珍・学園無双外伝
〜二泊三日 湯煙の旅・18〜
夏の朝。
さざめく波の音が、少し遠くに聞こえる。
ざ、ざ、と寄せては引き、引いては寄せる心地良い音。
その響きに誘われて、馬超はうっすらと目を開けた。
昨晩は少し飲み過ぎたかもしれない。
頭痛はないが、全身に酒を飲んだとき特有の倦怠感があった。
そういえば、部屋の酒がなくなった後は、と2人で近場のコンビニへ大量に買い出しに行き、部屋へ戻りずっと飲んでいた。
そして結局、が先に潰れてしまい、つまらなくなったのでそのまま彼女の部屋で寝てしまったのだ。
一体、寝たのは何時なのか、そして今現在は何時なのか?
時間を確認する為に起き上がろうとするも、まず感じたのは違和感。
普段、目を覚ませばすぐに動き出せる彼は、そこで「ん?」と思った。
どうやら俯せて寝ていたようだが、それとは違った違和感を感じるのだ。
「……?」
腕が動かない。
起き上がろうとしても、肝心のそれが動かせなければ、どうしようもない。
一体、自分の身に何が起こったのか分からず、とりあえず首だけ動かしてみる。
すると、腕が後ろ手で縛られているのに気づいた。
「何だ、これは……」
「おはよう、孟起」
「!?」
背後からの気味悪い囁きに、馬超は体が凍った。
冷房は効いていたし、すこしうすら寒いとは思っていたが、それ以上に体の芯が冷えた。
自分に朝の挨拶をしたのは、女では……ない。
しかも、なんだかいつも聞いているような声だ。
「……………」
「爽やかな朝だな、孟起」
体制を整えたかったが、縛られている腕ではやはり起き上がる事は不可能だった。
自分を呼ぶ相手は「爽やか」とは言っているものの、きっと形相は凄い事になっているはず。
首は動くはずなのに、どうしても振り返る事ができない。(恐い)
「……………誤解だ」
そう言うのが精一杯だった。
相手はその言葉に「ほお?」と爽やかな声で返答しているが、きっと冷たい冷たーい笑みを浮かべているはずだ。
抹殺される前に、なんとしても縄は解いておきたい。
腕が自由になるだけで、応戦できるかもしれないし…。
ふと、全身を覆う殺気の中で、思い出す事があった。
故にそれをネタに時間稼ぎをしよう、と彼は考えた。
「は……どこだ?」
「安心しろ孟起。は、私の部屋に移した」
「……………」
という事は、今この部屋には2人きりではないか。
思いたくはなかったが、どこか冷静に馬超はそう思った。
「……そ、そういえば頭は大丈夫なのか?」
「あぁ大丈夫だ。少しコブが出来たぐらいは…な」
そう言いながらも、ゆらり、と背後の人物が動いた。
その合間、チリチリチリチリと爪で腕の縄を解こうとしていた馬超。
当たり前だが、たかが爪で食い込む縄を切れるわけがない。
ぜんぜん時間稼ぎになってない。
「あぁ、そうだ!そういえば…」
「孟起、お喋りは…そろそろ終わりにしよう」
あとちょっと、あとちょっと、とチリチリ頑張るが、生憎相手がそんな悠長な性格をしていないことは、馬超自身が一番良く分かっている。
やばい、殺られる。
ならばいっそ、誤解を解きたい!
「ちょっと待て子龍!お前は、妄想という名の誤解に騙されているぞ!」
「ほぉ、何が誤解だ?
真夜中、目が覚めてお前がいないから、もしやと思ったが…。
流石に、お前がの部屋で、彼女を腕に抱きながら眠っているとは思わなんだ。
一体、それのどこが誤解だと?もしや私の見間違えと言うつもりか?」
「ぐっ…」
途端饒舌になった相手(趙雲)は、口早にそう言うと、馬超に近づきその顔を片手で挟んだ。
ぶにゅ、と音が付く程、美形と称された馬孟起の顔がぶっさいくに歪む。
ここで初めて、趙雲と目が合う。
「びょ…びょはいひゃ…(ご…誤解だ…)」
「すまないが、何を言っているか分からないな」
予想通りというか当たっても嬉しくないというか、やはり相棒の顔はペッタリと貼付けたような笑みを浮かべていた。
見間違えでなければ、額には血管が何本も浮き上がっている。
馬超が起きるまで待っていたあたり、相当に怒りゲージを溜めていたのだろう。
ゲージ、MAXである。
「覚悟はいいな?もちろんだよな孟起」
「しぇ、しぇめれうれを…(せ、せめて腕を…)」
「あぁ…何度も言うが、何を言っているか分からないんだ」
趙雲のもう片方の手に握られている何かが、キラリと夏の陽を反射した。
冷たさが、悪寒に変わった。
その直後、宿全体に広がるほどの爆音が轟いた。
「うぅ……」
突如響いた何かの音に、はふと目を開けた。
まるで巨大な地震が起こったように、寝ている布団から体が跳ね上がったのだ。
しかし、起きようとするもズキッ、と頭に鋭い痛みが走り断念する。
「い、いった〜……」
そういえば、夕べ馬超と一晩中飲んでいた。
しかし一体いつ自分が落ちたのか、覚えていない。
頭痛によって力の入らぬ右腕になんとか力を込め、頭に響かぬように起き上がる。
グワン、と目の前が回った。
起き上がる前に、また伏してしまった。
グワングワンする視界の中で、そういえば一緒に飲んでいた馬超は、どこへいったのかと考える。
遠くから聞こえる波の音が、体に心地良かった。
「、起きたのか」
「………誰?」
「私だ、子龍だ」
「あ〜子龍兄…」
布団に伏したまま目を閉じ、眉を寄せる。
痛みで顔面すらどうにかなってしまいそうだったからだ。
だが不思議と、趙雲の声が頭痛に障る事はない。
「昨日は、どれだけ飲んだんだ?」
「あれ…なんで知って…?」
「?分からなかったのか?お前が今いるのは、私と孟起の部屋だぞ?」
「え……うそ……?」
「あ、無理に起き上がらなくていい。だいぶ辛いのだろう?
待っていろ、いま水を持って来る」
「ん…ごめん」
波上の痛みの芯を通らぬのか、彼の声はその更に外側をゆるりと沿い、耳に流れて来る。
緩やかな海のように、聞き心地の良い低音。
「起き上がれるか?」
「ん…」
「やはり無理か…ほら」
極力頭に響かぬよう気を配ってくれたのか、今度は起き上がる事ができた。
渡された水を、時間をかけて飲み干す。
これで痛みも、少しはマシになるはずだ。
「もう少し、眠っていなさい」
「…皆は?」
「安心していい。皆には、二日酔いと伝えておいた」
「…ありがとう」
「…あまり、心配させないでくれ」
「……ごめんなさい」
緩やかで穏やかで、とてもとても心地良い音程。
ふと、さきの疑問を思い出した。
また違った低音を持つ、昨晩飲み明かした男は、いったいどうしたのだろうと。
「子龍兄…馬ッチは?」
「孟起は………………お前の部屋で眠っている」
「…なにその間」
「まぁ…今はゆっくり休みなさい」
「はぁい…」
間がとても気になったが、その先を考えるほどの頭は働いていなかった。
と、何かが額の上に置かれた。
薄く目を開けると、趙雲が間近で見つめていた。
視界を半分覆っているのは、彼の掌らしい。
「熱は…少しあるな」
「ん…ただの二日酔いだよ」
「念の為、今日はゆっくり休みなさい。それと、女将に頼んで風邪薬をもらおう」
「ん……ありがと」
掌が冷たくて、気持ちよかった。
夕べ、冷房の効いた部屋でしこたま飲んだから、もしかしたら彼の懸念通り風邪を引いてしまったのかもしれない。
瞼は重く、体もダルい。
けれど、その掌の気持ち良さに癒されている気もする。
折角の旅行なのに、二日目に風邪と二日酔いなんて、とぼやける意識の中で考えた。
確実に、今日という日は潰れてしまうだろう。
あぁ勿体ない、本当に。
でも、それでもこうして傍に居てくれる人がいるんだと思うだけで、少しだけ目が熱くなった。
「ごめんね子龍兄…あと、ありがと…」
「うん、分かっている。私はここにいるから。
もうすぐ、孟起も起きて来るだろう。
だから、今は…眠りなさい」