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一章



[下問答]


 部屋の中は、しんと静まり返ってしまうかと思えば、案外そうでもなかった。
 かちゃ、と膳同士が触れ合う音や、汁を啜る音が、僅かながらも響いていた為だ。
 温め直されたそれらは湯気を立て、口の中に放られては噛み砕かれ、飲み込まれる。
 それ以外の音は皆無であったが、膳の中身は刻々と減っていった。

 「………。」
 「………。」

 は、無言で朝餉を食べ続ける梵天丸を、ちらりと見つめた。
 少年は、その視線に気付かぬのか、里芋の甘煮を飲み込むと、次に飯を口に入れている。
 だが、もぐもぐもぐもぐと、単調に口を動かすその仕種には『早く食べ終わろう』とか『何故、側仕えと…』といった表情は、見受けられなかった。

 「………。」
 「………。」
 「………梵天丸様。」
 「………。」

 終止無言でも構わなかったが、それでは己に喝を入れた意味がない。そう考えて、は、口火を切った。
 対して梵天丸は、口は動かしたまま、別の膳に持って行こうとしていた箸の動きを、ぴたりと止めた。
 しかし、いつもと同じくと一向に目を合わせようとはしない。見られたくないのか、それとも見たくないのかは分からなかったが、は、それを気にすることなく問うた。

 「美味しいですか?」
 「………。」
 「私、里芋の甘煮って始めて食べたんですけど、美味しいですよね。」
 「………。」

 そう言うと、梵天丸は、頷いたのか俯いたのか分からないほど微妙に首を下に動かした。
 多分、後者なのだろうが、は、やはり気にせず話を続ける。少年の反応を逐一気にしていたら、それこそ会話が続かない。
 とはいっても、が一方的に喋っているだけなのだが…。

 「ここへ来てから、誰かと食事なんてした事なかったんで、正直嬉しいですよ。」
 「………。」
 「あ。でも時々ですけど、一人で食べたいなーって思う時も、本当たまーにですけど、ありますよ。でもでも、一人よりも誰かと食べる方が、御飯が美味しく感じられますよね。」
 「………。」

 話し掛ければ話し掛けるほど、少年の顔は下へ下へと下がって行く。
 しょっぱなから、ウザいと思われたかな? は、一瞬戸惑ったが、しかし先程の宣言を彼が聞いていないはずがない、と思った為、その迷いを消した。
 ここで攻める事を止めるわけにはいかない。引く事はすなわち、敗北を意味する。

 すると、不意に梵天丸が顔を上げ、を見つめた。
 ここでようやく、初めて、梵天丸が、と瞳を合わせたのだ。

 とすれば、下がれ、と言われる覚悟もしていたし、最悪な状況として、『不敬罪での手討ち』も仕方ないとも思っていた。
 共に朝食、目の前での大喧嘩、更にはタメ口に近い敬語。
 もし、ここで自分に何らかの沙汰が下ったとしても、ならば私はそこまでの人間であったのだと思うと同時、自分の判断が間違っていたんのだろうと思うだけだ。

 だが、初めての『会話のやり取り』であった次の瞬間、梵天丸の放った言葉は、実に意外なものだった。

 「お前は……何故……わしの側仕えになった…?」
 「……何故、ですか。」

 『これは意外な直球だ』と、は、困ったような苦笑いを浮かべた。しかし、そう問われたのなら、先に言っておかねばならない事がある。

 「お答えする前に、前もって言っておきたい事があるのですが、宜しいですか?」
 「……構わぬ。」
 「では…。」

 了承を得て、は居住まいを正した。

 「先の”宣言”を聞いて下さっていたと思いますけど、私は、別に梵天丸様の命を狙っているとか、梵天丸様に取り入って出世したいとか、そういった事は全く考えておりません。ここに置いて頂けるだけで、明日も分からぬ身から、脱出できるんですから。」
 「………。」
 「それに、人殺しになんて絶対になりたくないし、出生して富や権力を握ってやるーとか、そんなのどうでもいいです。そういうの、全く興味ないんで。」
 「………。」
 「あ、それと、行動や言動が無礼極まりない事は、私自身自覚を持っておりますので、そこも出来れば平に御容赦願いたいです。でも、余りにもムカついた時は、遠慮なく言って下さい。直そうっていう努力は、頑張って致しますので。」
 「………分かった。」

 初めて、会話に成った。
 その喜びを何とか胸に押しとどめながら、は、小さく笑いかけて一括りした。それにこくりと頷く少年は、愛らしい仕種とは裏腹に、言葉遣いは『輝宗の息子だけはある』と思えるもの。
 それに、何故だか少しだけ寂しい気持ちになりながらも、は続けた。

 「それでは、先程の問いにお答えさせて頂きます。そもそも私は、とある場所で、梵天丸様のお父上であらせられる輝宗様に拾われました。そして、行く宛もなく無一文で、さらには地理に疎く身分すら低い私の言葉を、輝宗様は信じて下さいました。」
 「………。」
 「私にとって輝宗様は、命の恩人なんです。」
 「……命の…?」
 「はい。さらには、得体の知れないはずの私に、嫡子である梵天丸様の側仕えという職を与えて下さいました。私は、特技という大層なものは持っておりませんが、せめて何事かでも恩返ししたいと思いました。」
 「……それが……わしの側仕え…なのか?」
 「はい。あ、でも、それだけじゃないです。輝宗様は『無理だと思ったなら、それで構わない』と仰って下さいました。あの御方のお顔の色から、何かワケアリのようだって思いましたけど…。成る程、梵天丸様を一目見て、すぐに理解できました。」
 「っ……。」

 は、あえて、暗に少年の『右目』の話題に触れた。
 少年にとっては、今一番触れられたくない話題であると分かっていたが、自分がこれから彼と共に在るには、避けて通れない道だからだ。
 それなら、少年がいつの日か口を開くのを待ってみても良い、と考えたが、それは自分のやり方には合わない。
 だからこそ、少年から問われる前に、自ら言葉にした。

 途端、口を噤んでしまった梵天丸を見て、ここからが正念場だと、自身に更なる喝を入れた。
 少年の傷を抉るような真似は、できることなら避けたかったが、しかし、回り道をしながらいつまでもぐずぐずとしていては、自分や少年の為にはならない。
 時間をかけるばかりが傷を癒せるものではないと、知っていた。

 「では、次は私が質問させて頂きます。梵天丸様は、御自分の容姿について、どう御考えですか?」
 「っ……!」

 核心の上に核心を突いてしまったが、耐えてもらわねばならない。
 主の嫡男に対する、無礼極まりない言葉の数々。
 これで後に自分が縛り首になろうとも、もう止まる事は許されない。
 だからは、先を続けた。

 「梵天丸様。私は、無礼は承知の上で伺っております。ある意味、この首をかけて聞いているんです。ですから、梵天丸様自身が、その事をどう御考えなのか、是非ともお聞かせ下さい。」
 「………同情…か?」

 ぽつりと、梵天丸がそう言った。
 自嘲しているような、だが、それは確実にに問うている、問い。

 「梵天丸様…?」
 「お前は…先程……時宗丸に、言っておった…。”これから築き上げていく、わしとお前の関係を邪魔するな”と。そう……申しておった…。」
 「……そうですね。確かに、そう言いました。」

 先の大喧嘩の後、自分は、於喜多や時宗丸はては梵天丸に聞こえるように、そう言った。そしてそれは、思った通りに少年の心を突いていたのだろう。
 だが、今さっき使った『恩返し』という言葉により、自ら先の宣言を覆すような意を放ったと取られても仕方ない。だからこそ、梵天丸は、そう問うてきたのだろう。
 は、それにゆっくり頷くと、まっすぐに少年を見つめた。

 「お前は……やはり、わし自身……ではなく…父上に恩を返すのと、わしを哀れに思う……同情心から…。」
 「それは違います。」

 これには、はっきりと否定を示した。戸惑っていては、逆に少年の不安を煽る要素となる。
 畳を見つめ、肩を震わせ始めた梵天丸を、はまっすぐに見つめ続けながら首を降った。

 「何が……違う…?」
 「言葉が少なかったようですので、先に謝らせて下さい。私が言いたかったのは、輝宗様に恩返しをしたいと、そう思っていました。でも私は、梵天丸様を見て、純粋にお仕えしたいと思っただけです。それに、私がその右目の事を伺ったのは、やはり純粋に、梵天丸様がどう思っていらっしゃるか知りたかっただけで…」
 「黙れ!!!!!!!」

 どん、と膳立てを手で払い倒して、梵天丸が立ち上がった。
 今まで呟くような話し方をしていたとは思えぬほど、大きな声を出して。
 心の叫びにまで似た悲痛な声は、に肩を引きつらせるほどだったが、それをぐっと堪えた。

 「お前は……お前は、哀れみや同情心で、わしの側仕えになりたいと、そう思っただけじゃ!!」
 「いいえ、違います。」
 「違わぬ! わしの側仕えとなれば、父上への恩返しが叶って、一石二鳥だと、そう思ったのであろう!?」
 「違います。」

 そう考えるのも仕方ないという罵りに、あくまで冷静に対応するしか、今は手がない。
 だが、激昂した嫡子は、何を思ったか傍に置いてあった刀を手に取り、刀身を引き抜いた。そして、それをの首筋に当てる。

 「本当の事を言え!!言わねば、その首を落とすぞ!!!」
 「先程述べた事が、嘘偽りのない真実です。私に二言はありません。それだけです。」
 「っ…!」

 途端、梵天丸は声を詰まらせた。
 としても、刀を取り出した梵天丸に恐怖を抱かなかったわけではない。
 自分の物言いは、この大人しい少年でなければ、すぐにでも首を落とされても文句は言えない無礼極まるものである。
 僅かに手が震えたが、は、それすらも堪えて真直ぐに前を見ると、凛と言い放った。

 「ならば、後生だと思って言わせて頂きます。梵天丸様。あなたが私をそういった目で見るのは、確かに仕方のない事だと思います。この際、私があなたに対して『哀れみ』や『同情心』から慰問すると思われている事も、仕方ないと思いましょう。ですが……」

 ここで、顔を上げ、梵天丸を見つめる。
 震えそうになる唇を、少年に気取られぬようしっかりと結んだ。
 命がけとなるだろう想いは、知らず、声を大にして叫ぶという形となって表れた。

 「哀れみや同情心でなく、ただ『食事を共にしに来た』と言って欲しいのなら、貴方自身に変わって頂かなくては困ります!!!」
 「っ! お前に、わしの何が分かる! この…!!」

 「お待ち下さい、梵天丸さ…!!」
 「っ!?」

 梵天丸が、刀を振り上げた瞬間だった。ここに居ないはずの第三者の声がかかり、見れば、そこには騒ぎを聞き付けたのか於喜多。
 しかし、彼女の言葉が終わる前に、とんでもない事件が起こった。

 は、何を思ったか、於喜多が声をかけている最中に、少年の手首を取り、力任せに刀を奪って投げ捨てた。と思えば、次に少年の頬を思いっきり叩いたのだ。
 ばちんと痛々しい音がした不意の平手に梵天丸はよろめき、畳に思いきり倒れ込む。
 だが、これで終わったわけではなかった。は、今度は少年の目の前に膝をつき、その胸ぐらを掴んだのだ。
 そして、目に涙を溜めて、大声で叫んだ。

 「お前に何が分かる、だって? じゃあ、あんたに私の何が分かるっての!? ここじゃ何にも分からない私の…、誰一人身寄りのない私の、いったい何が分かるっていうわけ!?」
 「っ……」
 「確かにあんたは、病で右目を失ったかもしれないよ! けど、それがなんだっての!? 何が変わったの!!」
 「っ、もう止めなさい!」
 「いいえ止めません!!」

 すかさず於喜多が割り込もうとするが、は、それを睨みつけることで制した。その、危機迫るような有無を言わさぬ瞳に、於喜多は思わず動きを止める。
 すると……今まで溜めていたものを吐き出すかのように、梵天丸が、涙を流しながら叫んだ。

 「うるさい……うるさい! わしは、この右目の所為で全て失った!! 隔離され、母上はわしを遠ざけ、父上は滅多に会いに来てくれなくなった!! この苦しみが、お前なんかに分かるはずがない!!」
 「ああ分からないよ! 私はあんたじゃないし、あんたは私じゃないんだから、分かるはずないでしょ!!」
 「っ!」
 「そもそも、さっきから聞いてりゃ『自分が孤独になったのは、病気とか周りの所為だ』みたいに言ってるけど、あんたが変わったから、周りも変わらざるを得なかったんじゃないの!?」
 「うるさい…!! お前なんかに、分かってたまるか!!!」
 「あぁそうだよ! だから、分からないって言ってるでしょ!! それじゃあ、聞かせてもらうけどね! 右目をなくして苦しんでるのは、あんただけだとでも思ってんの!?」
 「…!」
 「それに、死んだ方がマシだなんて、今後一切口にするな! あんたの母さんは、どうだか知らないけど、輝宗様は、あんたの話をする時は寂しそうな顔してるし、そこに居る於喜多さんだって、あんたの事をすごく大切に思ってるんだよ! さっきの時宗丸って子だって、あんたの事好きじゃなきゃ、あそこまで怒ったりしなかったんじゃないの!? 見なくても、馬鹿でも分かるじゃん、そんなの!! なのに、どうして自分ばっかりで、その周りの人の気持ちを悟ってあげられないの!?」

 「、止めてっ……もう止めなさい!!」
 「離して下さい、於喜多さん! 傷を舐めてやるだけじゃ、変わるものだってきっと変わらない!!」
 「っ…、私だって、それくらい分かっているわ!!」

 於喜多が、梵天丸と自分の間に割って入る。
 だからは、於喜多にも伝えた。
 自分も於喜多と同じように考えてはいたが、それではきっと、少年が現実を受け入れる事はないのだろうと考えて。
 そして、於喜多もそれを理解していたのか、叫びにも近い声で言った。

 だがには、まだ梵天丸に伝えていない事があった。
 故に、少し冷静になる為に胸に手を当て、於喜多の向こう側にいる少年に最後の言葉を伝える。

 「……右目の事は、過ぎてしまった事だから仕方ない。取り戻したくたって、絶対に時間は逆流なんか…してくれない。だったら、今の自分を受け入れるしか…それしかないんじゃないの?」
 「っ……。」
 「そうだよ。泣きたいなら、人目なんて気にせずに、泣けば良いでしょ。あんたを愛してくれてる人は、沢山いるんだから。あんたには、すがれる人が……私なんかよりも、ずっとずっと沢山いるんだからさ。」

 ようやく、言いたい事は全て伝え終えた。
 は、居ずまいを正すと、手を付き深々と頭を垂れた。
 そして、今度こそこれが最後だ、と締めの言葉を紡ぐ。

 「数々の無礼を働きましたけど…。私は、弁解も逃げもかくれも致しません。ですが、これだけは、どうしても言っておきたかったんです。」
 「…。」

 嫡男に暴行し、更には罵声を浴びせるなど、正気の沙汰ではない。
 正直、於喜多は、がここまでするとは思っていなかった。
 故に彼女は、の名を呟く事しか出来ない。

 「梵天丸様、あなたは愛されているんです。愛されていないと感じるのは…この際ですから、はっきり申し上げます。あなたが、自分の容姿を『自身で疎んでいる』からです。あなたは、自分自身で殻に閉じこもり、周りからの愛情を自ら遮断しているだけです。見えるものにさえ、自ら蓋をして見えなくしているだけです。……あなたが、自分自身の”今”を認めなければ、永遠に何も変わりません。」
 「………。」
 「差し出がましい事を、失礼しました。私は、どんな罰も受ける覚悟は出来ています。」

 そう言って、もう一度頭を下げようとした、その時だった。

 「お前は…わしが、醜いとは……思わんのか?この…顔を。」
 「………。」

 張られた頬に手を当て、畳に座り込んだままの梵天丸の問い。
 その少年の最後の心の『つかえ』に、は、やはり首を振り、自身のこれからの不安や恐怖を振り払うように笑い、はっきりとした口調で言い切った。

 「いいえ、全く思いませんね。むしろあなたは、大変可愛らしい顔をしていると思います。たかが片目を失っただけで、あなたの事をそんな風に言う輩が居るのなら…」





 「刺し違えてでも、私が、その相手を殺してさしあげましょうか?」





 それでこの先 不安や恐怖に 君の心が打ち勝てるのなら