[四面楚歌・3]
深夜。
少し仮眠を取った後、ササライは、寝ているルシファーとジェンリを起こして森の中を歩き始めた。
今宵は風が無い。木々は揺れることなく、森の中は自分たちが歩く音以外皆無。それに僅かな不安を感じたものの、少しでも早くミルドレーンに着きたいと考えて足早に歩いた。
「ねぇ、ササライ…。」
「ん、なんだい?」
隣を歩き、コソコソと話しかけてきたのはルシファー。
どうしたのかと問えば、少年は『どうしよう…』といった顔をしながらも続けた。
「ずっとね、気になってたんだけど…。」
「うん?」
こうまで言いづらそうにするということは、レックナートの事だろうか? 彼女と再び会ったことを、自分に話そうとしているのだろうか?
それとも、あの遺跡での事? あの遺跡で『何故、紋章が使えたのか?』と聞きたいのだろうか? でも・・・・
そう考えている途中で、少年は言った。
「ここは、紋章が使えないんだよね? それなら、どうしてあの遺跡で紋章が使えたの?」
「それは…」
後者だったか、と内心苦い顔を隠せない。前者だったら聞き手に回れる。しかし後者では、色々と不都合が多い。
あの遺跡で起こった『真実』を自分が話すことは憚られるし、何より、少年に話すには時期尚早。そして、すぐ後ろには、自分がずっと疑い続けているジェンリもいる。
真実を隠してどう嘘をつこうかと悩んでいると、少年は構わず続けた。
「ねぇ、は、何をしたの?」
「あ〜! ボクも不思議に思ってたんだ〜! 興味ある〜! ササライくんは、何か知ってるの〜?」
「………。」
ニコニコと笑みを見せながら話に便乗してきたジェンリは、本当に疑問に思っているのだろうか? 全て知っているような、しかし全く知らない純粋な問いかけのような・・・・どちらにも見える。
しかし、彼がいるということがどうしてもネックになる。彼女があれだけの反応を見せたのだ。訝しむなという方がおかしい。
だから更に悩んだのだが、そんな自分の悩みなど知らぬルシファーは「どうしたの?」と首を傾げている。
「……ごめんね、ルシィ。今はまだ話せないんだ。でも、時が来たらちゃんと話すよ。」
「…うん、分かった。」
「え〜! ってことはァ〜、やっぱりササライくんは何か隠してるってこと〜?」
唇を尖らせながら腕を組むジェンリの真意が読めない以上、嘘はつかずに後回しにした方が良い。だがルシファーとは違って、彼は納得がいかなさそうな顔。
「…言えないものは言えないんだよ。それにきみは、知る必要もないじゃないか。」
「え〜っ!? どうしてェ〜?」
頬を膨らませてプンスカ怒り出す彼。しかし、どうしてもそれが演技に見えて仕方ない。
隣を見れば、自分のあからさまな態度に驚いているのかルシファーが目を丸くしている。
「ジェンリ。僕らはこれからミルドレーンに行くけど、きみは遺跡攻略が終わったんだから元の『人探し』に戻るんだよね?」
「ウン、そうだけど〜! 酷いなァササライく〜ん。なんだかボク、仲間外れにされてる気分だよ〜!」
彼は・・・・誰かに似ている。
他者が分かるか分からないかのギリギリで絶妙とも言える演技っぽさに、あえてコロコロと表情を変えてみせる『純粋』と『胡散臭さ』の合間を取る、その手口。
「…仲間外れにしてるつもりはないけど、僕らは、ついこの前会ったばかりだからね。」
「あ〜分かった〜! そう簡単に信用できるワケない、ってことでしょ〜!?」
「うん、平たく言えばそうなるね。」
「ちょ、ちょっとササライ!」
『あ、に似てるんだ』と、当の本人が聞いたら『顔は満面の笑み・心は煮えたぎってる』ような事を思った。今ごろ彼は、ハルモニアでくしゃみをしているに違いない。
すると、ルシファーが間に入った。どうやら、どうして自分がジェンリにそこまでキツく当たるのか理解出来ないらしい。
「そんな事言ったらダメだよ! ジェンリさんは、遺跡攻略を手伝ってくれたんだから!」
「…確かに手伝ってもらったし、それに関しては礼を言うけど、それとこれとは話が別じゃないかな?」
「で、でも、ジェンリさんは、あの時一緒に見てるんだから、聞いたって良いでしょ?」
いや、どう考えても良くないよ。
そう口にしたかったが、そこから続くだろう少年の『どうしてどうして?』攻撃が目に見えていたので、取りあえず「ちょっと、こっちへおいで。」と手招きしてジェンリから離れる。彼が「また仲間外れ〜? 酷いなァ〜!」とプリプリしている事などお構いなしだ。
「ルシファー。ジェンリが好きかい?」
「え? う、うん、好きだけど……ササライは嫌いなの?」
「ううん、嫌いじゃないよ。ただ僕は、彼のことを信用してない。」
「…どうして?」
純粋過ぎるが故に、表側だけで人を信じてしまう。それが悪いとは言わないが、やはり、少年はまだまだ子供だった。この森から抜けミルドレーンへ向かうことが最優先だが、言うべきことはハッキリと伝えておかなくてはならない。
「どうしてって…。きみは、ジェンリの全てを信じられるのかい?」
「え、でも……ジェンリさんは、遺跡の攻略を…」
「…そうだね。確かに、一緒に攻略してくれたよね。でも、僕らが一緒に過ごしたのは、たった数日じゃないか。そのたった数日で、他人のことを全部知るなんて…そんな芸当、きみに出来るのかい?」
「………。」
「ルシファー。きみの気持ちは分からないわけじゃないよ。僕だって、出来ることならこんな事は言いたくない。でも、いくら一緒に旅をしたからって、教えられる事と教えられない事は分別しなきゃいけないんじゃないかな? ……それに、これ以上深入りされれば、が追われている事が露見してしまうかもしれないよ。」
「あ…。」
と、ここで少年は顔を上げた。どうしたのかと問えば、ヘルド城塞にいた時『皇帝直々にを探すように』との報を聞いたという。・・・・今、その話か。
どうして皇帝直々に? そうに聞いたが『僕からは言えない』と言われたらしい。
そして、その疑問を今度は自分に問うてくるのだろうと予測し、先に「僕もその事に関してはまだ言えないけど、いつかちゃんと話してあげる。」と言っておいた。
それを聞いて、しょんぼりと項垂れる少年。『僕だけが仲間外れ…』と言いたげな心と戦い、何とか耐えようとしているその姿。
真実を教えてやりたいが、やはり『今は、まだ早い』。
この子供が全て知るには、まだ・・・・。
「ごめんね、ルシィ。何も答えてあげられなくて。」
「………。」
「でもね。いつか時が来たら…………必ず話すよ。」
「……分かった。」
ごめんね、ごめんね、本当にごめんね。
心の中でそう何度も繰り返しながら、その頭を優しく撫でて「ありがとう、分かってくれて。」と微笑む。
少年は、相変わらず寂しそうな顔をしていたが、黙って前を向いて歩きだした。
「あら? こんな所で会えるなんて、思いもしなかったわ。」
「…?」
あと少しという所で封じの森から出られる。そう考えていた矢先、出口付近からかけられた声に、ササライは僅かに眉を寄せた。
前方には馬に乗った13〜14歳の少女と、その周りを守るように取り囲んでいるケピタ兵。
隣を見れば、ルシファーが前方の人物を見て首を傾げている。
・・・・あぁ、なんだか凄く嫌な予感がする。
先程感じていたあの不穏な風は、やはり自分に『知らせて』くれたのだろうか。
「きみは…?」
「私? 私は、スタナカーフっていうの。よろしくね!」
ルシファーの質問に、スタナカーフと名乗った少女が笑みを浮かべる。
だが、その笑みを見て、ザワリとした悪寒を感じた。
「ねぇ、あなたがササライ?」
「え? 違うよ、僕は…」
「…ルシィ、少し下がっててくれるかい?」
幻大国の筆頭がミルドなら、その直属にあたるのは各地方の城塞守備者。しかし、スタナカーフという名前は知らない。ハルモニアに居た頃も、そんな名前は聞いたことはなかった。
・・・・おかしい。こんなに幼い少女が、どうしてケピタ兵と一緒にいるのか。
すると少女は、自分を見てニコリと笑った。
「っていうことは……あなたがササライで、その子がルシファーね?」
「…そうだよ。」
「ふぅーん。本当に、ミルド様に聞いた通りで『そっくり』ね!」
「………。」
大胆にも『ミルド』という言葉を使った少女に、表面上は笑みを浮かべながら、内心『さぁどうするか』と考える。少女の言葉をそのまま受け取るなら、確実にミルドの手下だろう。
だが、一つ分かった事がある。の”連れ”である自分たちもその標的になったのだろう、と。
「スタナカーフ、だっけ? それで、僕らに何か用かい?」
「あら? どうしてそう思うの?」
「僕らの名前を知ってるって事は、皇帝に何か聞いてるんじゃないかと思ってね。」
「えぇ、そうよ。あの『』って女の連れでしょ? 私は、ミルド様と仲良しだから、何でも知ってるわ。」
会話しながら、チラリとジェンリに視線を向ける。彼はキョトンとした顔でやり取りを見つめているが、その表情がどこまで本当かは分からない。自分が『に似ている』と思ったのだ。表裏を上手く混ぜ合わせながら、巧みに表情を操っている可能性もある。
「…用がないなら、そろそろ行きたいんだけど。通っても良いかな?」
「あら? ダメに決まってるでしょ。だって、ミルド様からの命令で…」
そう言って、少女が冷淡に口元を歪ませた。
「…『この森にいる者は、誰であろうと全て殺せ』って言われたんだから。」
「どうして…?」
横から声が上がった。ルシファーだ。
「どうして…!? この森にいる人を、どうして殺せなんて…!」
「あら? あなた、お馬鹿さんなの? 説明する必要もないわ。だって、ミルド様からの命令なんだもの。ミルド様が私にそう言ったんだから、それをするだけで良いのよ。」
「なんで…!?」
「…ルシィ、少し落ち着いて。」
尚も問う少年を制して、ササライは、ジッとスタナカーフを睨みつける。
「解せないね。皇帝がどうしてそんな事を命じるのか。この国は、国民の虐殺がそんなに簡単に許されてしまうのかい?」
「げせない? なにそれ? …まぁいいわ。説明する必要もないわよ。ミルド様の命が絶対だ、ということ以外はね。」
「…話すだけ無駄ってことだね。」
そう言い、武器に手をかける。
彼女たちの後ろに出られれば紋章は使えるが、何がなんでも通してはくれないだろう。ということは、一度遺跡の方まで戻らなければならないか。
すると、スタナカーフが笑った。
「あ、そうそう! 言っておくけど、森の反対側に逃げようとしても無駄よ。だって深き守りの村は『』を囲った罪で焼き払われるんだもの。」
「なっ!?」
「きゃはは! ようするに、あなた達に、どこにも逃げ場はないってことね!」
甲高く笑う、少女の耳障りな声。
奥歯をギリと鳴らしながら、武器を抜き放ち『どうするべきか』と考える。後ろを見れば、ジェンリが我関せずといった顔で、やり取りを静観している。
すると、ルシファーが声を荒げた。
「なんでっ!? は、何もしてないのにっ!!」
「ルシファー!!」
「は、何もしてないよ! それなのに、どうしてを狙うのっ!?」
止めるために思わず怒鳴りつけたが、少年の耳には入らない。
スタナカーフは、少年の言葉を聞いた途端、呆れたような顔をした。
「あなた……本当に何にも知らないのね。ビックリしちゃうわ。」
「え…?」
「今まで、なぁーんにも知らないで、あの女やその男と一緒にいたの?」
「…?」
・・・・マズい。
もしかしたら、この少女は、少年のことを全て知っているのか? 自分たちが隠しているはずの秘密を、全て・・・。
しかし、それでは辻褄が合わない。少年の秘密を知るのは、自分とと。そして、とルカと・・・・。それ以外に、その『秘密』を知るものはいないはず。
そんな考えも知らず、少女は笑いながら言葉を続ける。
「それじゃあルシファー、私に教えてくれない? あなたの生まれは? その男たちと会う前は、どこで暮らしていたの?」
「あ…」
「さぁ、答えなさいよ! あなたがいったい『何者』なのか、私に教えてちょうだい! どうしてあなたがあの女に育てられたのか。どうしてあなたがその男が似ているのか。知っているなら、覚えているなら答えられるはずよね?」
「ぼ、僕は…」
・・・・なんてことだ。少女は、知っている。
少年の知らない、いずれは知らなくてはならない『秘密』を、全て・・・。
では、何故? なぜこの少女が、少年の秘密を知っている?
「……あなた、本当に何にも知らないのね。ふふ、笑っちゃうわ。」
「どうして…? 教えて…。きみは、僕の何を知っているの…?」
「ふふ、教えてあーげないっ! 面白いわ。本当、面白くて笑っちゃう!」
クスクスクス。響く少女の笑い声。
・・・これ以上、少年を混乱させてはならない。これ以上の混乱は、イコール『彼女』にも負担をかけることになる。少年の思考を暴走させてはならない。それが、彼女とリンクしてしまうのだから・・・。
「ね〜ね〜、ササライく〜ん…。」
「ジェンリ…?」
そっと声をかけてきたのは、ジェンリ。振り返るとそっと耳打ちしてきた。
「何がなんだか、ボクよく分からないんだけど〜…。とりあえず逃げた方が良くないかな〜?」
「…そうだね。」
「それじゃあ、どうする〜?」
「………。」
明らかに敵対するだろうスタナカーフから視線を外さず、彼の言葉に耳を傾ける。
しかし、道は一つしかないのも事実。
「それなら…」
「あ〜、やっぱりそう思った〜? ボクも同意見だよ〜!」
遺跡に逃げる他ない。しかし、逃げた所でその先は閉ざされている。四面楚歌だ。
そう答えようとすると、どこからか大きな音が聞こえた。何だと顔を上げると、スタナカーフが「合図が出たわ!」と笑っている。
「合図…?」
「みんな! 合図が出たから、やっちゃいなさい!」
少女のかけ声と共に、兵士達が一斉に森へ火矢を放ち始めた。
それを見て、ルシファーが声を荒げる。
「なっ…や、やめろッ!!!!!」
「…あなた、本当にお馬鹿さんね。やめるわけないでしょ! ほらほら、逃げれるものなら逃げてみなさいよ! まぁ、どこへ逃げようが、あなた達は『焼け焦げた死体』になるだけだけど。」
「っ…!!!!」
「ルシファー、止めるんだ!!」
挑発とも言える少女の言葉に、少年が棍槍を取り出した。肩を掴んでそれを制し宥めたものの、やはり遺跡に逃げる他道はない。
「今は抑えるんだ!」
「でもっ…!」
「いいから! とりあえず、遺跡まで逃げるよ!!」
「ちょっと待って! 達はどうなるの!?」
少年の憂いは、やはり彼女か。しかし、それは自分とて同じ。
だが、南側もケピタ兵で封鎖されているのだとすれば、彼女達も遺跡を目指すはず。でも、遺跡内部が分断されているとなると・・・・合流は不可能か。
いったい、どうすれば・・・・・!
と、ジェンリが、思い出したような顔でポツリと言った。
「あ〜そうだ〜…。そういえば〜、あの遺跡って転移装置があったはずだよね〜?」
「!!」
「あの装置、まだ生きてたし〜? あれ使えれば、なんとか逃げれるんじゃないかな〜?」
まるで誘導するような、その物言い。やはり彼に対する疑いは消えないが、確かにあの装置は生きていた。ということは、あれを何とかして使えればこの森から逃げることが出来るはず。
「よし! ルシィ、急いで遺跡に戻るよ!!」
「で、でも…深き守りの人たちは? リン達の村なのに…!」
「皆があっちにいるなら、大丈夫だよ! きっと、村の人を避難させながら遺跡に向かうはずだ!!」
「う、うん…分かった!」
「行くよ!!」
「ちょっと、なにコソコソしてるのよ? 仲間外れにされるなんて、面白くないわ!」
内緒話は嫌いなの、と苛立ち始めた少女を尻目に、今来た道を駆け出す。
達なら、必ず村の人たちを誘導しながら上手く逃げるはず。やミリアン、ジュレーグもいる。あの転移装置を思い出して、必ず遺跡に戻ってくるはずだ。
そう考えながら、ササライは、追って来る兵をフレールで牽制しながら走った。
「さぁ、楽しい『狩り』の始まりよ!!」
甲高い少女の笑い声が、燃え上がる森に木霊した。