私が私では無かった、あの頃。
心を病んでいたあの時期、何度も自分で死のうとした事があった。
何度も、何度も、死を試みた。
その都度、右手に宿る紋章が、それを阻むように全身を光で包んだ。
小さな傷は残るのに、確実に死に繋がるだろう傷は、驚くほど綺麗に完治する。
自分の中で、それが抗えない事実なのかと感じ始めた時、また違った絶望が襲ってきた。
自分は、死ねないということか。
この紋章は、それすら超越する存在だったのか。
私は・・・・・他の継承者達の様に、死を賜ることすら出来ないのか。
本当の意味での絶望とは、紋章を宿すことではなく。
不老ということでもなく。
誰かに恐れを抱かれることでもなかった。
”死”が・・・・・・・・”無くなる”こと、だった。
でも、それを”彼”に問うことは出来なかった。
問えば彼は、確実に心を痛めるだろう。それだけは分かっていたから。
だから私は・・・・・・
自分の中で、一人、時間をかけてその真実を受け止めていこうと思った。
それが『確信』となり、”彼”の口から真実を告げられたのは・・・・・・それから何十年も後だった。
[不死]
体が揺れている。
全身が、何かによって揺られていた。
「…?」
薄く目を開ける。だが、視界が不明瞭で視点が定まらない。
誰かにおぶられている事は分かったが、それが誰なのかすら見えなかった。
そんな中でも、頭は妙に冴えているのが不思議だ。
あぁ・・・そうか。
私は、確かシンダル遺跡で”力”を制御出来なくなって・・・・。
「っ? ごほっ…! ぐっ……!?」
頭の中の整理をしている最中、思いきりむせた。同時に口から吐き出たものは、真っ赤な自分の血液。
あぁ、そうだ・・・力を制御出来なくなって、その後、背後からミルドに刺されて・・・。
心臓を・・・・・。
「…!?」
「……?」
暗闇に覆われそうな視界の中、その声だけを頼りに相手を特定する。彼が自分を背負ってどこかを歩いているのだろう。
ということは、あの遺跡からは脱出できたということか。
「ここ、は……?」
「…喋らないで下さい。すぐに街を探して、医師の所に連れていきます…。」
「シンダ、ル遺、跡…からは……出ら、れ…たの…?」
「…はい。ここがどの森かは分かりませんが、すぐに街まで連れて行きます…。ですから…」
「ごめ……あんっ……たの服……私、の血で……」
「っ……お願いですから、もう喋らないで下さい…。」
こんな時に人の服の心配か。頭は冴えてるくせに。
と、自分でそんな事を思い、ふと笑いが込み上げる。
だが、彼は、自分が死の窮地に立たされていると思っているのだろう。感じたのは、彼の首に回されダラリとした自分の腕に、ポタリポタリと落ちる雫。
「……泣い、てる……の?」
「………泣いていません…。」
思えば、彼は、あの時自分を『守る』と言っていた。守ると言ってくれた。
こんな自分を。”巨大な力”しか持たない、そんな”力”を制御すら出来ない、ちっぽけな自分を・・・。
「だい……じょぶ……だよ。あた、しは…」
「っ……お願いです………お願いですから、もう喋らないで下さい…。」
・・・・大丈夫だよ。私は、全然大丈夫。
だって、私は、これから自分が光に包まれることを知っているから・・・・。
私だけは・・・・・・・・・誰かを置いていくことは、決して無いのだから。
涙が止まらない。止まらなかった。
守ると誓ったのに。守ると決意したのに。
自分に。彼女に。
そして、この右手の紋章に・・・・。
「ここは、どこなんだ……?」
周りをどれだけ見渡せど、森の木々ばかり。自分の目指すものがない。何も・・・・なにも。
彼女の息は、まだあるようだが、それもいつまで続いてくれるか分からない。
街があれば・・・医師がいれば、彼女は助かるかもしれない。奇跡だけを信じ、願い、助けられるかもしれないのに・・・。
「はぁ……はぁっ…………誰か……っ、誰か!!」
それでも・・・・・・分かっていた。
ミルドの狙いは正確だった。あの剣は、彼女の心臓を貫いていた。
だからこそ、自分の無念が涙となって溢れ出た。
背中越しに伝わる彼女の脈が、先程よりも弱い。それを感じたからこそ全身が震え、そこから一歩も動けなくなった。
「っ……………………………………………………テッド…。」
ポツリと零れ出たのは、”彼”の名前。
「テッド………っ…………………助けてよ……………彼女を、助けて……。」
自分の親友であり、彼女の愛する人であった、その人の名。
「……テッド……………助けて………テッド……。」
ただ、呼び続ける。
「じゃなきゃ、僕は……!」
「そこに誰かいるのか?」
「っ!?」
ザクザクと草木を踏みしめる音が、近くから聞こえた。咄嗟にそこへ目を向けると、現れたのは・・・。
「ナッシュさんに……シエラさん……?」
デュナン統一戦争、そして、先の英雄戦争にて顔を合わせた男と少女の姿。どうしてこんな所にとは思ったが、何もない森の中、誰かがいてくれたというだけで心に安堵が広がる。
ナッシュは、自分が背負っている彼女を見ると、すぐに駆け寄ってきた。
「おい、そいつ……怪我してるじゃないか!」
「……どこか…………街に……。」
「あ、あぁ、そうだな! この森を抜けた先に『カレシオ』って街がある! すぐに連れていこう! おいシエラ、手伝ってくれ!!」
「まったく……おんしは、何故そう厄介事ばかり拾い回るのじゃ。」
事態は急を要する。そう告げると、男は自分の背から彼女を下ろした。
「え、おい………こいつ、!?」
「ぬぅ、じゃと?」
「…お願いです………街に………医師に、彼女を……!」
だが、彼女の出血する箇所を見て、二人が目を見開く。
「って、おい、マジかよ………心臓じゃないか!」
「…………。」
「お願いです……お願いですから…………彼女を…。」
街に・・・・・そう言いかけた時だった。
「えっ…!」
「…紋章が…。」
「これ、は…?」
彼女の右手が輝き出したと思ったら、それは急激な光に代わり、その体を包み込んだ。
唖然とする自分達をよそに、光は、徐々にそれを心臓一点へと定めながら、更に勢いを増していく。
「……………。」
ほどなくしてその光が止んだ後、暫く思考が働かなかった。自分も、ナッシュも、シエラですら。
彼女の胸の傷が、跡形もなく綺麗に消えていたのだから・・・・。
そんな中、最初に我に返ったのは、シエラだった。
「……まさか、これほどとは、のぉ…。」
その言葉の意味が分からず、涙の乾かぬ顔を上げる。
「おい…ちょっと待ってくれよ…。シエラ、いったいに何が起こったんだ…?」
「…捲し立てるでないわ。わらわとて、こんな現象は初めて目にするのじゃ。」
「おいおい、本当マジかよ…。傷があっという間に完治したぞ。こんな事ってあるのかよ…。」
「それが…………………………こやつの紋章の『呪い』なのじゃろう……。」
「あ……。」
シエラのその言葉で、ようやく合点がいった。
彼女が「大丈夫だよ。」と、確信を持って言っていたこと。
死なないと分かっていたからこそ・・・・・・・彼女は・・・・・
「良かっ……………っ…………良かった……!」
口について出るのは、心の底からの言葉。今、目の前で起こった現象を簡単に受け入れられるほどの安堵感。
でも、それだけでいい。呪いであってもいい。
それが、本当の意味で『不老不死』なのだとしても・・・。
これだけの事態を見たまま信じ、何も自問自答することなく受け入れる自分は、はたして正常なのかと思わないでもなかったが・・・・・・生きていてくれるなら。
”彼”が愛した彼女が、全ての者から愛される彼女が生きていてくれるのなら、ただそれだけで・・・・。
「…大丈夫か?」
「………はい。」
先程までの震えは、もう無い。完全に消え去った。
「見たところ、あんたも大分疲れてるみたいだな。は、俺が…」
「いえ…僕が背負います。」
ぐっ、と足に力を入れて立ち上がり、彼の申し出を断って、彼女を背負いなおす。
「で、どうするんだ?」
「おんし、何処か行く宛はあるのかぇ?」
歩きだした自分の隣についたナッシュと、その後ろを歩くシエラ。
「彼女が、いつ目を覚ますか分かりません…。ですから…」
「…それなら、俺たちと一緒に行かないか?」
「ですが…。」
カレシオにも手配書が回っているはず。そう告げると、意味を解したのかナッシュが「手配されてる変装上手な””って女…だったよな。」と、苦笑いする。
「もしかしたら、なんて思ってたが……やっぱりだったな。」
「ふん。こやつの性格上、一つ所に大人しく収まっているタマではないと思っていたが…また厄介な事に首を突っ込んだのじゃろうて。」
「……首を突っ込んだわけでは、ないんです…。」
どういうことだと目を向けられる。
だから、は話した。自分たちが入国してからの出来事を、簡潔に。
勿論、彼女と自分の紋章が、この国の皇帝に狙われていることも。
「ってことは、ササライ様もこの国に来てるのか?」
「…はい。」
「けど、その転移台とやらで何処に行ったかまでは見当がつかない、と…。」
「はい…。でもが目を覚ませば、彼らの居場所や何処へ向かうかは、分かると思います…。」
「ん? どういうことだ?」
「あ…。」
聞いたところによると、ナッシュは、ハルモニアの間諜をしているらしい。しかし、彼女の事をどこまで知っているのかは分からない。彼女の紋章の『特性』を知っているのかまでは・・・。
すると、それを知ってか知らずか、シエラが大きな溜息をついて言った。
「…ふん。ならば、まずはカレシオじゃな。ナッシュ、街に入る際にのことは上手く言い繕うようにのぉ。」
「ちょ、俺かよ!? 俺にどうにかしろってのか!?」
「…こういう時こそ、おんしの、その小賢しい知恵をフルに活用せい。」
「はぁ……まったく。まぁ、乗りかかった船だしな。、俺に任せてくれ。」
「はい…ありがとうございます…。」
何故だろう? つい先程まで不安と恐怖に打ちのめされそうだった心が、とても軽い。
誰かが手を貸してくれるだけで・・・・・・いや、一番大きかったのは、彼女の紋章の”呪い”だ。その呪いがあったからこそ、彼女は生きている。それが『無事に生還を果たした』と言えるべき事かは分からないが。
しかし、彼女が死ぬかもしれないという憂いが消えたことが、何より大きかった。
「本当に………ありがとうございます…。」
もう涙は流れなかったが、心なしか目元がジンと熱くなった。