[零された本音]
陽が昇り始める頃、ようやくカレシオに到着した。
ナッシュが、上手く街の衛兵を丸め込んでくれたお陰で、を連れて街に入る事ができた。シエラに案内を請い、一直線に宿へ向かう。
四人部屋をとり、部屋に入って彼女をベッドに下ろすと、振動で目が覚めたのか小さな声が上がった。
「う…。」
「目が覚めましたか…?」
「………?」
「…はい。」
そっと左手で彼女の額に触れる。熱はないようだが、先程の現象から考えるに、この後何かしらの状態異常を警戒しておいた方が良いかもしれない。
そう考えていると、彼女は、その考えを読んだのか「…大丈夫だよ。」と静かに微笑んだ。
「ですが…」
「いつも言ってるけど、私は、大丈夫だよ。見て分かったでしょ…? 死なないんだよ…。」
「………。」
「あんたが、そんな顔しないで。私は、もうコレを受け入れてるんだから…。」
「……はい。」
「だから良いんだよ。」と言った彼女の表情は、本当に受け入れているのだろうが、どこか物悲しい。
「まぁ…コレに気付いたのは、もうずっと昔だし…。そうだと確信を持ったのも、何十年も前だからね。…それに私は、コレを受け入れられるだけの年月を過ごしてきてるから…。」
「……はい。」
ここで、テーブルの方から、カチャと音がした。彼女は僅かに眉を寄せる。
「誰か……いるの…?」
「…はい。」
自分が壁となって見えないのだろう。そう考えて横にずれると、彼女は、ナッシュとシエラを見て目を見開いた。
「えっ、……なんで、こんな所に…?」
「よ! 久しぶりだな、元副神官長殿!」
「…相変わらずのようじゃのぉ。」
驚いて起き上がろうとする彼女のその肩を軽く押して、そっとベッドへ戻す。
「あんた達……ハルモニアにいたはずじゃ…?」
「まぁ、それが、その…の奴が休暇をくれたもんだから、ちょっと旅に出…」
「わらわは、ハルモニアでも一向に構わなかったんじゃがのぅ? こやつが『どうしても一緒に来てくれ!』と、泣いてねだるものじゃから付き合うただけじゃ。」
あぁ成る程、と言う彼女の体に薄手の毛布をかけながら、彼らの会話に耳を傾ける。
「でも、なんで…よりによって、こっちに…。」
「俺は、旅に出ようって言っただけだぜ? こっちに来たいって言ったのは、シエ…」
「『今まであまり来たことのない土地が良い!』と、子供のように駄々をこねたのは、何処の誰かえ?」
プライベートで旅に出るんだから、仕事であまり行ったことのない場所が良いじゃないか!
やかましいわ、喚くでない。おんしがそう言うたから、この地を選んでやったのではないか。
なんだよ、その恩着せがましい態度は! 本当にオババは、これだから困・・・
なにか言うたかぇ?
いや、なんでもないです、ごめんなさい。でもな、だからって・・・・!!
彼らの会話を聞きながら、そっと彼女に目配せする。すると、まだ言い合っている彼らに困ったように眉尻を下げて笑っていた。
「そっか……あんただけじゃなくて、あの二人もいたんだね…。」
「…はい。でも…」
「……うん、分かってるよ。あの二人は信用できるし、何より…」
「?」
「コレのことを誰にも言わなかったのは……ちゃんと理由があるんだ…。」
「理由?」
「そう、私なりの理由が…二つ。」
それは、何ですか?
そう聞くのは簡単だったが、僅かに視線を伏せて息を吐く姿に、問いかけて良いものか戸惑う。だが、意外なことに彼女の方から話し出した。
「一つは……とっておきの起死回生方法。まぁ、言ってみれば一発逆転用だね。」
「え…?」
「ほら、考えてみて…。誰も私が死なないって分からなきゃ、味方は仕方ないとしても、敵を欺けるでしょ?」
「あぁ…。」
彼女の言いたい事を理解し、静かに頷く。
「それじゃあ、もう一つは…?」
そう問うと、彼女は、天井を見上げて目を閉じた。
その行動の意味がなんとなく分かってしまい、毛布から出ているその左手にそっと触れる。
「私は………哀れまれたく………………なかったんだと思う……。」
”死”すら享受できないことを。
言外に含まれるその言葉に、ズキッ、と胸が痛んだ。
真なる紋章の所持者ですら得られるはずのそれを、この世界で唯一、彼女だけが得られない。不老は与えてくれても不死は与えてはくれない、という当たり前のその概念すら、彼女の紋章には通じないのだから。
「今さらだけど、おかしなもんだよね…。漠然と『死が恐い』って怯えてた頃もあったよ…。でも、いざそれを得られないと分かった途端、恐いと思ってた頃の自分が幸せに思えるんだ…。」
生まれ出た瞬間から、刻々と長い時をかけて迫るだろう”それ”が、ある日を堺に一瞬にして消えてしまう。文字通り、自分と言う世界の何処にも存在しなくなる。この世界に、ただ一人彼女だけが。
だから、ただ彼女は享受する。
この広い世界の中、彼女の”死”が”死んだ”ことを、ただ一人で・・・・。
「なぁ、。それじゃあ、こうしないか?」
「…?」
努めて明るい口調でその話に入ってきたのは、ナッシュだ。顔を上げて振り返ると、彼は、シエラの肩にポンと手を乗せた。
「よく見ろ! ここに、齢800年を越える『生きる化石』が居る! 彼女に助言を請…」
「くたばれぃ!!!!!」
ピカッ、ドゴォォオオォオン!!!!!
彼が言い終わる前に、シエラの手に宿る雷鳴の紋章が輝いた。
彼は、黒こげになりプスプスと煙を上げている。
「……………。」
二人のやり取りを見て呆気に取られていると、ふっ、と空気が揺れた。視線を戻せば、彼女が口元を緩め微笑んでいる姿。
彼らが、その心を和ませているのだろう。空気を重くしないようにふざけているのだろうやり取りも、彼女にとっては救いなのかもしれない。
そんな事を考えていると、シエラに呼ばれた。
「そこな…とやら。」
「え、あ……はい。」
「わらわは、こやつと少し外に出ておる。入り用な物があれば、何でもこやつに言え。」
「わ、分かりました…。」
黒こげのナッシュをズルズル引きずりながら(意外に力はあるようだ)、シエラが部屋を後にする。
茫然とそれを見送ってから、の方へと向き直る。何か思案しているようだ。
「どうか、したんですか…?」
「いや…。ちょっと気になる事があるんだけど…。」
「と、言うと…?」
問えば、彼女は躊躇を見せた。それが、どういう意味を持つのか分からなかったが、その瞳が深い哀しみの色に変わったことで、もしかしたらと思う。
「封じの森で……なんで”それ”が使えたんだろうと思ったんだよね…。」
「あ…。」
アルドという人物・・・・彼女の親友(本物ではないが)を葬った時の事だ。紋章が封じられているはずなのに、どうしてソウルイーターが使えるのかと、彼女はそれを疑問に感じたのだろう。
しかし、どうやら少し考えただけで納得のいく答えが見つかったのか「いや、やっぱりいいや…。」と、その話を終わらせようとした。
気になって問えば、すぐに答えは返ってくる。
「私が、覇王の紋章を一時的に封じた事で、その力が一定時間不安定になるのは分かってたんだよ…。それで、あんたが紋章を使った時……恐らくだけど、強弱のあった覇王の波動が、極弱になってたんだ…。だから、あの一瞬だけ使えたんだと思う…。」
「そう、ですか…。」
頭の中を整理しながら、なのだろう。一つ一つ言葉を選び、自分に分かるように説明してくれるのは有り難いが、しかし。
あの幻影が消滅した直後、涙を流して叫んでいた彼女を思い出すと、今だ胸が痛む。
「……だから、そんな顔しないでってば…。」
「すみません…。」
「……大丈夫だよ。私も、最初からアレが幻影だって分かってたし。それに…………アルドがいる場所は…………ここじゃないってことも…。」
静かな笑みを見せながら、自分を心配させまいと振る舞おうとする姿。それが分かっていたからこそ、それに騙されなくてはいけないこと。でも・・・・・
「。絶対に一人で行動しないで下さい…。ミルドは、必ず、また同じ手を使ってくると思います…。」
「うん、そうだろうね。…………でもさ、少し思ったんだ…。」
「…?」
「150年以上も前に……別れたはずの親友が……目の前に現れた。それが本人じゃないと分かってても…………あの時……確かに、私の心は震えたんだよ…。」
「そ、それは…!」
幻影であって本人ではない! そう言おうとして、口を閉じる。
彼女だって分かっているはずだ。幻影は、あくまで幻影。そこに『アルド』という人物の意思は皆無であったと。
彼女は「うん…そうだよ…。」と目を閉じた。
「大丈夫…ちゃんと分かってるから。ただ、ああやって触れる事が出来て、言葉を交わすことが出来て………あいつの声で、私の名前を呼んでくれた。それがね…なんだかあの頃に戻れた気がして、凄く……………嬉しかったんだ…。」
そう・・・・ただ、それだけのことだよ。だから、もう大丈夫だよ。
そう言葉にしながらも、きっと、その瞳に決して涙を浮かべまいと気丈に振る舞っているのだろう。
「…っ………。」
だからこそは、それ以上何も言うこともなく、彼女を抱きしめることしかできなかった。