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一章




 「おはようございます、梵天丸様!」
 「………。」
 「お腹、空きましたよね? 朝御飯を持って来たんで、私と一緒に食べましょう!」

 「この、無礼者ッ!!!!!」



[女童と小童]



 それは、於喜多と別れて厨房へ向かい、ようやく二人分の朝食を運んだ直後の事だった。
 梵天丸と向かい合い、彼と自分用の膳を置き、座りながらそう言った瞬間、いきなり誰かに怒鳴られたのだ。
 甲高い少年の声に驚き、部屋の中を見回すも、自分達以外に誰も居なく…と思った瞬間、襖が小気味良く(すぱんと音がした)開け放たれた。
 更に驚きながらそちらへ目を向けると、梵天丸と同じぐらいの歳の頃の少年が、物凄い形相で仁王立ちしていた。

 「……誰?」

 呆気に取られ口を開けたままのは、そう呟くのが精一杯だったが、怒鳴った少年は、一言「失礼致します!」と梵天丸に頭を下げると、ずんずんと部屋へ侵入し、を見下ろした。
 その形相が余りにも鬼のようだったので、は、苦い顔をする。

 「お前だな!最近、梵天丸様の御側仕えになった女童、というのは!!」
 「そ、そうだけど…」

 一体、何がこの少年の琴線に触れたのだろう。そう考えながら、一応の答えを述べるも、それが更に気に食わなかったのか、少年は続けた。

 「このっ……口の聞き方をしらぬ奴め!!」
 「うわっ!?」
 「逃げるな、待て! 俺が成敗してくれる!」

 確かに、この時代の人間からすれば、自分の口の聞き方は、とんでもないものだのだろう。いつどこで無礼を働いているのか気にしていても、自身、よく分かっていない。
 だが、初対面でいきなり怒鳴りつけ、更には横っ面を引っ叩こうとしてくる少年は、もっと無礼ではなかろうか。
 実際、目上の人間に『一緒に御飯食べましょう』と、事も無げに言った自分に否があるのは明らかだが、はそう思った。

 故に、少年が手を振りかぶった瞬間、その腕の軌道の流れ側に身体をずらして避けた。「逃げるな!」と言われても叩かれれば痛いし、そもそも何故こんな小童に、自分が叩かれねばならないのか。
 避けてしまった事に更に腹を立てたのか、少年は捕らえようと追って来る。
 なんて諦めの悪い小僧だ、と自分の否も忘れて、は、再度振り下ろされた少年の腕を掴んだ。

 「な、何をする!?」
 「それは、こっちの台詞なんだけど?」
 「離せ! 離さぬか!!」

 成長期前故か、力の差は歴然としており、少年は捕らえられた腕を引き剥がそうともがく。
 少年特有の甲高い声は耳障りであったが、は、その腕を簡単に外してやる事もなく(叩かれるのは嫌だ)、眉を寄せて唇を尖らせた。

 「いきなり、無礼者扱いはないんじゃないの? 言わせてもらうけど、私はね、梵天丸様と朝食を食べに来ただけなの。」
 「っ、それが無礼だと言っておるのだ!!!」
 「なにこの小僧、超生意気!」
 「いてっ!?」

 相手の無礼極まりない物言いに、互いに一歩も引かない。
 ついでというか、少年があまりにもがくので、はその額を小突いた。大して痛くもないはずなのに、咄嗟の反応故か、少年は声を上げる。
 すると、ここで騒ぎを聞き付けたのか、また誰かがやって来た。

 「梵天丸様、騒がしいようですが……って、何事ですか!?」
 「於喜多殿! この女童が…わぁっ!?」
 「だぁーれが女童だ、この小童!」

 輝宗の嫡子を前に、大喧嘩を繰り広げる少年少女を見て、於喜多はため息を吐いた。





 自分に喧嘩を売って来たのは、『時宗丸』という名前らしい。
 現在は、大喧嘩から説教の時間へ移行している。
 自分と、隣に正座する少年の正面で説教をする於喜多を見つめながら、は溜息を付いた。

 喧嘩する気など、さらさらなかった。
 梵天丸と朝食を共にし、少しだけでも会話が出来れば良いと思っていただけだ。
 だが、これからだという時に限って邪魔が入ったり、自分で何かポカをやらかしてしまう。今回は、それがたまたま前者であっただけなのだが、は、とにかく早く説教が終わらないかと思っていた。

 大喧嘩している最中、梵天丸は呆れたのか、はたまた煩かったのか、とっとと閨へ入ってしまった。
 何故に自分は、あの少年の前であんな事をやらかしてしまったのだろう。後悔しても、もう遅い。
 しかし、自分が出来うる限りの事はやろうと考えていたので、は、ここで気合いを入れ直した。

 「っし!!」
 「…?」
 「あ、何でもないです。ささ、続きをどうぞどうぞ。」
 「………。」

 促すつもりで言っただけなのだが、どうやら於喜多には『早く終われ』の意図と取られてしまったらしく、じとっと睨まれた。
 そして、の隣で彼女に憤りを感じながらも、嫡子殿の眼前で大喧嘩という事態を反省したのか、ただ黙って説教されていた時宗丸は、の『全く聞いていませーん!』という滲み出る態度に、更に憤慨したのか、ドンッと畳を叩いて立ち上がった。

 「女童。お前、先程から聞いていれば…!」
 「だまらっしゃい、小童。誰が女童だ。」
 「くっ、そこになおれ!!俺自ら、成敗してくれる!!」
 「っ…いい加減にしなさい、二人共!!!」

 再度喧嘩が勃発しそうな所へ、今度は、於喜多の怒号が、部屋一杯に響いた。その声に、二人で肩を引きつらせ、互いにふんと鼻を鳴らしながら居ずまいを正す。
 於喜多は、各々を一瞥すると、続けた。

 「まずは、時宗丸殿。確かには、梵天丸様に対して、無礼極まりない物言いをしたとは思います。ですが、仮にもご自身が仕える主の目の前で、いきなり手を上げようとするのは、流石にやり過ぎと思いませんか?」
 「そ、それはそうですが…!」
 「ですがもかすがも、ありません。」

 ぴしゃりと言い放たれて、時宗丸がぐっと黙る。
 それをどこか他人事のように聞いていただったが、時宗丸の次は自分の番だと分かっていたので、ちらりと於喜多を見つめた。

 「それと、。」
 「はい。」
 「私は、先のお願いを了承したけれど…。貴女なら、自分の物言いに非があった事くらい、分かっているのでしょう?」
 「えぇ、凄く良く分かってます。」

 それ以降、口元だけ笑みながら、は何も言わなかった。今は、何を言っても言い訳にしかならないのだと、分かっていたからだ。
 時宗丸が、梵天丸の小姓というのは驚きだが、今はそれどころではない。早くしないと、持って来た膳が、冷えに冷えてしまう。

 の言いたい事を察知したのか、於喜多が、額に手を当てて諦めたように言った。

 「…。言いたい事があるなら、はっきり言って頂戴。」
 「言い訳するなって言われるの分かってるんで、言いませんよ。」
 「言わないから、言いなさい。」

 にこりと笑って拒否するに、於喜多は、もう説教を諦めて言いたい事を言わせてやろうと思った。諦めを通り越して呆れに変わっている。すると、も察知したのか、いつもより大きな声で、宣言するように言った。

 「分かりました。では、言わせて頂きます。私は、梵天丸様とお近づきになりたいんです。距離を縮めたいんです。別に取り入るとか、そういった類のものではなくて、ただ純粋に…。」

 「でも、その為には、”身分”という隔たりが、今の私にとって邪魔になるんです。だから、それを取り除いて下さった輝宗様には、大変感謝しています。身分という見えない壁で、逆に梵天丸様が孤立していらっしゃるのが、よく分かりますからね。」

 「あ、それと……そうそう、もう一つお願いです。私は、これから本気で梵天丸様にウザがられるまで、一緒に御飯を食べたり何かしたりと、常にくっついていたいと思います。でも、その為には、周りの人に協力してもらわないといけません。」

 「簡単に言えば、『これから築かれていく、梵天丸様と私の関係を邪魔するな』って事です。」

 「お前………言わせておけば!!!」
 「ちょっ…時宗丸殿、お待ちなさい!」

 『一理有る』と思ったのか、それまで黙っての言葉を聞いていた時宗丸だったが、終止笑顔のまま、かつ『邪魔するな』の部分で自分の方をこれ見よがしに見遣り飄々と述べたに、彼は怒髪天を突いたのか、再び畳を叩いて立ち上がる。
 しかし、反撃に転じようとしたより早く、於喜多がその小さな身体を取り押さえた。

 「! どうして時宗丸殿を煽るような言い方をするの!」
 「だって、そいつムカツクんですよ。」
 「むかつ…?」
 「”腹が立つ”って意味です。」

 「離されよ、於喜多殿! 今日と言う今日は、この女童を俺がかっさばいてくれる!!!」
 「なーにが『今日と言う今日は』だよ、この小童! 私達は、今日が初対面だっつーの。それに、私はあんたより年上だ。」
 「なぁあにぃいい!? 戯言を!!」
 「時宗丸殿、とにかく落ち着いて! それに! とにかく今は、時宗丸殿を煽らないで頂戴!!」

 それから……。
 ぎゃあぎゃあと三人分の声が飛び交う、この騒ぎが落ち着くまでに、半刻程の時間を要した。





 騒ぎが落ち着き、隣の部屋が静かになった。
 どれぐらいの時が流れたのか定かではなかったが、今まで騒ぎ立てていた者達の気配がなくなる。
 それを襖越しに感じて、少年は、隠っていた布団から顔を出した。

 目の前で繰り広げられた大喧嘩の際、見ているのも聞いているのも全て嫌になって、閨へ入った。
 別段、側仕えになったあの女童の『一緒に御飯食べましょう』という口の聞き方は、今の彼にとっては、実にどうでも良い事だった。
 時宗丸が手討ちしようがしまいが、於喜多が説教しようが憤慨しようが、どうにでも…。

 小姓と側仕えの喧嘩後、その二人を説教している声も聞こえてはいたが、面倒だった。主君がどうとか、家臣たるものはとか、そういった類のものしか聞こえてこないのだろうから、と。
 今すぐにでも、この世から消えて無くなりたいと思った。

 こんな目になってしまったから、母に嫌われた。
 こんな目になってしまったから、隔離されるようなこの場所で過ごさなくてはならなくなった。
 こんな目になってしまったから、父も滅多に会いに来てはくれなくなった。

 こんな……こんな容貌に、なってしまったから………。

 「…………。」

 ふと先程、側仕えとなった少女の言っていた言葉が、脳裏を掠めた。
 その場に居た者、といっても二人程度のものではあるが、それら全てに宣言するように、はっきりと述べられた、あの言霊。

 『私は、梵天丸様とお近づきになりたいんです。距離を縮めたいんです。別に取り入るとか、そういった類のものではなくて、ただ純粋に…。』

 むくりと起き上がり、その場で胡座をかく。
 同情など必要なく、癒されたいわけでも、この目の呪縛から解き放たれたいと願っているわけでもない。
 ただ、全てどうでも良かった。自分さえ消えてしまえば楽になれるのだと思った。
 遠近感が掴めぬこの眼に、一体何の意味があるのだ、と。

 『その為には、”身分”という隔たりが、今の私にとって大層邪魔になるんです。けど、それを取り除いて下さった輝宗様には、大変感謝しています。身分という見えない壁で、逆に梵天丸様が孤立していらっしゃるのが、よく分かりますからね。』

 一体、あの少女に父が何を言ったか定かではないが、それより”孤立している”という言葉が、かつてないほど胸に突き刺さった。あの感覚は、今もはっきりと痕を残している。
 仕えるべき主が、隣の部屋にいると知っていて、それを声を潜める事なく、さも襖越しの自分へ向けたかのような言葉として放った、あの側仕え。
 あの口の聞き方ならば、時宗丸が憤慨するのも理解出来た。

 だが、そんな事よりも……

 『私はこれから、本気で梵天丸様にウザがられるまで、一緒に御飯を食べたり何かしたりと、常にくっついていたいと思います。でも、その為には、周りの人に協力してもらわないといけません。』

 あの非常識な物言い、そして、その態度。
 当主の嫡男である自分と飯を食い、くっついたり何かしたりと言いのけていたが、そんな事は、輝宗が許しても家臣達が許すはずがない。
 そういえば、初見の時に於喜多が、「は、輝宗様が連れて来られたようです」と言っていたが……父は、一体何を考えているのだろうか。

 「………?」

 と、隣で物音が聞こえた。
 まだ誰か残って居たのかと思ったが、襖を開けて確認しようとは思わない。実際、自分にとって誰が側仕えであろうと構わなかったし、そもそも自分は、もう側仕えなど必要としていないのだから。

 少年にとっては、今在る何もかもが、どうでも良かった。
 けれど……あの時、少女が言っていた最後の言葉が、何より梵天丸自身の胸を震わせた。

 『簡単に言えば、”これから築かれていく、梵天丸様と私の関係を邪魔するな”って事です。』

 あれだけ大きな声で言葉として放てば、自身の居る閨まで筒抜けになる。父自ら連れて来たという辺り、それすら分からぬほど少女は馬鹿ではないだろう。
 ならば、あれは……何だったのだろうか。
 それは疑問となったが、見つけたくなくても、すぐに『答え』は浮かんでしまう。

 「……ど…でも……いい。」

 けれどあの言葉に、その『答え』に、胸が痛んだ。冷たく凍るような痛みではない。
 途端、じわじわと涙が込み上げて来て、頬を流れた。
 それは、ぽたりと流れ落ち、布に染みを作る。

 自ら命を断つ事は、出来ない。
 それがどれだけ罪深いのか、そして、どれだけの恐怖や苦痛を伴うのか、想像するだに恐ろしかったから。
 だが、この容姿のままこれからを生きて行くのも、また苦痛だった。
 右目を失い、愛される事をなくした、自分にとっては…。

 愛されぬという突き刺す痛みと、あの少女の言葉からの柔らかい痛み。それに葛藤し、少年の迷いや不安や悲しみは、流れては溢れる。
 どうしたら自分は楽になれるのだろうと、淀んだ心の中で、思わず呟いた。

 直後。

 その『答え』を届けに来た! というように、閨の襖が思いきり開かれた。

 「梵天丸様! 食事を温め直して参りましたので、一緒に食べましょう!」

 呆気に取られる少年を前に、側仕えの少女は、歯を見せて笑った。





 失った分 また取り戻せば良いだけだと そう言っているように