[仮初めの真実・2]
時間は、すでに昼を回っていた。陽は高い。
シャグレィまではもつだろうが、到着したら、すぐにでも食料を調達しなければならないだろう。
「でもね、ルシィ。前にも言ったと思うけど……今は、まだ答えられないこともあるよ。」
「……うん。」
「それでも、きみが聞きたいって言うなら……出来うる限り、答えるよ。」
その言葉を合図に、少年は問うてきた。
「ロクさん達が、言ってたでしょ? が、皇帝様の命を狙ったって。あれは…」
「100%無い。ジェンリもきみも言ってた通り、彼女は、意味もなく人を傷つけるような事はしない。断言できるよ。」
これには、即答で答えた。
口に出すことは出来ないが、皇帝の狙いは、彼女の紋章だ。刃を向けた理由としては、きっと紋章を寄越せと言われ、拒否したからだろう。
「じゃあ、どうして狙われてるの?」
「それは……まだ話せない。でもは、皇帝の命を狙ったわけじゃないよ。」
「…うん。」
きみも、彼女を信じているんだろう? そう問えば、コクンと頷く。
続けて、他にも問いたいことがあるのかと聞けば、彼はポツリと呟いた。
「あの遺跡でさ…変な敵と戦ったでしょ? それで…」
「……あの時、どうして紋章が使えたのか、ってことだよね?」
「うん…。」
シールディフェンダーと戦った時の事を言っているのだろう。あの時、が『何かした』ことを、少年だけでなく、あの場にいた者全員が見ていた。それは、いずれ彼女かか自分に向けられただろう疑問。
言いづらそうに、申し訳無さそうな顔をして聞いてくる少年の頭を、そっと撫でる。
「……………。」
・・・・あの時。
全滅を免れるよりはマシだと、彼女なりの決意を持って『覇王の紋章』を一時的に封じたことは分かった。そして、いずれその件に関して問われるだろう事も。
しかし、今までと同じく、やはり『自分が答えても良いものか』と悩んだ。これには、どう嘘をついたら良いのか未だに迷っていた。
『きみは………きみなら、なんて答えるつもりだったんだい?』
そう心で問いかけても、言葉は返らない。
黙すことは出来ても、彼女がどう答えるか、なんて・・・・。
「ササライ?」
「………。」
でも。
あの時、思ったのだ。彼女を信じれば良い、と。
彼女を信じてここまで着いてきたのだから、と。
それなら・・・・・
「前提として……話しておかなきゃいけない事があるね。」
「えっ!?」
まさか自分が答えるとは思っていなかったのだろう、彼は、目を丸くする。
いつものように、『いつか話す』という言葉が返ってくると、そう思っていたのだろう。
「これは、僕の予想だけど…。昔、あの森のどこかに、『真なる紋章』が封じられていたんだと思う。」
「真なる紋章? あんな所に? でも、どんな…?」
「……前に、真なる紋章のことに関して、勉強したのを覚えているかい?」
「う、うん…」
「真なる紋章っていうのは、世界各地に存在している。」
「27個、だよね?」
「そうだよ。そして、所持者がいる場合は、所持者と共に生きていく。でも、所持者がいない場合は…」
「えっと、世界のどこかで眠ってる…んだったよね?」
「うん。ちゃんと覚えてたんだね。」
そう言い軽く頭を撫でてやると、嬉しそうに頬を綻ばせる。
「それで……これは、あくまで僕の推測だよ? 推測だけど…」
「うん。」
「あそこには、以前…………『覇王の紋章』が眠っていたんじゃないかな?」
「…はおうの紋章?」
嘘と真実を織り交ぜて伝えることは、意外に難しい。ハルモニアに居た頃、それを簡単にこなしていたの事を思い出し、改めて尊敬の念を抱く。
「覇王の紋章っていうのはね…」
「あっ! トラン解放戦争、だったよね?」
「…うん。思い出したかい? 覇王の紋章は、旧赤月帝国の皇帝であった、バルバロッサ=ルーグナーが所持していた紋章なんだ。」
「でも…あれ? 覇王の紋章って、トラン解放戦争の後に…」
「…うん、そうだよ。解放軍によって捜索されたらしいけど、結局、見つからなかったらしい。」
その頃から自分が生きていた、という事をおくびに出さず、あくまで『らしい』を強調して話す。自分の見た目ゆえ、だからだ。
「見つからなかったんだよね? でもササライは、あの森に紋章があるって言ったよ?」
「うん。正確にいえば、あったかもしれない、だよ。」
「うーん…。」
この少年には、少し難しいかもしれないが、順繰りに説明していく他ない。
「これは、僕の仮説だけど……覇王の紋章が、元々あの森にあったとすれば、その影響が残っていてもおかしくないんじゃないかな、って思ったんだ。」
「?」
「覇王の紋章の持つ特性……勉強したよね。覚えているかい?」
「えっと…たしか、『所持者に対する、あらゆる魔法を無力化する』だったっけ…?」
・・・本当に、よく覚えている。これには、素直に感心する他ない。
この少年は、驚くほど飲み込みが早い。歴史や文字などの勉強も好きではないようだが、大好きな棍に関しては、師匠であるが驚くほど瞬く間に上達していった。まるで、枯れかけていた木が、与えられた水を残すことなく全て吸収してしまうがごとく。
残念ながら、好き嫌い関係なく紋章術は例外となってしまうが、だけでなく彼女も、この少年の記憶力には当時から驚いているようだった。そして、その”力”を上手く使いこなせるようになれば、様々な知識を蓄え続けていけるのだろう、と。
だが、それこそが、自分たちにとっての懸念となっ・・・
「──ライ。ササライ、どうしたの?」
「え…? あ、ごめん。なんでもないよ。」
少年の声で我に返り、考えが逸れたと思い直して、話を再開する。
「そうだよ。そして、あの森は、封じの森と言われている通り、一切の魔法が使えなかったよね?」
「うん。」
「…この世界の理は、真なる紋章が『大本』として司っていると言われている。その一つ一つが巨大な”力”を持ち、世界に与える影響が非常に大きいんだ。これは、歴史で勉強した通り、きみも分かっていると思う。」
「うん…。」
27つある内、たった一つ得るだけで約束される、絶対的な”力”。
僅かながら勉強しただけとはいえ、過去、その力を巡って起こった数々の戦いの歴史。戦が起これば、沢山の人間が死ぬ。勝利しても、得られるものは、喜びや自由だけではない。
「…話が逸れたね。要は、仮に『覇王の紋章』が、元々あの森にあったのだとすれば、大本が無かったとしても『封魔』としての能力が僅かに残っていてもおかしくない、と思ったんだ。」
「覇王の紋章が無くても、もともとあった場所だったら影響が残ってても変じゃない、ってこと?」
「うん。僕は、そう思ってるよ。」
そう。ここまでが、前提。
その先に続けなくてはならない言葉は、今の会話の内に決めてある。
「それで…」
「……ルシィ、よく聞いて。これから話すことは、決して誰にも言ってはいけないよ?」
「う、うん、分かった…。」
・・・・・。
僕は、きみを信じてるよ。
でなければ、きみと一緒に生きてきた”意味”がないから。
「実は、『覇王の紋章』は…………………………が持っているんだ。」
「えっ…!?」
直後、目をいっぱいに見開き、固まった少年。
「サ、ササライ、ちょっと待って。えっと…が『真なる紋章』を持ってるの?」
「…そうだよ。でも、少し補足しておかなくちゃいけない事がある。」
「ほそく?」
一呼吸分間を置く。
見れば、驚きと困惑の交じる表情で、じっと自分を見つめている。
「彼女は、体に宿しているわけじゃないんだ。…この意味が、分かるかい?」
「ううん…。」
「…そうだよね。それじゃあ『武器に付加できる紋章』のことは?」
「あ、それなら知ってるけど…。」
毒や眠り、沈黙やダウンなど、武器に付加できる紋章。それと分かったのか、彼は頷く。
だが、ふと思い当たったのか「あ!」と声を上げた。
「もしかして…!」
「…そうだよ。彼女は、その身に宿しているんじゃない。いつも身に付けているグローブに宿しているんだ。」
「でも…そんなこと出来るの? 真なる紋章を、武器につけるなんて…。」
「…正直、これは、僕にもよく分からない。でも、前所持者である旧赤月帝国、皇帝バルバロッサは、竜王剣という武器に宿していたと聞いてるよ。」
「そっか…。それじゃあ、あの…」
「なんだい?」
「は…………『不老』なの?」
真なる紋章を所持している。それは、イコール『不老』に繋がる。果ては、どれだけの時を生きているのか? という疑問へと。
だが、それには、こう答えておけば良い。
「さっきも言ったけど、彼女は、その身に宿しているわけじゃないんだ。その所為かもしれないけど、不老じゃないよ。まぁ、真なる紋章の原理は、僕もよく分かってないけどね。」
「そうなんだ…。あ、それなら…」
どこで、その紋章を? いつ見つけたの?
そう来るだろうと考えていた矢先、まったく同じ質問をしてくる。
「いつ、何処で見つけたのかは、僕も知らないんだ。」
「え、でも……気にならなかったの?」
「うん。気にならなかったし、聞きもしなかったよ。」
「どうして?」
「……真なる紋章を持っていたとしても、彼女が、彼女である事に変わりはないからね。」
「?」
彼女が、如何なる”力”を・・・如何なる経歴を持っていたとしても、それらは、あくまで付属に過ぎない。彼女が、今、彼女であることが重要なのだ。
しかし、自分が見せたその『答え』の意味を、少年が知るのはもっと先だろう。
「だからね、ルシィ。遺跡で紋章が使えるようになったのは………実質『覇王の紋章』の所持者である彼女が、『紋章の残していた影響』を一時的に封じたからだって、僕は考えてる。」
「うん…。」
「言ってる意味が、分かるかい? 分からないなら、もう少し簡単に説明するけど…」
「ううん、大丈夫。分かったから…。」
「…そう。それなら出発しよう。出来るだけ早く、ヘルド城塞に着きたいからね。」
そう言い、足を踏み出しかけた時。
「あのね。もう一つだけ、聞きたい事があるんだけど…」
・・・・あぁ。やっぱり、これも聞いてきたか。
いや、あれだけ”強烈な言葉”を食らったのだ。忘れるはずもないか。
思わず苦い顔をしてしまったが、生憎、振り向く前だったので何とか隠す。
「…………なんだい?」
だが隠しきれていなかったのか、振り返ると、少年は気まずそうな顔をした。
「あの森で、逃げてる時に……スタナカーフっていう子が、言ってたのは…」
「…………。」
あれは・・・・そう。森を焼かれる直前の事だった。
スタナカーフという少女が、ルシファーに向けて放った言葉。
『あなた……本当に何にも知らないのね。ビックリしちゃうわ。今まで、なぁーんにも知らないで、あの女やその男と一緒にいたの?』
それは、自分達のことを知っているような言い方だった。いや、ミルドの側近であるのなら、知らない方がおかしいか。自分と彼女が揃っている、という時点で、ハルモニアを連想されてもおかしくはない。
しかし・・・・・問題は、その後の言葉だった。
『それじゃあルシファー、私に教えてくれない? あなたの生まれは? その男たちと会う前は、どこで暮らしていたの?』
出自・・・・そして、自分たちと暮らす前に、いったい何処で何をしていたのか。
『さぁ、答えなさいよ! あなたがいったい『何者』なのか、私に教えてちょうだい! どうしてあなたが、あの女に育てられたのか。どうしてあなたが、その男と似ているのか。知っているなら、覚えているなら答えられるはずよね?』
何故、彼女に育てられたのか。何故、自分とよく似ているのか。
この少年が・・・・・・・『何者』であるか。
「僕の生まれは、トランだよね? ササライ達と一緒に暮らす前は、本当のお父さんとお母さんと一緒に暮らしてたんだよね? 僕とササライが似てるのは、他人のそら似だって言ってたよね?」
「…そうだよ。」
また出て来る、嘘。
果ての見えないモノが、自分も彼女も、そして、目の前の少年をも苦しめる。いっそ、真実を洗いざらい吐き出してしまえれば、どれだけ楽なことだろう。
仮初めとはいえ、自分達が言い含めた『過去の経緯』に、この少年が不安を持つのも仕方のない事だと分かっている。あの少女の言葉は、それだけの威力を持っていた。
しかし、『真実』というものが、如何に重くのしかかるのか。自分が経験したからこそ、今は、まだ口に出来ない。
その心が・・・・・耐えられるまで成長したと判断できるまでは。
だが、いずれ嘘は嘘だと露顕する。いや、自分たちが、いつか話さなくてはならない。今は、ほんの僅かな綻びであっても、時が経つにつれて日々大きくなっていく。それは、違和感となって、未来の皆に突き付けられるだろう。
終わらない自問自答。けれど今は、まだその仮初めの嘘を『真実』だと思ってもらわなくてはならない。
「ルシファー。きみは、トランで生まれた。僕達と暮らす前は、ちゃんとご両親と一緒にいたよ。それと……僕らは、とてもよく似ているけど、他人だよ。」
先程の哀願するような確認には、一つ一つ言葉にして答えた。
だが、ここで『おかしい』と思った。少年が、俯き黙り込んでしまったのだ。
「ルシィ?」
「…………。」
どうしたんだい?
そう問う前に、彼は・・・・・ポツリ。
「あのね…。この前、またレックナートさんが来たんだ。」
「…………。」
今度は、自分が閉口する番だった。出来るなら、ずっと忘れていてほしい事だった。
森で野宿した時のことだろう。自分が密かに聞いていたとは知らず、少年は、その時のことを話し出す。
「レックナートさんが、言ったんだ。僕が、運命に挑んで真実と向き合う道を選ぶなら……”力”を望むなら、いずれ『記憶』と対峙しなきゃいけないって。でも、それって……僕の本当のお父さんとお母さんの時のこと、だよね…?」
「…………。」
「お父さんとお母さんの事故を見ちゃったから、それがトラウマって言うのになって、思い出せないって……ササライもも、そう言ってたよね?」
「…うん。」
・・・・・そうだよ。
だから、きみは、あの少女の言葉なんか気にする必要はないよ。
だって、きみは・・・・・・
「嘘じゃ…………ないよね…?」
「っ…………。」
見上げてくる瞳は、自分とまったく同じ色。いや、瞳だけでなく、髪の色から何もかも。
本当によく似ている。いつもいつも鏡を見ているような、そんな気にすらなった。
自分と、亡くなった弟と・・・・・・・・・そして・・・・
「ササライ?」
「…なんでもないよ。でもね、ルシィ…。一つだけ、覚えていて欲しいんだ。」
「なに…?」
嘘じゃないよね?
その質問をはぐらかしながら、それでも、これだけは伝えておきたかった。
「僕のことも、のことも…………信じて欲しい。」
もしかしたら、分かってしまったかもしれない。あえて返答をはぐらかして、ズルイ言葉だけを押し付けてしまった事で。何かを隠している、と。
でも・・・・
「うん……分かった。」
そう言い、小さく頷いてくれた少年を見て・・・・・・・仮初めであっても、少しだけ救われた気がした。