在学編


[イメージブレイク]





陸遜が兄貴ーズに滅された頃。

甘寧におんぶされたままのは、一目散に自室へと向かっていた。



しかし、寮の入り口に入った所で何事か思い出したらしく、甘寧に待ったをかけた。

彼は何だ?という顔で急ブレーキをかけ―――その際、キキキーッ!!という古いコント音がした―――、おぶられているを肩ごしに見つめる。

孫権は相変わらず、彼の腰にしがみついたままだ。



「どした、?何で止めんだよ?」

「部屋のカードキー貰わないと、入れないっしょ?」

「あぁ、そーだったな」



の所属する無双学園は、その広大な校内に寮がある。

近場ならば自宅通学も可能ではあるが、学生の殆どが寮生活をしている。



何故かと問われれば、ここの寮はかなり設備が良い。

そして高級プチホテル並の外観と、更には設備費に加え、お値段は一般家庭でも手頃に払える程度。

敢えて値段は伏せておくが、それもこれも、全て懐の深く広い学園長のおかげなのだ。



冷暖房も付いていて、夏にも冬にも丁度良い気温で過ごせる。

トイレと風呂も別々で、『ユニットバスかよ!?』という愚痴もない。

更にはベランダも付いていて、プチガーデニングや栽培なども出来る。

流石に最後の事柄をやる者は少ない―――以前姜維が「緑が欲しいので、花を育てています!」と言っていた―――が、部屋の間取り方や値段その他諸々を考えれば、誰もが寮生活を選ぶのも仕方ない事だった。



も、もちろんその中の一人であった。

しかし、この寮で生活する際には、まぁある程度の規則がある。

集団生活と言えなくもないが、ルームメイト制ではないので、個々に部屋が割り当てられ、部屋鍵も次世代チックなカードキーを使う。



そしてその中での規則の一つが、『寮を出る際は、必ずカードキーを管理人に渡す事』というもの。



他にも色々と『騒音禁止』や『下の階に響くから部屋で暴れない』などと庶民的な注意事項もあったが、それは人として注意すべき事である。

もそれは理解していたので、今はもう語らない。



要するに。

が甘寧を止めたのは、部屋のカードキーを寮の管理人さんから貰う為なのだ。



彼も納得したようで、「よっ!」と声を上げながら、を赤い絨毯の上に降ろした。

だが、甘寧の腰には孫権がしがみついていたため、彼女は尻から彼の顔面に急降下する。



「うわっ!?」

「ぶっ!!?」



彼の顔面に当たったのが尻だった為、強打とまではいかなかったが、それでも全体重を乗せられるから痛い。

は心の中で、自分自身に『なんちゅー事を!?』と思った。

花も恥じらう、とまでは行かないが―――性格も口調も―――、それはそれで恥じらうべき出来事だ。

男の顔面にケツから突っ込み、素知らぬフリを出来る程、彼女は図太くはないから。



は盛大に焦りを出しながら、顔を抑え蹲る孫権に、誠心誠意謝った。



「ご、ごめ…………ごめん権ちゃん!!」

「………………」



だが、謝っているにも関わらず、孫権を顔を上げる所か返事もしない。

余りの痛みに怒らせてしまったか、と更に焦ったは、もうあわあわするしかなかった。

しかし、それを見て羨ましそうに呟いたのは、甘寧だ。



「権坊………それかなり羨ましいぜ………」

「なっ……あんた何言ってんの!?羨ましいなんて!!あ〜………本当ごめんね、権!!」



と、は指を加えて見つめる甘寧の腕を叩きながら、しゃがんで孫権を覗き込んだ。

すると。



ボタ…………。

ボタタ!!



孫権は、額に手を当てながら鼻血を出していた。

ちなみに、顔は赤く、耳まで真っ赤に染まっている。



それを見て、は『自分のケツ圧で、彼に怪我を負わせてしまった!!』と、殊更慌てた。

取り敢えず止血、と考えて鞄を探るが、生憎常時ポケティ(ポケットティッシュ)など持ち合わせていない。

そしてが慌てている中、孫権は己の鼻血を物ともせず、頭の中は先程の出来事で一杯になっていた。



『し、尻…………の尻が……………私にっ!!!!!』



そう。

孫権が鼻血を出したのは、のケツ圧によるものではない。

その『ゴツい』という称号を与えられた外面とは裏腹なシャイハートと、気になる女性のヒップアタックを、もろに受けてしまった所為なのだ。



実際、彼女の尻は彼の顔面ではなく、頭頂部にしか当たっておらず、鼻血なんか出さないのである。

孫仲謀24歳、シャイさ故の鼻血だったのだ。



その心境を知っているのは、もちろんそれを目撃していた同性の甘寧。

相変わらず羨ましそうに孫権を見つめ、『チッ!俺が食らえば良かったぜ!!』という顔をしている。



ふと横を見ると、はフロント前で管理人を呼ぶ為のベルをヂリンヂリン!!!と鳴らしていた。

焦っているのか慌てているのか、普段ならチリン、と可愛らしい音がするはずなのに、彼女はブン回すように振っているので、濁音のように聞こえる。



確かに耳障りではあったが、『が自分の為に、管理人からティッシュを貰おうとしてくれている!』という優しさを感じ取った孫権は、こめかみに手を当て、込み上げる嬉し涙を必死に堪えた。










ヂリンヂリン!と暫しベルを鳴らし続け、ようやく出て来た人物に、は目を疑った。

そして問うた。



「………………丕…………さん……………………ですか?」

「そうだが…………?」

「嘘こけ!!!!!」



なら聞くなよ、という突っ込みが誰からも入る事なく、しかしは『自分は曹丕だ』と言う男性に、明らかに不審な目を向ける。

それもそのはず。



何故なら、入学式から今朝まで自分が見て来た『曹丕』と、今自分の目の前に現れた『曹丕』は、全くイメージが違ってたから。

今朝までの『曹丕』は、いつもの様に柔らかな笑みを浮かべ、「ちゃん、忘れ物はない?行ってらっしゃい」と優しく見送ってくれた。

なのに目の前の『曹丕』は、例え世界を敵に回すと脅されたとて、口が避けても『優しいイメージ!』とは言えないものなのだ。



基本的な容姿は変わる事はないが、その目付きは鋭く、蔑むように自分を見つめ、ともすればメンチだけで殺やれそうな程。



それに、放たれるオーラも全然違う。

『誰にでも優しく、頼れる管理人さん』ではなく、『誰をも見下し、ダークな管理人さん』だ。



全然違う。



だから、は心の中で『ドッキリだな!?』と考えた。

しかしその考えも空しく、彼女は次の甘寧の言葉で、現実だと受け止めざるを得なくなる。



「丕。悪ぃけど、の部屋のキーあるか?」

「………………………貴様が何に使う?」

「こいつ、孟起や子龍に追われてんだよ」



が呆気に取られているのも目に入らないのか、彼等は『それが普通』と言わんばかりに会話している。

だが次に、曹丕がに目を向けた。

その冷徹チックな瞳に、彼女は思わず身構える。



「……………何を怖がっている?」

「べ、別に怖がってるワケじゃ………」

「ならば………何故身構える?」

「だ、だって…………」



『お前が曹丕じゃないからだ!!!』と叫んでやりたかったが、失礼にも程があると判断した為、ぐっと堪える。

すると甘寧は何か気付く事があったのか、あっけらかんと彼女に言った。



「あ、そういやお前。表の丕しか知らねぇんだっけ?」

「………はぁ!!?!?」



一体何を言い出すのだ?と思った。

表の曹丕?

ならば、裏の曹丕というものでも存在するのか?

馬鹿な事言ってんじゃねー!と言おうとすると、更に甘寧はとんでもない事をぬかした。



「いや、だから…………丕は二重人格なんだぜ?」

「ふざけんなこのホラ吹き野郎がぁ!!!!!!」



甘寧が言い終わると同時に、の熱い拳が彼の頬にヒットする。

ある意味覚醒しているようなその言葉遣いには、裏バージョン曹丕も目を丸くした。

だが直に、クックと喉を鳴らして笑う。



何が面白いのか知らないが、はそれを気にする事もなく、甘寧に更に追撃を加えようとするも、彼は殴られた頬に手を当てて―――後にそれを見た孫権(まだ鼻血は止まらない)は、「まるで母親に殴られた娘のようだった」と語る―――、待て待てと首を振った。



「ちょ、ちょっと待て!!!マジなんだって!!!!」

「二重人格と言えど、ここまで変わる奴がいるかこのボケがぁあ!!!!」

「ひいぃい!!!」



チンピラ甘寧がビビる程、唾を飛ばしまくり更に蹴りまで加えるは、容赦がない。

甘寧自身、飛んで来た蹴りを避けはしたが、の攻撃が止む事はない。

しかしそれを制止したのは、渦中の人曹丕だった。



「待て……………私は本当に、私だぞ?」

「嘘おっしゃい!!!」

「本当だと……………」



「食らえ!!!美女踵落とし!!!」

「ギャッ!!?」



は更に追撃を加えるが、甘寧は甘寧でゴロゴロ転がりながらも避ける。

裏・曹丕でさえ止める事が出来ない彼女の暴挙は、留まる事を知らない。



しかし、それを体を張って止めたのは、先程まで鼻血が止まらなかった孫権だ。

彼はの足にしがみつくと、哀願するように言った。



「ま、待ってくれ!甘寧の言う事は本当だ!!!」

「あぁ?」

「ほ、本当なんだ!!この孫仲謀、神に誓って嘘は付かない!!!」

「…………………まぁ、権がそう言うんなら」



す、と『覇王』の顔を引っ込めたに、孫権は安堵した。

更には、甘寧も『覇王を止めた』孫権の男っぷりに、感涙の涙を流す。

唯一曹丕のみが、それを冷めた目で見つめていた。










ようやくが落ち着いたのを見計らって、孫権は彼女に『曹丕』という人物の事を詳しく説明した。

本人の居る前で。

曹丕は相変わらず冷徹な眼差しで、孫権の説明を聞いてはいたが、終止話を止める事はしなかった。



孫権から聞くには。



どうやら、曹丕は本当に二重人格と言われるものであり―――それが病気なのだ、とは言わないが―――、皆からは『表の丕』と『裏の丕』と呼ばれているらしい。

にこやかで優しい時は『表の丕』、冷たく氷のような眼差しの時は『裏の丕』。

そして、人格が変わるのは突発的な事で、本人でさえ『いつ』『どこで』『何がきっかけで』変わるのか、分からないのだと言う。



はその話の最中、ずっと眉を潜めて聞き入ってはいたが、孫権が話し終えるとふいに立ち上がり、曹丕に謝罪を述べた。

「失礼な事を言って、申し訳ない」と。



曹丕は「理解すれば、それで良い」と言うと、小さく笑った。

も、小さく笑い返した。



だが、それを見て驚いたのは、孫権と甘寧。

『裏の丕』は、絶対に笑う事がないと言われていたから。

けれど今、彼は本当に僅かにではあるが、口元を優しげに緩めた。



しかし。



!!!!」

「見つけたぞ!!!!!」



驚く彼等の背後から、突如二人の男の声が上がる。

皆がその声に振り返ると、そこには馬超と趙雲が。

はそれに驚いたが、ふと気になる事があったので問うた。



「伯約と伯言は!?」

「天然と放火魔は、今頃夢の中だ!」

「ふふ…………。私達を敵に回すとは、とんでもないクソガキ共ですね」



彼等がここに来た、という事で『もしや弟ーズに何かあったのでは!?』と思っていたに、馬超は怒りを露にしながらも、『難関』を超えた事に喜びを隠せないようで、盛大に爆笑した。

しかし、更に続けた趙雲は、何故かうすらと笑う。



は、彼の言葉の端々で、『怒りが頂点に達してる』と理解した。

黒いオーラを放出し、張り付けたような笑みは、かつて自分が心の底で付けていた彼の異名である、『魔王』。

はっきり言って、かなり恐い。



自分がこの学園に来てから、馬超に「あいつはかなりカミングアウトしたな」と聞かされてはいたが、この『魔王バージョン』にだけは、どうしても慣れなかった。



は、咄嗟に甘寧と孫権に『どうする!?』と視線をやる。

彼等もすぐさまそれを受け取り『逃げるしかない!』と返した。

しかし。



生憎、自分達の手元には、彼女の部屋のキーがない。

篭城を前にして、ここで全滅か?と思った。

だが、曹丕がふいに甘寧に向かって、何かを投げ付ける。

パシッ、と受け取ったそれが『部屋のカードキー』である事に気付くのは、そう時間がかからなかった。



それを受け取り、甘寧は即座にの腰を抱き、孫権に向かって「掴まれ」と腰を差し出す。

何かのコントのようでもあるが、も甘寧も孫権も、皆必死だった。

彼等は始めて組んだにも関わらず、絶妙なチームワークを見せる―――が甘寧におぶさり、孫権は腰にしがみつく―――と、甘寧乱舞で一気に階段を駆け上がる。



一瞬の隙を付かれた馬趙コンビは、途端怒りを露にした。



「くっ…………の奴め!!!!興覇に孫次男……………許さん!!!!!」

…………………後悔させてやるぞ!!!お尻ペンペンの刑だ!!!!!」



彼等は口々にそう言うと、キーを渡した曹丕を睨みつけつつ、一目散に階段を駆け昇った。










「………………………随分…………………変わったのだな」



馬に趙よ、と付け足して、唯一その場に残された寮の管理人・曹丕は黙り込んだ。

そしてすぐに顔を上げると、ゆっくりと管理人室へと戻って行った。