があるよ。」
「……………。」
ハルモニアに属していた『ササライ』という神官将のことを、見たことはない。ということは、目の前の少年は『あのササライ』ではないのだろうか?
しかし、まったく動じることのない少年に違和感を覚える。見た歳の割には、やけに落ち着いているからだ。
それなら、少し鎌をかけてみようと思った。
「……ルシファーくんとは、ご兄弟ですか?」
「ルシィと? うん、そうだよ。良く似てるって言われるんだ。僕の弟だよ。」
「……そう…ですか…。」
まったく動じない。ということは、彼は『同名であるだけの、ただの少年』なのか。しかし、この落ち着き。とても17〜18には見えない。
すると、彼が言った。
「さて、と…。確認も出来たことだし、僕はそろそろ行くよ。やっぱり『おくすり』も買って戻らないと………あとで『彼女』に怒られるかもしれないからね。」
そう言って、彼が踵を返した。
彼の言った『彼女』。それは『』という女性だろう。
気にはなったが、それ以上聞くことを許さぬように、彼はこの場から去って行った。
「…『』に………『ササライ』……。」
その名の意味するものを知っている。その名が持つ『影響力』を知っていた。
特に、女性の名を・・・・。
あのササライという少年。
それを、同名だと結論することも出来た。
しかし・・・・・
『ササライ』だけでなく、連れて『』という名前が出てしまったら、とてもただの同名とは思えない。この国にとって、それらを軽視してはならないのだ。
故にティムアルは、表通りに出ることなく来た道を引き返した。
もし・・・・・本当に、彼らが、あの国に属していた『彼ら』なら・・・・・。